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ある夏の日の

 一言で言えば、自分は嫌われ者。


 それが、少年が自身に抱く漠然とした印象だった。誰一人としてクラス内で彼に話しかけてくる者はいなかった。たいていの場合、一般的な高校の一教室内には大人が考えるよりもずっとずっと複雑な人間関係が構築されている。その輪の中に上手く入っていかなければ、後々の学校生活は実りあるものにはなりにくい。教室内の空気に同調しない人間は、クラスメート全員にとって邪魔者でしかないのだから。


 少年はそんな邪魔者の一人だった。彼は教室内の誰とも馴れ合おうとしなかった。単にクールな人間だったというわけではない。クールというよりも彼は無気力で冷めていたのだ。元から人間づきあいが上手くなかった上、自らの希望しない学校に入ってしまったのだから、その後は目に見えていた。その無気力さは日に日に増し、入学から三か月以上が経とうとしている今、彼には友人……いや、知り合いと呼べるような間柄の人間もいなかった。


 窓際の一番前の席。そこから、少年……白神鱗(しらかみりん)は退屈そうに外の景色を眺めていた。だだっ広い校庭では気の早いサッカー部の連中が既に四、五人で練習を始めていた。一人がボールを足元に置き、ゴールに向かってシュートのフォームをとった。彼のスパイクが純白のボールに触れようとした時だった。


「――おい、白神! 白神! ちゃんと聞いているのか? 俺は今、明日の終業式の説明をしているんだぞ!」


 やけに耳障りな声を耳にして、少年は顔を黒板に向けた。そこには仁王立ちしている男が一人。このクラスの担任だった。鱗はこの教師が三年目の比較的駆け出しの若い教師だと知っていた。とにかく曲がったことが大嫌いな性格の新人教師。性格は至って真面目で、熱血。クラス全員で学校の規則を正しく守り、日々志高く生活しよう。そんな信条を掲げている男だった。鱗はこの暑苦しい教師のことを実に偽善的な人間だと感じていた。こういうヤツはたいてい底意地が悪いと相場が決まっているのだと、彼は内心で毒づいた。


「すいません。ちょっと疲れていたので」


 全く興味のなさそうな顔でさらりと言い放つ鱗に、担任は露骨に嫌そうな顔をした。鱗はとっくのとうに知っていた。この男が自分を嫌っていることぐらい。しかし、だからといって取り入ろうとか、媚を売ろうとかそういった気持ちは彼には無かった。別にどうだっていいのだと鱗は鼻で笑った。どうせこの男とも、今この場でさり気なく冷たい視線を送ってきているクラスメートたちとも、あと二年とちょっと程度の付き合いなのだから。大して勉強もしない癖に、鱗は学校など所詮勉強の場であり、馴れ合いの場ではないと心の中で吐き捨てて、また外に目を向けた。


(……くだらね)


 再び見た窓の外に広がる空は、気分が悪くなるぐらい青かった。



◇◇◇◇◇



 息の詰まるようなホームルームが終わってすぐ、鱗は一目散に教室を飛び出した。気分は長い刑期を終えて、シャバに舞い戻った囚人のようだった。生活指導の教師が突っ立っている横を通り過ぎて、校門を抜ける。学校という名の監獄から脱出した後、鱗は解放感を覚えながら校則で禁じられているシャツ出しをした。それも後ろだけ出すなんていう、みみっちいシャツ出しなんかじゃない。前も後ろも、横も全てだ。鬱屈とした気持ちを引き千切るように、鱗は学校指定の白シャツの裾を完全にズボンから引き出した。しかも、上級生の歩いている通学路のど真ん中で。当然、敵意丸出しの視線がザクザクと刺さってきたが、鱗は全く気にしなかった。文句があるのなら、そう言ってくればいいのだとでも言いたげに、ちょっとした緊張感すらも楽しんで、少年は敵地の中をひたすら歩くのだった。


 少年の通うその高校の生徒の大多数は電車を利用して通学していた。だが、鱗は多数派と異なり、珍しい徒歩通学者である。彼は地元の人間なのだ。学生でごった返す駅への主道から一本外れ、鱗は裏路地に入る。あまりに細くて誰も通らないような、地元の人間しか知らない裏路地だ。あちこちに落書きの存在する暗所を抜けると、目の前に広がるのは一面の水田と所々こんもりと盛り上がっている森の塊だった。稲穂の黄緑色と、森の深緑色の絶妙なコントラストが鮮やかで、鱗の心はいささか落ち着いた。


