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炎竜イグニス

 突如現れた巨竜に向かい、お前は誰なのかと蛇神は問いかけた。真紅の竜は、よくぞ聞いてくれたとでも言いたげな様子で牙を見せた。どうやら笑ったらしい。そして大きく広げた紅い翼をはためかせ、高らかに叫びを上げた。


『オレはの名はイグニス。今のオマエは知るはずもないだろうが、オレとオマエは昔からの親友でな。オマエが目覚めるのをずっと待っていた』


 イグニスと名乗った竜は、口の端から赤い火を漏らして笑う。ちなみに足下に横たわるヤツメウナギもどきは、既に事切れていた。引き千切られて凄惨な有り様になっている死体は、生来の不気味さと相まって目を背けたくなる光景だった。


『……ところで、足下のそいつはどうするんだ? 食べるのか?』


 興味本位でミズガルズは尋ねてみる。もし食用だったならば、美味しくいただこうと思っていたのだ。けれど、イグニスの返事は素っ気ないものだった。


『え? コイツを食うのかって? そんなわけないだろう? こんなヤツ、身体に毒でしかない。話の邪魔だったから退いてもらっただけだ』


 そうしてイグニスは笑い声を上げる。ひとしきり楽しげに身体を揺らした後、真紅の竜は姿勢を正してミズガルズを見た。


『……懐かしい気分だ。例え、中身が違っていても、動いているオマエと話しているなんて』


 しみじみと呟いて、竜は話を続ける。ある日突然、自分で自分を封印すると言った親友に驚いたこと。大事な親友を失い、悲しみに暮れたこと。度々、セルペンスの森にやって来ては、うろうろしていたこと。うっかり国の兵士に見つかって、戦闘になったこと……。

 話している時のイグニスはとても楽しそうで、次から次へと言葉が飛び出した。まるで、機関銃の様だった。ミズガルズは勢いに押されて、口を挟むことが出来ない。ただただ、下手な相槌を打っていた。


『色々話してくれたところ悪いんだけど……俺はお前の知ってるミズガルズじゃないんだぞ。元々は人間だし、この世界の者でもない。俺はただこの身体を譲り受けただけだ。正直なところお前とどう接すればいいか……』


 困惑に溢れたミズガルズの言葉にイグニスは黙って頷いた。そんなことは既に理解しているとでも言いたげだった。


『分かっているとも。だから、改めて友人になって欲しいのだ』


 ミズガルズは思わず目を丸くした。竜と友人同士になれるなんて。喜んでいいことなのだろうが、同時に小さくない迷いが彼の心のうちに生じた。真紅の竜からすれば、かつての親友に成り代わった自分の存在は気持ちの良いものではないだろう。そんなミズガルズの内心を見透かしたかの様に、イグニスは言った。


『なに、心配せずとも大丈夫だ。アイツが選んだ者なら、それだけで信用出来る。むしろどんな者を選んだのか楽しみで仕方なかったんだ』


 照れを隠す為か、イグニスは宙に向けて軽く火を吹いた。


『そういうことなら……こちらこそよろしく、イグニス』



◇◇◇◇◇



 王都ティルサのすぐ近くに広がる広大なセルペンスの森。ティルサとは反対の方面に進んでいくと、やがて森は開け、所々に大岩の突き出す不思議な草原へと出る。この草原もバルタニアの領土だが、近づく者はあまりいない。「炎竜の草原」と呼ばれるそこは、巨竜イグニスの縄張りとなっているからだ。そんな草原の上を、白銀の蛇神ミズガルズは進んでいた。既に茜色に染まった上空には、縄張りの主である炎竜イグニスが舞っている。


『見てくれ、あの岩山がオレの今の住まいさ!』


 イグニスが嬉々として叫んだ。ミズガルズの視線の先には、どっしりとした途方もなく巨大な岩の山があった。全体的にゴツゴツとしていて、所々に深い緑色の葉を付けた樹木が根を張っている。山の中腹にはポッカリと空いた大穴がある。恐らく、あそこが竜の巣の入り口なのだろう。


