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勉強するようになった理由

最初に受けた共通一次試験、第一志望の大学に受かるには、150点くらい足りない.でも二次試験は形だけ受けた.


第一志望は、家から通える、国立大学の文学部.

国語と英語と、数学(I ,IIB)の筆記試験が二次試験である.


共通一次テスト以上に解けない、書けない.数学なんかはほぼ0点だったのではないか?問題がどんな問題が出たか、ということすら記憶にない.

 

合格発表は、結果が分かっているのに見に行った.当然自分の番号はない.


大学に入る前の「高校4年目」は、予備校に行ってのんびりという予定であったから、それほど気にもしなかった.

実際、当時自分の通っていた高校は、「4年制高校」と呼ばれていた.


4月から、大阪の千里丘陵にできた、大手の予備校グループの学校に通い始めた.ちょっとした国立の大学に入るよりむづかしいと言われた、予備校の午前部にめでたく入学することができた.なんと予備校に入るのに選抜試験があるのだ.


「でね、勉強に対する姿勢が変わった、理由が三つあります」


1.授業中に発言を求められない、予備校の授業

2.病気

3.40日ほど、入院.本読んでいたら、精霊の声が聞こえるようになった、こと(?)


予備校の授業の良かったところは、受験の時の入学試験問題をターゲットにしているのだけど、英文にしろ、現代国語にしろ、なんで、こういう文章が書かれたか、筆者の言いたいことは何か知るのが文章を読む意味だ、というようなことを教えてもらったことかな?この文章を書いた人は何を訴えたかったか、を理解するように努める、それが読書.読書する以上、書いた人の考えを尊重するのがまず第一!


「それがわかれば国語も英語も楽勝!的な?あとは、たくさん文章読んで、英語なら、手を動かして、せっせと予備校のテキストを訳す.」ドクトルが続けていうのは、


「高校の国語の授業、鬱陶しかったのは、文章に書かれていない、行間を読む作業ばかりを強制されて、先生に気にいるような、授業中の発言をさせられること.あれは嫌だった・・・予備校の授業、著者の言いたいことは、原則として、文章の中に、あるということです.だから、現代国語、英語の読解、答えは必ず、問題文の中にある.それが形を変えて書き込まれている時は、その書き換え方を読み取れ、ということを教えられたのだと思う.問題をたくさんやって、解答方法に慣れて短時間で読んで、答えが見つけられるようになって仕舞えば、共通テストなんかもう楽勝ですよね・・・」


ほお、またドクトルまともなことを言い始めたと、海丸君と、静香はちゃんと再び傾聴する.


「自分は文系、しかも私立文系タイプの勉強してきたから数学は、あまり関係ないし、苦手意識も結構あった.数学の勉強は、やはり後回しでしたね.」


それでも共通一次試験と、二次試験には数学がある大学の志望だったから勉強はしないとダメだった.予備校の授業をしっかりするようにした.


「数学、問題の解答を書いてみてみる.予習で自分で解いてみて、ほとんどわからないから、授業で先生の書くのをひたすら写す、家でまたノートを見返す、またやってみる・・・」


でもそれは、高校生のうちにすることでしょう.

そう、自分は高校の時はしなかった.でも予備校ではするようになった.


「するとですね、勉強そのものが面白いかも、って思うようになった・・・」


「まあ、それはありそうね」はるなも同意である.


「恵まれた環境で、勉強しないっていうのはどうかな、って気がするけどね」静香は家庭の事情で学校にはあまりいけなかった.


ところが、予備校に通い始めて、一ヶ月ちょっと経った頃から、高校卒業する前からあった病気の症状がはっきりしてきた・・・・


症状は下血である.家にあった、カッパブックスと言ったか、なんとかブックス、新書版の本、「がん」に関する一般向けの本に、下血は、直腸がんの徴候だ、という文章だけが目についた.


