ペルセポネの講義「夭折.若くして亡くなるということ」
夭折という言葉にはどこか、悲しい響きがある.不本意に若く亡くなった心の叫び?
「もっと生きたかった・・・」
「まだまだしたいことがあった・・・」
「もっと勉強したかった・・・」
「やっと仕事が楽しくなってきたのに・・・」
「経験できなかったことが多すぎる・・・」
「私が今、死んだら、親が、兄弟が、友達が、恋人が、悲しむ・・・」
「愛する人たちともっと一緒にいたかった・・・」
しかし、夭折という言葉には、また、
神々の祝福?
慰め?誰に対して?
怒り、運命とか、神々に対する、
そういったものが感じられる.
私だけであろうか?
「ハーデスや、冥界の女王の私が、若い人に押し付ける理不尽?」
怒りの矛先を、私たちに向けたくなる気持ちはわかります、しかし、私たちには、そんなつもりは、運命は私たち夫婦にもどうしようもないものなのですから・・・・
今日は、珍しい講義である.冥界の女王、ペルセポネの講義である.
演題は、「夭折について」副題に、「若くして亡くなるということ」、とあった.
会場は、例によって、別館の講義室である.
彼女が、現世にいる間にあったのだろうか.
もともともの物静かな女性であるペルセポネの語る言葉である.
「そもそも夭折、とは若くして亡くなることではあろうが、いくつになくなったら、夭折と言われるのだろうか?」
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5歳まで?10歳まで、20歳まで?それとも30代?
しかし、30代でなくなった偉人、夭折とは言わない気がする.
広辞苑という分厚い国語辞典を見てみる.
「歳が若くて死ぬこと」とあっさりとした記載である.若いとはいくつまで?
他の辞書をあたってみようか.講談社の日本語大辞典という本を見てみる.ここでも「若死すること」そのままである.
crown和英辞典を見てみようか.そもそも夭折という言葉が載っていない.
じゃ、Google翻訳は?
夭折(日本語)⇨early death(英語)
そのままか・・・なんかがっかり.
言葉のイメージの問題なのかもしれない.
夭折した人、誰がいますか?
日本の歴史では、
源義経?
平敦盛?
安徳天皇?
世界に目を移してみると、
エヴァリスト・ガロア?
フランスの数学者で、群論に関する本を書いた、同時代には受け入れられず、19歳で決闘によりなくなった.
「アルフレッド、泣くな.僕も、勇気がいる.二十歳で死ぬんだからな・・・」
彼のことを書いた、ノンフィクションに「神々の愛でし人」という作品がある.筑摩書房から出ていた、世界ノンフィクション全集という本にあった.レオポルド・インフェルトという人が書いて、市井三郎という人が訳している.
ニールス・アベルも若くして亡くなった数学者である.26歳で亡くなったらしい.
一方、
ローマの皇帝、
カリギュラ、28歳.
ネロ、30歳.
しかし皆彼らの死を「夭折」とは言わないで、「自業自得」というかもしれない.
誰かが、彼らの死を惜しんだということがなかったとしたら.
背教者ユリアヌスは?32歳、ペルシャとの戦争で亡くなった.彼は夭折した、というか?今ひとつピンとこないのだが.
アレキサンダー大王も32歳、東方遠征中に亡くなった.彼のこともあまり夭折とは言わないかもしれない.
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石川啄木 26歳
宮沢賢治 37歳
金子みすゞ、26歳、服毒自殺だとか.長らく忘れていたらしい.詩人である.
彼女の詩は国語の教科書に載ったらしい.
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
短い命を燃焼し尽くした人々、故に人の心を打つのかもしれない.
「彼らの生き方を見て、自分の生き方、見直してもいいのかも・・・」
夭折という言葉にはどこか、私たちの心を揺さぶる、響きがある.不本意に若く亡くなった魂の震え?
冥界の女王として、死と冬の忍耐を自ら実践する、春と花々と再生の女神、ペルセポネの講義はこれで終わりである.
静かに始まり、静かに終わった.
そして、彼女の言葉は静かに聴衆の心に刻まれた.




