病魔の試練②「行くな、愛ちゃん、戻ってこい!」
健ちゃんはママと一緒に病院に来ていた.今日は、手術後の愛ちゃんはICUにはいるから、まだ会えない.パパが、手術室の前で待っている、ママと、健ちゃんのところに来て、話をした.
「うまくいったよ、愛ちゃんすぐげんきになるよ」
不安そうな、ママと、健ちゃんの顔がみるみる歓喜の表情に変わったのはいうまでもない.歓喜ではなく安堵の表情かもしれない.手術は、5時間ほどで終わった.
朝から始まったので、これで一休みと行きたいところだが、患者は愛ちゃんだけではないのだ.救急車も来るし、今日は外来は大学の先生に変わってもらったが、入院の患者がいると回診に行かないとダメだ.処置もある.こどものMRIを撮るときは、点滴をとって、自分でやってダメなら小児科の看護師さんに頼んだり、小児科の先生に頼んだりして点滴をさしてもらう.ほぼ検査の間、つきっきりである.
入院患者は大人の患者、子供の患者、皆合わせたら、何人いるのだろう、多くても40人にはならないはずだが、術後の患者が多くなると、途端に忙しくなる.ドクトルはなるべく、より大きな大学とか、国公立の病院に患者を送ることが多い.それでも20人からの患者を抱えているのが普通である.
留学前の健ちゃんパパは大学病院に籍を置きながら、週のうちの3日ほどはドクトルの病院で仕事をしていた.留学が決まって、急遽、後任に誰かを、と教授に頼んだが、人がいないから、と、しばらくはドクトルと研修の先生だけになった.小児の脳外科患者はよその病院で見てもらうことにしていた.
午後4時頃になって、やっと一息、健ちゃんパパはママに持ってきたもらった、カロリーメートとゼリーと売店で買ってきたお茶を飲んでいた.ドクトルも売店のサンドイッチか菓子パンがお昼ご飯ということが多い.それが一番めんどくさくなくていいのだ.弁当を毎日とる先生もいるが、時間がなくて、食べられなくて残して廃棄というのはフードロスの観点からよろしくないから、毎日弁当を届けてもらってそれを昼の決まった時間に食べる、ということをドクトルは医者になって数十年というものしたことがない.ずっと、今と同じスタイルの昼ごはんを続けていると言っていい.
「先生、まだお昼は菓子パンですか?」
「健ちゃパパも、相変わらず、カロリーメートとゼリーですけどね」
「まあ、これが一番めんどくさくなくていいんですけどね」健ちゃパパ、初めのうちはママに弁当を作ってもらっていたのだが、いつ食べられるかわからない、作ってもらったお弁当、夕方に食べるとか、家に帰って食べるとかが続いてから、ママと相談して、結局お昼のご飯は、その時々で都合してください、ということに落ち着いたようである.
「しかし、娘の病気、メデュロ(髄芽腫のこと)で良かったというわけでないのですが、これが、ポングリだったらどうしよう、違って良かったというのが落ち着いてみれば正直な気持ちです.でも今回の病気、病理の結果ですね.AT/RTだったら、それこそ・・・」
「そうでないことを祈るばかりですかね.最近いろんなことがわかってきたから、自分が大学にいたときとはまた全然違ってきてますね、脳腫瘍の治療」
「そうですね、私が入局したとき、先生に教わった、脳腫瘍の病理型、多いのが『oligoastrocytoma』でしたからね」
「今じゃ、そんな脳腫瘍は、ないということになっている・・・・コングレスで脳腫瘍の分子診断とか、ヒストンの異常という話を聞いて本当に面食らいましたよ.」
「分子標的治療も有望でしょうかね、先生、今では、meningeal carcinomatosis,チロシンカイネース陽性のタイプだったら、オシメルチニブ使って3年生きるみたいですよ」
「meningeal carcinomatosis、診断がついて患者さん亡くなるまで、数週間でしたけどね.」
午後は病棟回って、救急もなかったので仕事はそれほど遅くない時間に終わった.