 イグニスは、そのまま飛びながら入っていく。麓からその様子を見て、ミズガルズは思う。自分にも翼があったらな……と。だが、彼は蛇だ。その事実は泣いても笑っても変わらない。羨ましく思いながら彼は冷たい岩肌を登っていった。


『広いな、なかなか』


 岩山の中身をくりぬいた様な空間が、目の前に現れた。そこはイグニスが精一杯翼を広げても、またミズガルズが思い切り身体を伸ばしても、随分と余裕があった。イグニスはすっかり気を抜いた様子で翼を折り畳み、何も知らないミズガルズに昔話を聞かせ始めた。ミズガルズは興味深げに黙って物語に聞き入っていた。

 今でこそ巨竜イグニスはこの平穏なバルタニア王国の平原で悠々と暮らしているが、生まれは大海の彼方にある巨大な別の大陸だった。天をも突くような大火山の下、煙と炎に覆われた灼熱の地で仲間の竜とともに生きていた。

 海を挟んだ向こう側にはイグニスの故郷も含めて、別の巨大な大陸群があり、そこは人間たちからは「魔界」と通称されている。魔界には人間が一人も住んでいない。そもそも濃霧と荒波に塗れた大海が行く手を阻んでいる為、人間が辿り着いた記録もない。そこはまさに魔物たちの楽園で、強力かつ凶悪な者たちが覇権を争っているのだという。つまり、魔物たちによる戦国時代が今もなお進行しているのだ。バルタニア王国を始め人間が暮らす大陸では、魔界で戦乱の時代を終わらせ魔族を平定した者が現れる時、世界が終わりに飲み込まれるのだと言い伝えられている。

 全ての魔物を纏め上げる魔王が誕生すれば魔物と人間の間で大きな戦いが起きるということだ。だが、今しばらくの間はそれも心配する必要のないことだ。魔物はプライドが高く、好戦的で血の気が多い。そんな彼らが種族を超えて自主的に纏まるということはないし、彼らを平定できるような者もそう簡単には現れない。


『……オレもオマエも大変だったんだ。あちこちの勢力から引っ張りだこでな。魔族平定の暁には、広大な所領を与えようだの、魔王に次ぐ地位を約束しようだの……とね。いつも興味がないと断り続けていたんだが、勧誘が止むことはなかったよ』


『……それで、結局戦いには参加したのか?』


 イグニスが出してくれた干し肉を味見しつつ、ミズガルズは尋ねた。イグニスは首を振って、即座に否定した。その首の振りようといったら、骨が折れるんじゃないかと思ってしまう程に激しかった。


『とんでもない。それが嫌だったからオレたちはここに引っ越したのだ。我々が今いる大陸は魔界に比べれば随分小さくてな、激しい海を渡らなければ来れない場所だし、当時から魔物たちは見向きもしないところだったんだ。魔界の喧騒から逃れるには丁度良かったのさ』


 そう言って、竜も干し肉に食い付いた。彼曰く、これは趣味を兼ねたおやつだそうだ。三日に一回は、干し肉作りに精を出すらしい。ほとんどの場合、人間には手を出さず、もっぱら野生の生き物を狩っていると言う。凶悪な見た目をしている割に、イグニスは案外穏やかな竜だった。二頭の魔物はその後も昔話に興じながら独特の風味を備えた干し肉に舌鼓を打っていたが、そんな彼らの平和な時間は突如として終わりを告げた。


 何の予兆もなく、ゆったりとした空気を切り裂くようにいきなり巨大な爆発音が響き、岩山全体を凄まじく大きな振動が襲った。さすがにそれくらいではミズガルズもイグニスもどうってことはない。身体には傷の一つも付いていない。だが……。


『……ま、た、かっ!!』


 真紅の炎竜は激しい怒りに喘いでいた。しかも、その口振りからは犯人に心当たりがあると見えた。ミズガルズという客人がいることも忘れて烈火の如く怒り狂う炎竜に、蛇神は恐る恐る問いかけた。


『またかって、知ってる奴らなのか?』


『知っているも何も! この一月で今日が七回目の襲撃だ。一人も殺さずに追い返すなど、面倒だというのに……。どうして毎回毎回懲りずにやって来るんだ! あの馬鹿貴族と、雇われ冒険者たちめ!』


