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精霊と兄妹②「健ちゃん、お兄ちゃんになる」


 ある日の夕方、外出していたはるながドタバタ足音をたてながら、帰ってきた.息を切らしている.居間にはルシフェル、ドクトル、海丸にキューピー、愛染の母さんと、珍しく今日は、アルテミスがいる.ここ数日、彼女ははるなの家に待機している.何が起こるのか?アルテミスは月の女神で狩の神様でもある.そしてもう一つ、お産全般を司る神でもあるのだ.

 

 そう、いよいよ、健ちゃんがお兄ちゃんになりそうなのである.


「陣痛が来たって、健ちゃんのママ、病院の分娩室に入った、早ければ今日の夜.」

「おっしゃー」ルシフェルがいう.孫が生まれるときの爺様である.

「ではそろそろ参りますか」ドクトルは、健ちゃんのお父さんと知り合いである.健ちゃんのお父さんもお医者さんなのだ.海丸、キューピーの二人は、誰にかわからないが、一生懸命お祈りしている.自分らも神様のくせに.そして今日はもう一人、オリンポスから、珍しい人が、というか、初めて、あのお方が来ている.神々の女王、といえば、そう、あの「ヘラ」様だ.彼女は結婚の神であるから、お産も彼女の管轄なのであろうか.怖い女王様、であるのは旦那がよそでこさえた女が出産するときだけである.その他の結婚、妊娠、出産は、ほとんどが、彼女の管轄領域なのだった.


「いよいよですね、さあ、アルテミス行きますわよ」アルテミスのお母さんもヘラには酷い仕打ちを受けたのだが、仕事と個人の事情は別である.アルテミスは、ヘラに従い、気を引き締めた.鹿やら、猪やら、クマやら、猿やら、獣たちのお産はそれほど難産にならない.しかし、人間の出産は特に難しい、そしてリスクが高いのは、ヘラとアルテミスに言わせると、人間の知能が発達して、二足歩行をするかららしい.「科学博物館に行って、猿と人間の骨盤の形を比較してみなさい、体幹と大腿の角度を180度に近づけるため、無理矢理に骨盤を90度ひん曲げた分、人間の産道は特に狭くなるのです.蛇足かもしれませんが、腰椎を前にそっくりかえらせた分、人は腰痛に悩むのです.さらに、人間が他の動物と比べて、特に早熟で生まれる理由は、頭が成熟してから生まれると、大きな頭が骨盤の隙間を通れなくなるからです」皆、いつになく雄弁な、アルテミスの講演に「おー」と声を上げた.

「私も、聞いたことがある気がするのですが、アルテミスさんがいうと、ほんとにそうだったんだ、て思えますね」ドクトルが口を挟むと、

「はいみんな、ぺちゃくちゃいってない.これから、いざ、出陣!」ヘラを先頭に皆で病院に向かう.そのままの姿だとなにぶん目立つので、めいめい当たり障りのない姿に変身したり、姿を消したりして、健ちゃんのママの出産に立ち会った.ヘルメスが近くでおろおろ、あっしはどこに伝令に行けばいいんで・・・・


 健ちゃんはお兄ちゃんになることがわかった時、遠くに出張中のお父さんは、名前を決めていた、男の子なら・・・、女の子なら・・・、と.

ご両親、担当の産婦人科の先生に、男の子か女の子わかるんですけど、知りたくないですか?二人は声を揃えて、「楽しみは取っておきます」と言ったそうである.


 赤ちゃんは女の子で、お父さんの考えていた通り「愛子」と名付けられた.

 「健ちゃんの妹、愛ちゃん?」健ちゃんははるなに聞く.はるなは、膝をかがめて、まっすぐ健ちゃんの目をみて頷く.ガラスの向こうで、愛ちゃんを抱っこしているお母さんがピースのサインをしている.健ちゃんもピースを返した.

 雪たちにも早速報告した.「雪たちに、健ちゃんの声届くかな?」

彼らは今、カーテンを閉め切って風通しだけが良い部屋の中にいる.5月以降あまり会いにいってない.

 健ちゃんは心の中で友達に話しかけた.

「けんちゃん、お兄ちゃんになったんだ、妹、あいちゃんって言うんだよ」

「けんちゃんすごい、けんちゃんお兄ちゃん、あいちゃんのお兄ちゃん」


 皆が、愛ちゃんと直に対面するのは数日後のことであった.

「愛ちゃん」は生まれて数日後にはすでに、神々のアイドルになっていた.いつも怖いかををしているヘラ様、愛ちゃんを見ると、すごく優しい顔になる.怒った顔をしてない時のヘラ様は聖母のようだ.ヘラ様を怒った顔にさせるルシフェルが全て、悪いと言うことになる.やっぱりひでえ亭主だってことだ、誰が言うともなく、思うともなく.

 普段は硬い表情のアルテミスも、柔和な顔つきだ.ルシフェルは、愛ちゃんに頬擦りして、「おう、お前、人間の子供、うまそうだなー」と冗談で、牙を剥いてみたりする.目が笑っているから怖くないのだが、皆が「だめーと」と一斉に止めに入る.はるなはハラハラ.お母さんは苦笑いである.

