「冥府魔道」 地上が闇に包まれた頃
ペルセポネが、冥府と現世を行ったり来たりするようになってもう何度目だろうか.里帰りと、冥府に入城のたびごとに皆が盛大にお祭りをしてくれるものだから、春の里帰りはウキウキするし、冬にまた冥府に戻る時も、亭主に早く会いたいと思えるようになっていた.冥府に幽閉と言っても4カ月だけのことである.夫のハーデスは色々気を遣ってくれるし、お付きの者たちも皆親切だ.母親と離れて暮らす、寂しさは慰められて、子離れができないデメテルより先にペルセポネの方が一足先に親離れができた、のかもしれない.娘には、多少の遅れをとったが、少しずつ子離れができてきたのだろうか、母親の冬の憂鬱もいつの間にか和らぎ、デメテルは冬になる穀物やら、野菜の研究をするようになって、家に閉じこもることもなくなった.ペルセポネは現世では、現在の、日本が気に入り、里帰り中はここで過ごすことが多くなってきた.季節のメリハリが一番はっきりしている国で「四季の神」である自分の力を存分に発揮できる場所だからかもしれない.そしてオリンポスと、現代を往復する.途中の時代にはいけなくはないのだが、あえて行かない.時空の中で迷子になると大変だからだ.自在に時間と場所を飛び越える力は他の神々ほどは強くはないのが、デメテルとペルセポネの親子だった.
今年の日本の春もいつもと同じ、穏やかで、ポカポカして・・毎年の通り、かと思ったら、なんか様子が変だ.
外を歩く人がいない、飲食店が閉まっている.電車にほとんど客がいない.新幹線は、お客がいないし、週末のホームにも駅員しかいない.スーパーが閉まっていることは多いし、百貨店には月に何回か開店する日を決めるといった感じでほとんどが休業である.道ゆく人は、皆顔をマスクで覆っている.マスクを二重にしている人も珍しくないし、微細なウイルスさえ通さない、N95という高性能マスクをしている人もちらほらいる.
年末に、中国武漢で新型ウイルスによる肺炎が発生した.日本はしばらく大丈夫だろうか?と様子を見ていたが、1月初めに初めての患者が発生した、かと思うと、クルーズ船で大量発生が起こり、日本にもみるみる感染が広がった.病院勤めのドクトルは、これは大変なことになったと日夜、ビクビクしながら過ごす.熱の出る患者の対応も戦々恐々としながら、行うことになる.患者を治すのはもちろんなのだが、自分が感染してしまったら、病院はどうなってしまうのか?緊張の日々が続いた.出勤すると即体温測定、その朝の体温の記入を義務つけられた.マスクを二重にして、ファイスフィールドをマスクにつけて回診をする.脳梗塞で入院した患者さん、38度台の熱が出ると、「すわ」と思う.いよいよ当院にも来たか!と身構える.胸部CTの肺炎像が明らかな細菌性肺炎の所見で少し安堵するのだが、まだ油断はできない.抗生剤がなかなか効かない、ひょっとしたら、疑心暗鬼になる.今度自分に熱が出た時は、と思う.呼吸障害が起こって、呼吸器を装着して、患者さんが亡くなって、やっぱり、「新型ウイルス」だったのではと思う.しかし病棟の担当者で同様の症状を訴える者は自分を含めてなかったのには助かった.
ある日、それは突然訪れた.外科の医師に、いよいようちにもきました、これが胸部CTの所見です.思っていたより、繊細な陰影が、肺の表面に何箇所か見られる、教科書で言われるのは、これか、とドクトルは思った.2度と忘れないと思う.入院患者にはとりあえず、胸部CTを取って見て、とにかく診断をつけるようにして、と思いながら診療をしていた.可哀想なのは、他の病気で受診する患者さんたちである.少し高めの熱がえると、診療拒否にあってしまう.朝から、呂律が回らなくて、左手が少し痺れるのですが、という30代の男性が受診した.内科では、熱の精査はしないで、脳梗塞の疑い、脳外科受診と俗にいうところのたらい回しに合う.まだまだPCRがどこの病院、クリニックでもできるわけではない.まずはこの前教えてもらった、胸部C Tの所見があるかどうか、肺の所見は綺麗だった.熱はあるが呼吸器症状はない.熱の原因の診断には至らないが、頭部のC Tを取ると、右基底核、内包あたりのラクナ梗塞らしい.入院として、エダラボンの点滴、抗血小板剤を処方して、早期からリハビリテーションを行った.幸い神経症状の悪化はなく、熱も数日で解熱して、エダラボンの終了する2週間後にはほぼ神経症状のない状態で退院し、外来治療を継続することになった.内科では満足に相手をしてもらえなかったことは不満だったようだが、脳外科では可能な限りの対応をいてもらったということで、青年とドクトルの間にある種の信頼関係が生まれたことは言うまでもない.流行が広がり、感染による死者が増え始める頃の話である.
ある日、はるなの家に身なりのいい、初老の紳士が訪れた.ギャングの親分のような格好である.黒のシャツに白のネクタイと全身白のスーツと、白の皮靴である.結構背が高くて、ダンディーだが、顔色は少し悪いように見えた.
