表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/32

第11話 三か月分のパンと旅


 ガーデンの町を出てから、三か月が過ぎていた。


 その間、ホムホムはよく歩いた。

 山道を歩き、川沿いを歩き、森の中で道を見失い、脳内マップの上ではまっすぐなはずの場所を、なぜか三日ほど遠回りしたこともある。


 けれどホムホムは、あまり困っていなかった。

 なぜなら、世界にはパンがあったからだ。


 ある町では、石窯の前で座り込んでいる料理人に出会う。


 その料理人は、自分には才能がないのだと項垂れていた。

 何度焼いても、隣町の料理人のように客を笑顔にできない。

 新しい料理を作っても、誰も振り向いてくれない。


 もう包丁を置こうかと思っている。

 そんなことを言っていた。


 ホムホムは彼の作った煮込み料理を食べた。

 熱くて、舌を火傷しかけて、少し塩辛い。


 けれど、具材は丁寧に切られているのが分かった。

 肉は柔らかく、野菜には形が残っている。

 そして何より、食べた人に温かくなってほしいという気持ちが、鍋の底からゆっくり上がってくるような味だった。


 だからホムホムは、空になった器を見つめて言ったのだ。


「これにはパンが足りていないだけです」


 料理人は泣きそうな顔のまま、意味がわからないという顔をした。


「あなたの料理には、明日を目指した勇気の味がありました。私は、あなたの敗北を認めたくありません」


 そしてホムホムは、近くのパン屋から分けてもらった硬いパンを、煮込みに浸して食べた。


「完璧です。ほら、勝ちました」


 その日から、料理人が包丁を置き俯くことはなくなったという。


 別の村では、道端で転んだ子どもに出会った。


 子どもは膝を擦りむき泣きながら、もう歩きたくないと言っていた。

 家まではほんの少しの距離だったが、子どもにとっては世界の果てほど遠かったらしい。


 ホムホムは子どもの前にしゃがみ込んだ。


「パンを食べますか?」


 子どもは泣きながら首を傾げた。


「きっとあなたには、パンを食べる才能があります」


 そう言って、ホムホムは自分の布包みから小さなパンを取り出した。

 半分に割ると、少し形が歪んだ。

 なので、ホムホムは公平さを保つため、さらに細かくちぎって調整した。


 子どもは涙でぐちゃぐちゃの顔のままパンを食べた。

 そして少しだけ笑った。


 ホムホムは満足げに頷く。


「才能が開花しましたね。もはや家までの距離など、敵ではありません」


 その子は、パンを持ったまま家まで歩いた。


 そういうことが、三か月の間にいくつもあった。


 ホムホムは町から町へ歩き、そのたびにパンを食べる。

 丸いパン、黒いパン。

 時には薄く伸ばして焼いたパンもあった。


 変なところだと、やたら硬いパン。

 驚いたものだと、中に豆が入っていて、噛むたびにほろほろ崩れるパン。


 どれも違う味だった。


 けれど、どのパンにもそこには人の明日があった。

 朝起きて、粉をこねて、火を入れて、誰かに食べさせようとする人間の熱があったのだ。


 だからホムホムは、旅を続けていた。


 今も、彼女は田舎道を歩いている。


 道と言っても、土が少し踏み固められているだけの細い道だ。

 左右には背の低い草が揺れ、遠くには小さな森が見える。

 空は青く、雲はゆっくり流れていた。


 ホムホムの格好は、ガーデンの町を出た時からあまり変わっていない。


 薄い金色の髪は長いまま。

 服は相変わらず簡素で、旅の途中で少し補修した跡がある。

 足には神父にもらった靴を履いているが、少し大きかった靴は三か月の旅でだいぶ馴染んできた。