 愛ちゃんはまだ、目を閉じたままで、笑ったりはしない、まだ泣くか、寝るだけである.時々おっぱいを飲む.寝る.お腹が空いたら泣く、おっぱい飲んだらまた寝る、の繰り返しである.7月の初め.今年の梅雨は短く、これから本格的な夏が来る.愛ちゃんはみんなに見守られて、今もすやすやと寝ている.


 秋になった.デメテルの田んぼは、黄金色になり、稲刈りを待つばかりである.秋の野菜もぼちぼちと収穫が始まっている.

 今日は、愛ちゃんと健ちゃんがはるなのうちに遊びに来ている.雪割草たちは、まだカーテンを閉め切った部屋にいる.秋の深まりと冬にかけて少しずつカーテンを開けて光が入るようにしていくことになる.健ちゃんと雪たちは会話は今まで通りできる.健ちゃんはお兄ちゃんになったから、ゆきたちと話すことも少し大人になった、かもしれない.


 はるなは子供と雪たちの会話を聞いている.そよそよと優しい、風の音、小さな鈴の音、耳を澄ますとひそひそと話し声が聞こえる.


「あいちゃん、可愛い」

「けんちゃん、お兄ちゃん」

「けんちゃん、あいちゃんのお兄ちゃん」

雪割たちのたちが順番に挨拶する.


「けんちゃんお兄ちゃんになったから、今日もうんち一人で行った」

「おおー!!」ぱちぱちぱちと雪割たちの拍手がおこる.

「けんちゃん、お兄ちゃん」

「けんちゃん、えらい、一人でうんちできる・・」


 雪割たちは愛ちゃんにも話しかける

「あいちゃん、いらっしゃい」

「あいちゃん、ご機嫌いかが?」

雪たちに話しかけられるたびに愛ちゃんはニコニコ笑う.会話ができるのかもしれない.


 人は子供の時にはどうやら、精霊と話ができるらしい.いつから人は、花や草の精霊と会話ができなくなるのだろう.ドクトルにもその話をしたことがある.


「なんで私たち、神様が見えて、神様と話ができるのですか?」

「そうなんですよね.子供の頃は神様とか精霊が見えて、精霊の声が聞こえることが多いみたいなんです.それがいつからできなくなるのでしょうね.はるなさんのお父さんの本棚にもあるかな、昔、買った本にそういうこと書いてありました.もしお父さんの本棚見てなかったら私のを貸してあげますよ」父の書斎を探してみた.ジュリアン・ジェイスという人が書いた「神々の沈黙」という本である.


「あ、あった.」

「おお、それそれ、私が持ってるのと同じです」少し読んでみた.神話の昔には、人はみな神々と話ができた、精霊やら神様と会話ができたそうなのだが.ホメロスには、神々の鼓動が間近に聞こえたりしていたらしい.しかし時代とともに、神の声の聞こえる人は少数になったということである.脳の中には神の声が聞こえる部分があって、それが他の脳と別に機能して、神の声が普通に聞こえたのだそうな.二分心という概念が紹介されていた.よく理解できなかったが、それがいつしかその脳の機能の変化が起こったらしい.はるなや、ドクトル、健ちゃんのように、神様たちとか精霊と話のできる人間は今は少数派で、精神とか、脳の病気とみなされてしまうことが多い、のだそうな.


 愛ちゃんがはるなの家に来る時にはなぜか、ヘラのおばさんもこの家に来るようになって、数ヶ月が経つ.まだ極道親父お髭を引っ張ったりはしないらしい.

 ルシフェルは、段々とぷっくりしてきた、愛ちゃんを見て、「おお、人間の子供、またいい具合に太ってきて、うまそうになって」と悪戯で牙を出して見せる.いつもの通り目が垂れて、笑っているから全然怖くない.愛ちゃんはルシフェルのこの悪戯がお気に入りのようで、ニコニコする.


「あんた、またそんな悪戯して」とヘラに愛ちゃんをひったくられてしまう.

「ねえ、あいちゃん、あんな極道ジジイなんかほっといて、このヘラおばさんと遊びましょう」愛ちゃんを抱っこした、ヘラ様はずっと、聖母の眼差しで愛ちゃんを見守る.安心したように愛ちゃんは眠りにつく.

 

雪たちが囁く.

「あいちゃん、ルシフェルのお父さん大好きだね」

「あいちゃん、お父さんのこと大好き」

「極道親父、でもあいちゃんルシフェルのお父さん大好き・・・」

「あいちゃん、ヘラ様のことも大好き、優しいお母さんの神様・・」

「ヘラ様、優しいお母さんみたい・・・」

「ヘラ様は、みんなのお母さん・・・」

  

ルシフェルは、鼻高々である.ヘラ様はルシフェルを押しのけて、愛ちゃんをベットにそっと寝かせた.


実りの匂いのする、どこまでも穏やかな秋の1日だった.

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