「こちらに妻と、義母、そして時々、弟がお邪魔していると聞きまして、私、魔道と申します」と名刺を渡された.
「魔道厳真」とある.
「まどう、げんまさま?」.茶の間ではルシフェルが、テレビを見ていた.北大路欣也の子連れ狼である.海丸くんとキューピーも一緒に見ている.巻物に毛筆の字で「冥府魔道」という文字が出てくる.場面的に出来過ぎの気がしないでもないが、だいたい神々の話はでき過ぎていることが多いものである.
「こらよ〜〜あどけなく、愛しいきものよ〜〜」と小椋佳の歌を聴いて、
皆「ウガーー」と泣いている.目と鼻から大量の涙を流出させる鳴き方である.
「ねえるし、この人知ってる?」名刺を見て、ルシフェルが、少し緊張した顔になったそして、小さくつぶやいた
「兄さん、あっちの方も結構のっぴきならなくなったか?」庭先で、花の手入れをしていた、ペルセポネが、玄関に走って出る.種をを選んでいるデメテルも顔を上げた.
「ダーリーーん」とペルセポネは、その紳士に抱きついた.
「ダーリーどうしたの、急に、会いたかったわー」
「ちょっと、弟に用事があって」
「おやこれは珍しいお方が」
「お母さんもご無沙汰しております」
「いえこちらこそ、こんな不束な娘に良くしていただいて感謝しております」
「お母様もお元気そうで何よりです」奥からルシフェルが出てきた.
「兄さん、あんたがきたってことは、やっぱりあのことでかい」
魔道という男は黙って頷いた.
ルシフェルと、魔道と、ペルセポネの三人が応接室に入ったきり出てこない.何やらひそひそ何か話してい流.キューピーと海丸と、はるな とデメテルはドアに耳を当てて盗み聞きしようとするが話の内容はわからない.彼らの議論は、今回の新しい感染症に関することらしい.
「今のところ、冥界に来るものはそれほど多くはない、がこの勢いで患者が増えるとどうなるか.未だかつてない数の人が死ぬぞ」
「兄貴のところもそろそろ大変になってきたか、こっちも大変みたいだ.病気の正体はわかったが、まだ診断がやっとできるようになったくらいで、治療法がない.重症の肺炎の患者に、マスクで酸素の吸入だけではどうしようもない例には、気管内挿管、呼吸器装着、ステロイドとやって、それでもダメなら、体外循環回して、血液を酸素化しないと患者が助からないって、呼吸器の効果を最大限にするためにはうつ伏せで寝かせるらしいが、大きな病院でないとできないみたいだ.重症患者の集まる、大規模病院は今大変らしい.癌の免疫治療でノーベル賞取った、本庶佑って偉い先生は、アクテムラ、っていうサイトカイン、IL-6の抑制薬が、有望だなんてこの前テレビで言ってたが、その有効性、書いたのが、中国の論文なんだよな.」
「そう、こちらでは、重症の肺炎の原因は免疫の暴走が原因だから、まずステロイド、そして免疫調節役で、アクテムラみたいな薬をがん!と、使って、リュウマチ科の医者に任せたらどうかってな、乱暴な意見まで出ているそうだね」
魔導とは皆さんお気づきの通り、冥界の王、ハーデスである.彼は死を扱う神であり、また医学の心得がある.
「お前のところである程度、防げそうかい?」
「俺と、アポロンと、アテナとヘパで、なんとか防げそうなところまでは・・・、アスクレピオスが生きてればな.」
「ああ、お前たちにとっては大きな損失だな.でも彼も冥界では活躍してくれているよ.」
「あいつのことは、ちょいと兄さんにも悪者になってもらいましたがね.研究熱心なのはいいのだけど、自分の体壊しちまってね.今でも夢に出てくるよ.元気に、っても死んで冥府に落ちた奴のこと元気もクソもないかもしれないが・・・」
「この頃さらに立派になったよ.一度死を経験したものにはある強みが生まれる.またそのうち里帰りさせよう、彼はお前たちの力になると思う.」
冥界の王は、女王の方を向き、目で同意を求めた.冥界の住人が現世に戻るのには、王と、女王の合議が必要である.アスクレピオスの現世復帰が決まった.
脱線だが、この一件以来、キューピーと、海丸くんの書道の練習は、「冥府魔道」である.学校の先生は知らない.
海丸くんが、「魔道さんがきてね」
「あ、海丸くん、そのことは・・・・」と眴をする.
「あ、そうだった.ほら子連れ狼だよ、北大路欣也の、先生見ない?そうかいつも朝の学校の時間だから・・・・」
「病気で、お休みの時は、おうちで、子連れ狼見てたのかな?君たちは」
「いや先生、学校も会社もパンデミックでお休み・・・」
「ああ.そうだった.ごめんごめん、君たちのことだからてっきりズル休みかと、ああ悪かった」
ちょうど、学校会社が休みでズームによる授業やら、仕事のテレワークが普及し始めた頃だった.学会も、ウェブ開催がこの頃から始まった.