一般向けの本だから、鑑別すべき疾患に色々あって、下血から考えうる疾患は、

虚血性腸炎とか、炎症性腸疾患とか、憩室とか、赤痢のような感染症とか、そういう記載は一切なかった.そもそも一般向けの医療小説やら、漫画で、「鑑別診断」などという言葉にお目にかかったことはない.(一つだけブラックジャックの中にあったと思う.どんな話かは忘れた.研修医たちという話だったか?)


「自分があと、三ヶ月くらいの命なんだ、と、勝手に思い込んだ.予備校の授業に慣れてきた頃、授業には身が入らない、テストもうまく書けない、家に帰っても授業の予習も復習も手につかない、そんな状態になってしまいました」


二十歳になる前に、ドクトルはそんな、ことを経験していたのか・・・


「病気のことは、親にも言わないで、秘密にしておいた.予備校から帰ると、ふらりと家を出て、近くの田んぼを見たりして、生きてるうちの記憶を刻み込もうとでも思ったのでしょうかね・・・・」ドクトルの思い出話は続く.


「決まってサンダルを履いて出かけたと思う.うちの前の田んぼ、田植えの後だから、遠回りしていく.住宅街の小道を抜けたところ、しゃがみこんで、田んぼにはられた、水の中にいる、アメンボウやらおたまじゃくしを見てそのまま、ぼーっとしている・・・・」


散歩は毎日の日課になった.田んぼのイネは少しずつ大きくなっていく.


「カブトエビがたくさん泳いでいる、瀬戸内海にいるでかいのは、カブトガニでしたっけ、20cmくらいのやつ、私が見た、田んぼで泳いでいるのは、せいぜい2cmくらいでしょうかね.あの生き物はどこにいるものなのでしょうかね・・・


・・・・まあ、余命、それほど長くないのなら、生きてるうち、時間だいじにしよう、と思って、予備校から帰ると、散歩して、近くの田んぼ見て、アメンボウがいたり、おたまじゃくしが泳いでいたり・・・そして梅雨から夏にかけて稲の穂がだんだん大きくなっていくのを見たり」


なんか、そういうことが、すごく、だいじなことのような気がする、ってなるのですよね.高齢の方はそういう気持ちになるのでしょうかね.


育っていく、いねと話ができる気がしてきた・・・・


「ほお、まあ患者さん、あるあるで、なんで私はこうなったか、というのを病気のせいにする話だわな」ルシフェルはあくまでもシニカル.


一人で悩み続けることがむづかしくなって、親に病気、下血のことを打ち明けた.


大阪市内で開業している、伯父さんの内科クリニックを受診することを命じられた.夏休み前のことである.


当時まだ未成年で、本当は親の付き添いとか同意が必要なはずなのに、親が診察についてきたことは、なかった.しかも、診察料をしっかり払ってこいというのがまた母親の命令なのだが、おじさん、事務は従姉妹のお姉さん、おばさんも事務の手伝いをしていて、支払いをさせてくれない.本当は親戚の医者に診てもらうのは良くないのだとその時思った.


診断はつかなかった.伯父さんが以前と勤めていた、大阪市内の準公的な大きな病院の消化器外科に紹介された.


19歳の自分は一人で大きな病院に受診した、と思う.


検査の予定が立てられた.

数日前から、「ボンコロン」(ボンカレーの大塚から出た、検査前の低残渣食)を食べて、当日は浣腸?腸内の洗浄?をされた.

今のようなファイバーでない、硬性の直腸鏡の検査と、注腸検査をやられた.

日帰りである.親の付き添いはなかった.


先生の説明も自分だけが聞いて帰ってきた.「ポリープがある・・・」

先生の話はそれだけ.


「予備校の前期の成績は、220人中、200番くらい、大きな教室、3列になっている.成績一番から左の前の方から、座る形で、自分は3列目の後ろの方である.前期に悩んでというか、将来がないものという前提でテストをちゃんと受けなかったからしょうがないか、という感じですけどね」


「がん」じゃなければとりあえず、こっちのもんだ、三ヶ月の余命は無しになった

また勉強に励むようになった.


