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第八話:朝の空気に溶けた気持ち

コンビニを出ると、朝の空気が少しだけやわらかくなっていた。


ビニール袋を片手に持ちながら、湊さんが言う。


「……どっか、座れるとこある?」


「この先に、少し大きな公園あるよ。広場みたいなとこやけど」


そう言うと、湊さんは「いいね」と短く笑った。


公園はまだ誰もいなくて、ブランコも滑り台も静まり返っている。

ベンチに腰を下ろすと、木の間からこぼれる光がちょうど足元に落ちた。


缶コーヒーを開ける音が、やけに大きく響く。


「こんなふうに穏やかに過ごす朝って、いいよね」


湊さんが、前を見たまま言う。


「わかる……ちょっと贅沢してる気分になる。今、すごく幸せかも」


自分で言っておいて、少しだけ恥ずかしくなる。


でも湊さんは、ふっと息を漏らすように笑った。


「そうだね」


ベンチに並んで座り、朝ごはんを食べながら、他愛のない話をする。


「野菜はね、ナスが好きなの。でも周りにあんまり好きな子いなくて、あんまり食べんかも…」


「え、ナス好きなの?珍しい。俺も野菜で一番好き」


「え!うそ!嬉しい!!」


「ナスのパスタとかあると、よく頼む」


「私も!パスタ大好きやから、よく食べに行くんやけど、絶対ナス入ってるやつ!」


どうでもいい話なのに、ひとつ共通点が見つかるたびに、胸の奥が少しだけあたたかくなる。


「お姉ちゃん2人いるんだ。三姉妹の末っ子なの」


「そうなんだ。俺は姉貴が1人」


「じゃあ末っ子同士やね。なんか嬉しい」


「心春は末っ子って感じする」


「えー、どういう意味?」


そんなやりとりすら、特別みたいに感じてしまうのが、もうだめだと思った。


しばらく話したあと、少し間が空いて、湊さんがぽつりと続けた。


「……俺さ、昔は結構荒れてたんだよね」


「そうなの? ……あ、だからタトゥー…?」


「心春は荒れたことなんてなさそう。俺の周りにはいないタイプ」


「……そうなの?」


さっきまで近づいたと思っていた距離が、ほんの少しだけ遠くなった気がした。


「俺なんかが関わっていいのかなって、思うくらい……」


淡々とした言い方なのに、言葉だけが重く胸に落ちてくる。


「……でも」


湊さんは、私をまっすぐ見て言った。


「心春が、俺に近づいてくれたから」


……そんなふうに言われたら、もっと近づきたくなる。

あなたの心の中に、入りたくなる。


「……どんな過去があるのかはわからないけど、今の湊さんは素敵だって、私は思ってるよ」


「……ふっ。心春ってほんと……」


「え?」


湊さんは、ほんの少し困ったように、それでも優しく笑った。


——こんな顔もするんだ。


気づけば、もう一時間以上話していた。


「あ、もうこんな時間か。そろそろ戻ろう」


澪と拓実さん、起きてるかな。

ベンチを立って、ホテルの方へ歩き出す。


昨夜のキスも、

今こうして隣に並んでいることも、

全部、偶然が重なって生まれた奇跡みたいなもので。


今日が終わったら、きっと元の日常に戻る。

期待してしまったら、きっとあとで苦しくなる。

九州と関東。旅先の出会い。

この先なんて、あるはずがない。


この人にとって私は、旅行先でたまたま出会った一人の女の人でしかない。


……だから、今だけでいい。


この時間が、綺麗なまま終わるなら、それでいい。


そう思っているはずなのに。


だからこそ、今この瞬間が、どうしようもなく、愛おしかった。

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