 腰には騎士の剣。

 肩には小さな布袋。

 中には、昨日の村で貰った固焼きパンが入っている。


 ホムホムはそれを時々取り出して、もきゅもきゅとかじった。


「む。昨日より硬さが増しています。成長期でしょうか」


 パンは答えない。

 だがホムホムは、これはこれでよいことだと思った。


 硬いパンは、長く食べられる。

 長く食べられるということは、長く明日を支えられるということだ。

 つまり、このパンはなかなか偉い。


 そう結論づけていると、道の向こうから荷馬車を引く老人がやってきた。


 老人はホムホムの剣と奇妙な服を見て、少し驚いた顔をしたが、すぐに会釈をした。


「嬢ちゃん、一人旅かい。どこへ行くんだ」


 ホムホムはパンを飲み込み、真面目な顔で答える。


「騎士のいる町です」

「騎士? 騎士っちゅうと、あれかい? ゼグラント辺境伯の……」

「はい。正式な騎士です」


 その言葉だけ、ホムホムの声が少し強くなった。


 昨日の村で聞いたのだ。


 この先には、ゼグラント辺境伯の治める大きな町がある。

 王国の端にあるその領地は、他国との国境に近い。

 だから王国から正式な装備を支給され、辺境伯家には本物の騎士団があるらしい。


 ──本物の騎士。


 それを聞いた時、ホムホムの胸の奥は、ぱっと熱くなった。


 ガーデンの町には騎士はいなかった。

 領主の衛兵や自警団はいたが、王国から正式に任じられた騎士ではないと聞いていた。


 けれど、この先にはいる。


 それはホムホムにとって、ただの身分ではなかった。

 鎧を着て、剣を持ち、誰かの明日を諦めなかった人。

 水槽の向こうで、最後まで膝をつかなかった人。

 最後には、自分に青空を見せられなかったと泣いた、ホムホムの最初の主人公。


 その人と同じ言葉を持つ者たちが、この先にいる。


 楽しみにしないはずがなかった。


「騎士がいるのです。きっと、ものすごく騎士でしょう。もしかすると、無敵なのかもしれません」

「そりゃあ、騎士なら強いだろうなあ」


 老人はよくわからない顔で笑った。


「ゼグラントの騎士団は強いって評判だ。辺境の魔物も、山賊も、あの連中がいるから大人しくしている。まあ、嬢ちゃんみたいな子が一人で歩く道じゃないが」

「大丈夫です。私はホムホムです」

「それは大丈夫の理由になるのかい?」


 老人はさらに困った顔をしたが、干し果物を一つ分けてくれた。

 ホムホムはそれを受け取り、深く頷く。


「ありがとうございます。あなたには干し果物を配る才能があります。いずれ大成するでしょう」

「あははは。この歳でかい。そりゃどうも」


 朗らかに笑った老人の荷馬車が、徐々に遠ざかっていく。


 ホムホムは干し果物を少しかじり、すぐに固焼きパンと一緒に食べた。

 すると突然、甘みが増した気がする。


「おそらく、組み合わせの勝利でしょう。この干しものには見込みがあります」


 そう呟いた時だった。

 風の向こうで、何かが鳴る。


 金属がぶつかる音と、馬の嘶き。

 誰かが必死に命を繋ごうとする、鋭い声。


 ホムホムは足を止めた。


 頭の奥の魔導マップが、周囲の地形を広げる。

 道の先に馬車が一台、さらに人間の反応が複数。

 それを囲むように、濁った魔力を持つ反応が大多数。


 古い時代なら、汚染獣と呼ばれていたもの。

 しかし今の時代では、魔物と呼ばれている存在。


 ホムホムは無表情のまま、僅かに赤い瞳を細めて前方を睨みつけた。


 おそらくこの先には、戦いがある。

 そして、その中には諦めていない人の光があった。


 次の瞬間、もうホムホムは走り出していた。


 森の縁に出た時、そこには緑色の人型が群がっていた。