症状は、その病院で検査をしてもらってから、もっとひどくなったのだが、気にしなかった.


頻回の下血が始まったのは秋.1日に何回も血便の下痢がある.しかし、その頃から、勉強に熱が入り始めた.予備校の予習復習きっちりやった.散歩はしなくなったかもしれない.


10月末頃(11月だったかも・・)の、予備校の模擬試験、第一志望の国立大学、A判定だった.有名私立大学文学部は、志望者全体で、1位だった.姉が通っていた、ちょっとちゃらけた、ずっと後に、アメフトの違法タックルで問題になった、大学である.関西の私立大学では一応、OOX△の一角として、名門ということになっていた.


試験の最中から具合が悪かった.しかし問題はすらすらとけた.頭は冴えていた気がする.模擬試験が終わって、枚方方面から、国道170号線を通るバスに乗って、ふらふらしながら、家になんとか帰って、熱を測ったら、39度くらいあった.翌日は予備校休んで、昼頃に起きたら、秋ぐち始まった下血が治っていた.


「しかしね、病気だけども、これでは死なない、ということがはっきりすると、じゃ、後の人生何をすればいいのですか、ってことになる」


「?」それはよく分からない、って顔を海丸君はする.


ただ、このままいけば、受かるかも、というときになって、油断して、また勉強がいい加減になる.


共通一次試験はそこそこ、家から通えるところ、国立の第一志望、ちょっとむづかしいか、ということで札幌の学校にした・・・・


「という、感じだったかな・・・」


下宿を探しに行くために札幌に.

母親と二人、大阪から札幌まで、飛行機を使わない、地獄のような旅.


うちの母親、幼少の頃、自分で自分のことを「お嬢」、と呼んでいた人である.家ではおじょう、ではなくて、じょおうのように振る舞われていた気がする.

地獄の道ゆき、電車とフェリー合わせて、22時間かけていく.話すことなどない.

タバコ臭い席は嫌だ、こっちの席がいい、という母親のわがままを聞くだけである.


特急白鳥で京都から、青森まで、12時間、青函連絡船、4時間半?もうちょっとかな?函館から札幌までさらに特急で、4時間・・・


待ち時間もあったから、大阪の家を、10時頃でて、札幌に着いたのは、8時頃だったと思う.帰りは、母親と、函館で喧嘩して、別々に帰ってきた.青森から、仙台、東京周り.当時東北新幹線まだなかったと思う.東京から東海道新幹線で、京都に.しかし、最後の最後で、切符が買えなくなってしまった・・・


母親と二人きりで旅行したのは、これが最初で最後であったと思う.


「めでたく」大学に入ったのはいいけど、春から夏にかけて、病気が悪くなって、夏休みになったと同時くらいに、大阪に帰った.大学の教科書は、皆宅配便で送った.段ボール一つ分くらいだったと思う.


病院に行かないとき、実家の部屋でずっと寝てる.身体中の脱力感で、起きられない.しかし、痛みはない.熱は微熱が出るらしいがあまりこまめには測らない.食事の時にはなんとか起きる.呼ばれて、離れから母家に戻るとき、眼前暗黒感があり、倒れてしまった.慌てて、親父が、やってきて抱き起こされた.


青い顔して、せっせと大阪市内にある伯父さんのクリニックに通う.地下鉄の駅、階段を登るのに何度か休む.すぐに息が切れるから休みなしでは階段を全部登れない.おそらくヘモグロビン、6から7g/dlくらいだったのだろう.通った頻度はどれくらいだったろう・・


処方された薬に鉄剤あったかな?それはなかったか.あと止痢剤に整腸剤・・・

「あ、サラゾピリンもあったかもしれない・・・」


一向によくならない.

今度は、近くの中規模の病院、家から歩いて通えるところ、消化器内科の先生に紹介してもらって受診した.この時は流石に母親がついてきた.


胃カメラと大腸ファイバーをされた.