 次第に竜の口調が穏やかなものから激しいものへと変わっていく。イグニスは不機嫌さを隠すことなく、どすどすと音を立てながら、穴蔵の出口へと向かった。

 怒りの火を燃やす炎竜の視界に映るのは、眼下の草原を占拠する傭兵たちの集団。俗にギルドと呼ばれる組織の者たちだ。彼らは傭兵としてどこの誰からのどんな依頼でも遂行する。要人の警護や薬草の採集、魔物の討伐など依頼の内容は多岐に渡る。今回のような悪竜の退治もその一つだ。


『……オレは悪竜ではない! 何度追い返されれば、気が済む? オレはしばらくの間、人間など襲っていないだろうが!』


 そんなイグニスに返ってくるのは、ある一人の男の若々しい声。


「ふ、ふっはっはっは! 炎竜イグニスよ! 貴様が悪党だろうと何だろうと、そんなことは残念ながら最初から関係ないのさ! このボクが魔物として名高い貴様を倒すこと! それこそが最も重要なのだよ!」


 そうして、男の合図とともに再びギルドの軍団から砲撃が加えられた。巨大な岩山の全体が震え、穴の天井からは細かい土が降ってきた。怒り心頭な様子のイグニスがミズガルズのところへ戻ってくる。


『何がオレを倒す、だ……。ギルドの力を借りているだけだろうがよ』


『なぁ、イグニス。外のアイツらはいったいどこの誰なんだ? 状況がさっぱり分からないんだけど』


 炎竜は鼻を鳴らした。不機嫌なのは、聞かなくても一目見れば明らかだ。それも仕方ないだろう。我が家を砲撃されて怒らないヤツがいるだろうか。きっと、そんな者は世界のどこにもいない。


『アイツらのことか? あれはな……』


 王都ティルサの中心部には、多くの富裕層が住んでいる。商業で財を成した大富豪然り、国一番の踊り子然り、実力一つで成り上がった腕利きの冒険者然り……。そして、その中でも最も多いのが貴族たち。莫大な富を誇り、国の経済や政治に大きな影響力を持つ彼ら貴族は、常に権力を維持して増強する為に、あらゆる面で抜きん出ていなければならない。


『貴族ってのは常に自分たちの権力を保つのに必死なんだ。周りに自分の力を見せつけることにもね。……今、外で叫んでいる若い馬鹿も、オレを討つことで手柄を立てようとしている貴族の一人。その中で一番しつこいんだ。とんだ間抜けだよ、その身一つで竜に勝てるつもりでいるんだから』


 何故、さっさと殺してしまわないんだと、ミズガルズは不思議に思って尋ねた。またまた激しい勢いで、イグニスは首を横に振った。


『アイツはバルタニアでも最も地位の高い貴族のひとつ、エルストンド家の長男なのさ。貴族の嫡男とは思えないほど馬鹿な奴だが……。うっかり傷の一つでも付けたら、ギルドが総出になってやって来る。蹴散らすことは容易いけれど、面倒だろう』


 イグニスは穴蔵の中をオロオロと動き回る。時折、ブツブツと漏れる呟きの一部がミズガルズにも聞こえてきた。


 ……もう駄目だ。我慢の限界だ。引っ越すしかないのだろうか。


『イグニス……』


 ……だが、なぜこちらが引っ越さなければならないんだ? 意味が分からない。


『イグニスったら』


 ……なんだか火を噴きたくなってきた。そうだ! どいつもこいつも燃やしてしまえばいいじゃないか! それでは、早速……。


『イグニス!』


 ミズガルズは堪らなくなって、尻尾で友人を叩いた。その衝撃で、炎竜はようやく我に返る。


『いたた……もしかしてオレは何かヤバいこと言っていたか?』


『まあ、色々と物騒なことをね』


 頭を掻くイグニスに、ミズガルズは提案をした。いつの間にか彼はこの気立てのいい竜を助けてあげたくなっていた。


『俺とお前の両方で出て行って威嚇すれば、びびって逃げるんじゃないか?』


『それだ!』


 嬉々として、尾を揺らすイグニスを見つめながら、ミズガルズは干し肉を飲み込んだ。少しばかりの溜め息も一緒に。

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