 道すがら水田脇にひっそりと佇む寂れた自販機で、どこのメーカーのものとも知れないサイダーを買い、鱗が向かったのはお気に入りの神社だった。稲の海の端に鎮座するその神社はいつも静かな場所で、鱗の憩いの場だった。最後の試練とも言うべき長い石段を登り切ると、清らかな空気に包まれた境内が目に入った。そんな静謐な場所で安物の炭酸飲料をがぶ飲みする。滑稽な組み合わせだが、少年にとってそれが一番ストレスを発散できるやり方だった。


「フギャアアアアアアアアアアア!」


 少年が古びたベンチに腰掛けようとした時だった。何とも耳障りで、迷惑な騒音が響き渡った。猫だ。理由は分からなかったが、どこぞの野良猫が吠えていた。どうやらそれは鱗の居るベンチからすぐ裏の茂みの中から聞こえてくるらしかった。猫同士のケンカだろう。他の所でやってほしいものだと少年は舌を打った。


「……うるせえな、静かにしろってんだよ」


 片手にサイダーを持ったまま、少年は茂みに踏み込んだ。鱗はタカをくくっていた。どうせ猫同士のケンカならば、人間が割り込んで行って少し脅してやればすぐにどこかに行ってしまうだろう、と。だが、そこにいたのは猫二匹ではなかった。いや、確かにケンカをしているのは猫だった。けれど、もう一匹……猫の相手の方が問題だった。


 ――蛇なのだ。蛇。


 蛇と猫のケンカなんて見たことがない。滅多に見れない光景を前にして、鱗は思わず立ち尽くしてしまう。戦局を見ると、どうやら猫の方が優勢らしかった。白い蛇の方は既にぐったりしていて、頭を猫に思い切り踏みつけられており、文字通り手も足も出ない状態だった。勝者となった猫は、一声「みゃああ~」と高く鳴いた後、牙を剥き出しにして白蛇に喰らいつこうとしていた! それを理解した後の鱗の行動は素早かった。デブ猫に襲い掛かったのだ。


「このっ、やめろ!」


 黒光りする革靴が、ふてぶてしいデブ猫の腹を直撃した。動物愛護団体も真っ青なスーパーキックを喰らった彼(いや、彼女か?)は、意味を成さない呻き声を上げて吹っ飛ばされた。俊敏なはずの猫が宙を飛び、木の幹に打ち付けられ、挙句の果てには向こうの地面にボテッと落ちる姿は滑稽だったが、鱗にとって今はそんなことどうでも良かった。彼にとって問題なのは眼前の白蛇だった。その細い身体はぴくりとも動かない。死んでしまったのだろうか? せっかく助けたのに駄目だったかと少年は眉を歪めた。彼の指が白蛇の身体に思わず伸びた。しかし、毒でも持っているんじゃないかという一抹の不安が、鱗を最後の行動に移させてくれない。無性にもどかしく彼はまた舌を鳴らした。


 鱗がそうやって迷っていると、件の蛇がゆっくりと動いた。身体を震わせ、弱弱しい動きながらも鎌首を持ち上げた。その時、鱗は初めて気が付いた。白蛇の頭部に四本の角が生えていて、また頭の後ろから尻尾の先の少し前まで、背中に金色のひれ、もしくは棘のようなものが連続して生えていることに。既知の種類とは似ても似つかない異様な姿をした白蛇は口先から二股に分かれた舌を出し入れして、血の様に紅い瞳で鱗をじっと見つめた。輝く赤眼に半ば魅入られながら鱗はもしかしたら自分はこのおかしな蛇に化かされているのかもしれないと感じていた。


「お、おお? 何だよ。言いたいことあんなら言えよ」


 気が動転しているのか、どもり気味の口調で鱗は白蛇に凄んでみせた。なんとまあ痛々しいことか。彼の周囲に他に人がいないことは幸いだったろう。制服姿の高校生が茂みの中で蛇に半ば本気で話しかけている光景なんて、失笑しか誘わない。


『よくぞ我を助けてくれた。感謝するぞ、少年よ』


「………………………………ん?」


 その時、押し黙っていた蛇が澄んだ声で鱗に向かって話しかけた。人間の言葉を話した。ついでに礼まで言ってきた。当然、鱗は混乱に落とされた。暑さのせいで、頭が変になってしまったのか。知らないうちに誰かから変な薬でも飲まされてしまったのか。何が何だかさっぱり分からず、鱗は息をするのも忘れて阿呆みたいに口を開けていた。


『少年よ。我は水が欲しい。手に持っているものを、少し分けてくれないか?』


 その日、夏の太陽の下で、少年は非日常の入り口に出会った。

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