 背は人間の大人ほどだが、やけに筋肉質だ。

 皮膚は苔のように濁った緑色で、口元からは鋭い牙が覗いている。

 手には粗末な棍棒や錆びた刃物を持ち、ぎゃあぎゃあと耳障りな声を上げていた。


 その数は五十を超えている。


 馬車は道の中央で止まっていた。

 車輪の片方がぬかるみに取られ、逃げようにも動けない。


 その周囲で、数人の騎士たちが剣を構えていた。


 彼らの鎧はよく手入れされている。

 肩にはゼグラントの紋章らしき意匠があり、剣の構えにも迷いがない。

 一対一なら、緑の魔物に遅れを取ることは決してないだろう。


 実際、騎士の一人が踏み込み、魔物の腕を斬り落とした。

 別の騎士が馬車の反対側で盾を構え、飛びかかってきた魔物を押し返す。


 彼らはとても強かったが、相手の数があまりに多すぎた。

 馬車を守りながらでは、動ける範囲も限られる。

 一匹を斬れば、別の三匹が隙を狙う。


 魔物は騎士を倒せなくても、馬車の扉へ爪を伸ばせばいいと理解しているようだった。


「ゴブリンウォーリアー共を、扉に近づけるな!」


 隊長らしき騎士が叫ぶ。


 その声に、馬車の中で誰かが息を呑んだ。

 小さな窓の奥に、白い手袋をした手が見えた。


 そこにいるのは、ただの荷物ではない。

 騎士たちが命をかけて守っている誰かだ。


 しかしそれが弱点であると示すかのように、緑の魔物が笑うように鳴いた。


 隊長の肩に傷が走り、血が鎧を濡らす。

 それでも彼は一歩も下がらない。


「お嬢様に、指一本触れさせるな! 騎士がこんなところで、諦めるんじゃないぞ……!」


 その怒声にも似た命令に、騎士たちが誇り高く応じる。


 声は乱れていたし、もう息も荒い。

 腕も度重なる連戦で、かなり重くなっている。


 けれど、その瞳は折れていなかった。


 馬車を背にして彼らは立つ。

 怖くないはずがないし、死を考えないなんて無理だ。

 それでも、誰も膝をついていない。


 ホムホムは、その光を目に焼き付けた。

 そして夢の中の騎士を思い出す。


 目の前の騎士たちは、あの人ではない。

 名前も時代も違うし、守っているものも違う。


 それでも、背中の形が似ていた。

 だってそれは、諦めない人の背中だった。


 ホムホムの胸の奥で、どくん、どくん、と心炉が熱を帯びる。


 二度も、騎士が負けるところを見るのは嫌だった。


 あの時は、隣で戦えなかったかもしれない。

 声も出せず、水槽の中で見ていることしかできなかった。


 でも今は違う。


 ホムホムには兵器として生まれた足と、無敵の主人公から受け継いだ、剣がある。

 そして何より、彼から受け継いだ、赤い瞳に灯る熱がある。


 その熱の名前を、人は勇気と言う。


「いきます」


 誰に向けた言葉でもなく、ホムホムは地面を蹴る。

 その瞬間、騎士たちの視界から緑の絶望が消えた。


 いや、消えたというより、砕け散ったと言うべきだろう。


 最初に落ちたのは、馬車の扉に爪をかけようとしていた魔物の首だった。

 それが地面に落ちるより早く、別の魔物の胴が斜めに割れる。

 さらに三匹、四匹、五匹。


 何が起きているのか、騎士たちには全く見えなかった。


 ただ戦場には、どこかパンの香りがする風が吹いていた。


 金色の髪が光の線のように走り、赤い瞳が夜明け前の火のように揺れる。

 剣の軌跡だけが、草原に銀の傷を残した。


 緑の魔物たちが悲鳴を上げる暇もなく崩れていく。


 森の縁へ逃げようとした群れも、次の瞬間には斬り伏せられていた。

 馬車の下へ潜り込もうとした一匹は、いつの間にか背後に回っていたホムホムに足を踏まれ、首根っこを掴まれ、そのまま遠くの木へ投げられた。