「愛ちゃんパパは、今日は病院泊まって行きますか、それとも家に帰る?」
「今日は泊まって行こうと思います.娘のことが心配ですしね、主治医でもありますから」
「そうですか、医局のベッドいくつか空いてると思いますよ.食事はどうします、検食と同じご飯、栄養科に言っときましょうか?」
「あのお気遣いなく、ベッドは処置室でいいですし、食料の数日分は用意してきましたし、病院のコンビニ、24時間営業みたいだし、おや、無人決済ですか、いつの間に.シャワー、手術室のを使えますよね、大学の時だと、大浴場、お湯が溜まってますけどね」
「シャワーとお風呂も自由に使ってください、当直医用の他に手術室もお風呂ありますしね」
病院でパパの話を聞いた後、けんちゃんとママは、はるなの家に寄った.今日はここに泊まってく?と言われたので、お言葉に甘えて、ということになった.
愛ちゃんの手術が終わった頃、そわそわしているのはキューピーと海丸と、ヘルメス、アポロン、アルテミスだ.愛染の母ちゃんもなんか落ち着きがない.ルシフェルの親父はでーんと腹を出して横になって、寝転がっている.
「なんだお前ら、ちっとは落ち着けよ」皆余計にそわそわする.
「お父さん、そういうところですよ、なんでそんなに落ち着いているの、それに行儀悪い、はしたない」アルテミスがなじる.後からアテナと、四天王もやってきた.
キューピー、海丸が一生懸命お願いしている.それでさ、ルシフェルのおじさん、こういう時、僕たちは、誰にお願いすればいい?
「アポロンのおじさん?」うーんなんか軽めだし
「ルシフェルのおじさん?」あーダメダメもっとだめだ、なんか危ない感じだし、アルテミスも、アテナもちょっと専門違うみたいだし、ヘルメスは、お願いの手紙届けるのが専門だし、ヘパのおじさんとか、ヘスティアおばさんも一緒にそわそわするばっかりだし、こんな時、アスクレピオスのおじさんがいれば、と思うんだけど「冥界」のことにかかりっきりだし、いったい誰にお願いすればいい?
雪たちも、誰が、愛ちゃんのこと守ってくれるのか心配そうにしている.
「誰か、愛ちゃん直して」
「誰か治して、お願い」
「誰か愛ちゃんのこと助けて」
と皆いっせいにささやくのだが.
そしてさらに困ったことに、冥界の王であるハーデスも、その王妃であるペルセポネも愛ちゃんのことが可愛くて仕方がないのだ.
「ハーデスのおじさんとペルセポネ、愛ちゃんのこと連れてくって言わないだろうね、それ絶対ダメだからね.」海丸くんは必死だ.彼は勉強家だからギリシャから古くから伝わる言葉を知っている.
(神々の愛でしひとは夭折する・・かわいい子だ、)
「だめだ!」
(神々の愛でしひとは夭折する・・この子は、連れて行く、)
「ハーデェス、愛ちゃんはダメだ!!」
(神々の愛でしひとは夭折する・・おいで、こちは楽しいよ)
「冗談じゃなーい!!!」
皆が、海丸くんの方を見た.
海丸くんが心の中で叫んだのと同時に、地上にいる皆は少し揺れたかなと感じる程度、だったらしい.3度の揺れを感じた.地上では大したことがない揺れだった.
しかし、冥界では、大騒ぎになったらしい.3度大きな揺れがあり、王宮の天井がおち、エンタシスの柱は折れて、門と城壁が何箇所か崩れたらしい.後でペルセポネから聞いた話である.
病院では、夕方、パパがドクトルと一緒に、愛ちゃんの部屋に様子を見に来ていた.3度小さい地震があったが、病院の機能には全く異常がない.物が落ちたり、壊れたりも、しなかった.
あいちゃんがうっすらと目を開けた.
「愛ちゃん、手術はうまくいったよ・・・」パパが話しかけた.
パパを見ると、安心したようにまた愛ちゃんは目を閉じた.
「あのな、お前ら、俺らは、なんにもしなくていいんだよ」ルシフェルは続ける.「だって手術をしてくれたのが誰だと思ってんだい.愛ちゃんのパパとドクトルだよ.あいつらに神々の助け、なんていらねえ、デーンと大船に乗ったつもりで任せときゃいいんだ」
それもそうか、みんなルシフェルの話を聞いたら、なんか安心した.その夜は皆、ぐっすり眠れた.ここ数日は皆心配で夜もよく眠れなかったのだった.