「潰瘍性大腸炎の診断を始めて医者の口から聞いた.プレドニンの内服と、おそらくは止血剤の入った点滴.入院してものの、入院してすぐ、下血は止まった・・・」


40日くらいの入院だったかな.大学の定期試験、受けられない.留年確定.


本を読んだ.中央公論新書?

「ニーチェ」という本.ロマン主義の文学と哲学?線を引いてあるところ、

シェリングのこと?

鉛筆で線をひいいてあるところ、その当時、ガツンときたのだろうか?

「自然もまた生命に満ちて情感的に自己を表現するものというロマン主義の自然観がある」


「自然と精神との根本にはそれが本来同一であり、そのように分かれない差別のない存在があり、それが文化して、一方が強調されて自然となり、他方が強調されて精神となって現れるというべきであろう」


これが汎神論?当時はまだ意味がわからない.


その続きに、カントの言葉として、「概念な直感は盲目であり、直感なき概念は空虚である」というところにも横線が引いてあった.その辺が刺さったのだろうか?


自然の声を聞くのが、哲学の役目?もっと広げて、人の役目?

精神を持って生まれた以上、自然の声を聞き取ること、それこそが生まれてきたものの使命?


そう言った文章に当たった時、自分に精霊の声が聞こえるような気がしてきた.


それで、病気になりたての頃、田んぼで成長する稲と、おたまじゃくしと、そしてカブトエビたちと、会話していたのか・・・・


じゃ、彼らと話すには、自分は何をすればいい?

「自分の体のことわからないと、生き物の本質がわからないと、・・・・」


何を勉強すればいい?


そういう勉強できるところ・・・・

漠然と考えて、退院後は数日で札幌に戻った.


大学には行かなかった.自分を見つめる勉強?


読書は1日に文庫は二冊、新書も一冊は読んでしまう感じ.

渡辺淳一せっせと読んだのはこの頃か・・・


読書しない時は勉強.

数学と英語、化学、予備校の参考書と教科書.覚醒しているときには、こたつから起き上がって、勉強か読書.疲れたらそのままこたつで寝る.

寝るのと、買い物に行くのと食事と銭湯行く以外の時間、13から16時間くらいは読書か勉強.


下宿は2階の部屋だから、したの下宿生あるいは、大家さんがでかいストーブ焚いているから、自分はストーブは買わないで、冬を乗り切った.


数学IIBわかるようになったし、数学III,化学IIも一冬の間でだいたい参考書できてしまった.

「医学部・・・無理では、ないのでは・・・」

なんとなく思った.


年末、親に当てて、文科系の大学やめて、もう一度予備校行って、医学部入り直ししたい、そういったことを書いた、長い手紙を書いた.」


親は、息子が多くの人がたどる、正規のルートから大きく(といっても数年なのだが)外れることを無闇に恐れた.しかし、正月に帰省したときに、自分の計画は全面的に承認された.ただし、例の予備校、午前部、理系の選抜試験に受かることが条件だった・・・


予備校の選抜試験受かって、札幌に逆戻り.一人で引っ越し屋の手配(というか夜逃げ?)札幌から家財道具一式と大阪の家に戻って、今度は京都の予備校に通った・・・・


大阪の家に戻って、京都の予備校、医学部進学コース、前期の成績は、30番くらい?成績順に3列あるうち、一番目の列、ただし少し後ろ寄りだった.相変わらず、試験の得点源は、数学と理科ではなかったが・・・

 

岩波文庫の緑表紙?杉田玄白の「蘭学事始」を古文のまま読んでいたら、嫌われた・・・でも彼らは前期が終わってみると、皆、2列目の後ろから3列目・・・


医学部には一度も落ちることなしに次の春には医学生になっていた・・・

しかし、自然の声、精霊の声を聞かねば、という使命は、ずっと忘れていた気がする.


「みんなと友達になってからだね、自分の使命を思い出したのは・・・

すみませんね、長い昔話、退屈でしたね・・・」


皆、黙ってドクトルの話を聞くだけだった.

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