 ホムホムは少しだけ考える。


「今のは斬撃ではありません。投擲です」


 そんなこと、今は誰も聞いていなかった。

 最後の一匹が、恐怖に濁った目で棍棒を振り上げる。


 ホムホムの赤い瞳が、もう一度脈打った。


 どくん、と。

 次の瞬間、最後の一匹となる緑の絶望は、自分が死んだことにも気づかずに脳を焼き尽くされていた。


 そうして最後の一匹がドサリと倒れると、五十を超えていた緑の魔物は、ものの数秒で動かなくなるのだった。


 どこか場違いな、平和すぎるパンの香りが辺りに漂う。


 騎士たちは剣を構えたまま固まっていた。

 誰一人として、すぐには状況を理解できないのだ。


 だがいくら強かろうとも、見るからに人間である少女が彼らを助けたのは見れば分かる。

 緑の絶望ことゴブリンウォーリアーが全滅したのを確認して、隊長がゆっくりと周囲を見回す。

 どうやら、もう援軍はいないようだった。


 ホムホムは剣についた魔物の血を軽く振り払い、それから騎士たちを見た。


 その表情には、不甲斐ない騎士たちへ向ける怒りも失望もない。

 ただ、どこか眩しいものを見るように、赤い瞳を細めていた。


「あなた方は、とても眩しかったです」


 隊長はなんと返すべきなのか迷う。


 礼を言うべきなのだろうか、それともまずは、名を尋ねるべきなのだろうか。

 どこの所属か、何者なのか、どうしてここにいたのか。


 聞くべきことはいくらでもあるが、その前に馬車の扉が開いた。


 中から現れたのは、旅装の少女だった。

 年はホムホムより少し上に見える。

 淡い栗色の髪を肩のあたりで結び、服は旅装ながらも上質。

 白い手袋をした指が、扉の縁を強く握っている。


「あなたが、助けてくださったのですか」


 その声には、まだ恐怖の震えが残っていた。

 けれど、彼女の目はまっすぐホムホムを見ている。


 ホムホムは少し首を傾げた。


 自分は助けたのだろうか。

 たしかに状況的にはそうだ。


 しかしホムホムとしては、騎士が負けるところを見たくなかったし、馬車の中の人が明日を奪われるのも嫌だった。

 なので、だいたい助けたということでよいのだろうと思い直す。


「はい。たぶん助けました」


 隊長がようやく我に返り、剣を収める。

 そして深く頭を下げた。


「感謝する。あなたが来なければ、我らは持ちこたえられなかった。名を聞かせてほしい」


 その時、ホムホムは内心でわくわくしていた。

 だって正式な騎士が、自分に名を尋ねているのだ。


 その気持ちはまるで推しヒーローに出会った子どものごとく、目を爛々と輝かせて、ふんす、ふんす、と鼻息を荒くしている。

 それも、あいかわらず無表情で。


 完全に不審者のそれである。


 だってしょうがないのだ。

 ホムホムの胸の奥では、ずっと何かがむずむずと動いている。

 これはきっと、かなり大切な感情だ。


 だから彼女は、三か月の旅で磨き上げた自己紹介を披露することにした。


 ホムホムは胸を張り、自信に満ちた声で宣言した。


「私はホムホム。スーパーホムンクルスです」


 騎士たちは、誰一人として意味を理解できなかっただろう。

 しかし、馬車のそばで再び風が吹く。


 薄い金色の髪が揺れ、ホムホムの赤い瞳が朝の光を受けてきらりと光った。

 そして彼女は、もう一度だけ騎士たちを見て、満足そうに頷く。


「完璧に決まりました。私は自分の努力が恐ろしい」


 ゼグラント辺境伯領へ続く道の上で。


 三か月分のパンを食べてきたホムンクルスの少女は、また一つ、人間を好きになる理由を見つけたのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