焦燥
62年ルマン24時間のオープニングラップを制したのは、予想に反してIZUMO。
尚、観客はアメリカでの噂から、もっと甲高い音が響くことを期待していたのだが、改良型マシンのサウンドはそれ程でもない。
スーパーチャージャーの構造変更によって、ジェット機のようなサウンドは失われていた。尤も、あのサウンドを24時間も響かせていた日には、最悪日本政府が対応に苦慮することだろう。
それでも初っ端からハイペースであるが、この時平均速度は既に150マイル (242㎞/h)を悠に超えていた。だが、実はこれが作戦の一環だったのである。
実のところ、サルト・サーキットは全体に平坦ではあるものの、本質的にはIZUMOにとって不利なコースなのだ。
何故かって?OHVにとって最もキツいのが、7000回転以上回る時間が長いことなのである。後に登場するフォードGT45のように、5リッター以上ならそれ程問題は顕在化しないのだが (史実でも7リッターだったのは、OHVの弱点を理解していたからだろう)、IZUMOは3リッターしかない。
実はこれが大問題で、排気量が小さいとターンフローなのも相俟って、熱が籠り易いのである。
理由は単純で、排気量が小さいとエンジンブロックも小さいため、その分放熱面積が減る。ラジエターで冷やしているじゃないかと思うだろうが、それとは別の問題なのだ。
エンジンは、例え冷却水をラジエターで冷やしても、かなりの熱をエンジン本体から発散していることは、自動車マニアにとって常識であろう。
だが、排気量が小さいと、放熱面積が小さい分反って熱が逃げにくく、オーバーヒートリスクが高い。
そして、OHVはヘッド周りがコンパクトであるが故、実は熱効率は思った以上に高いのだが、それは言い換えれば即座に高温となることを意味する。
熱効率が高いが故、アクセルレスポンスが速く、それこそが耕平の意図だったのだが、それはオーバーヒートリスクとバーターでもあるのだ。
にも関わらず、何故耐久はOHVがベストなのかと言えば、ヘッド周りがコンパクトな分側面慣性が小さく、それ故ドライバーの疲労を抑えられるからである。
レーシングカーを開発する上で、ドライバーへの疲労の配慮というのは、しばしば見逃されがちだ。第一、レーサーがそれを望まない所為もあるだろう。
だが、耐久は短くても6時間は走らなければならない。その間の駆け引き要素など、精神面への負担も大きい。
その上、日本人が戦う上で、耐久は肉体的に不利な要素が多すぎる。だからこそ、耕平としてはスペック至上主義は受け容れられなかった。
もしもその点で問題ないなら、耕平は迷うことなく12気筒DOHCを選択していた筈だ。
そして、当時にあってさえ、時代遅れと見做されつつあったスーパーチャージャーを採用していたのは、OHVの出力不足を補う意味もあったのだが、もう一つ、ルーツ式の脈動で偶力振動を打ち消すことによって、側面慣性を抑え込むことにより、疲労を可能な限り抑え込む意図があったことは、あまり知られていない。
その意味で、松平耕平は、本来ならレースの歴史にその名を残すべき、稀代の設計者である。これは余談だが、親友の宍戸仁八は後に自動車殿堂入りしたにも関わらず、未だその栄誉に即していない。
だが、さしもの耕平も予想しきれなかった問題があった。それが、ルマンが開催されるサルト・サーキットの全開時間の異様な長さである。
何しろバックストレートにあたるユーノディエールは (実はこの森の名称であり、本来はミュルザンヌ・ストレートが正式名称)、実に6㎞に及んでおり、この間最高速度で走り続けた場合、理論上1分近く全開時間が続くことになる。
レース用マシンにとって、安全性が担保できる全開時間は30秒が限界と言われており、完全に限界を超えている。
現在は途中二か所シケインを設けることで問題を回避しているが、実際には90年代までこの問題は野放しであった。ましてや、1分近く全開時間が続くことは、ドライバーにとっても過度のストレスとなりかねない。
ルマンは時折とんでもない大惨事に見舞われることでも有名であったが、ユーノディエールが無関係であるとは思えない。
だが、田中は既にこの問題に気付いており、決してライバルに覚られぬよう、電気系統に様々な対策を施していた。
実のところ、このエンジン、想像以上にタフであり、これ自体は問題なかった。だが、田中はオーバーヒートのリスクが電気系統にあることを突き止めていたのである。
因みに、IZUMOではレース用マシンでは当時定番であった筈のコンデンサー式イグニッションを敢えて採用していない。いくら13000回転まで回るといっても、OHVでは不要だからだ。
代わりに高圧マグネトー式イグニッションを採用している。当時でさえ古い形式だが、これが高熱に最も強いからである。また、構造がシンプルであるが故、壊れにくいため耐久向きというメリットもある。
しかし、これだとそのままではスタート時に始動できないので、キャパシターユニットを搭載していた。また、発電ユニットは、この頃からレースで普及が始まっていたオルタネーターではなく、ダイナモであった。
というのも、ダイナモは重い反面熱に強く、加えて直流なので、電気系統への悪影響が少ないというメリットがあり、それ故オーバーヒートに繋がりにくい。
実のところ、オーバーヒート最大の原因が、点火タイミングのズレによって発生していることを知る技術者は、まずいないと思われる。何故ならエンジンは、一連のプロセスが正しく機能しているなら、高温化することはあっても、オーバーヒートに陥ることなどまずない。
産業用エンジンが、定常低回転で酷使され続けながら正常に機能するのは、一連のプロセスがきちんと機能しているからである、自動車と産業用は違うだろという意見もあるだろうが、産業用エンジンの環境は、実は自動車以上に過酷極まりない。
低出力だからオーバーヒートしにくいだろなどと考えるのは、とんだ誤解である。それに、産業用エンジンは電気系統も含め、非常に高度な技術が要求されることも、あまり知られていないだろう。
実は、点火タイミングが上死点に達するほんの少し前とか、上死点を過ぎ始めた矢先とか、そんなタイミングのズレによってオーバーヒートが生じる。
その意味では、耕平がオーバーヒートリスクを認識していない訳ではなかった。だが、世界は想像を超えており、そして、あまりにも広かった。あの時の耕平に、ユーノディエールのことまで計算に入れろというのは、さすがに酷だろう。
だが、田中はスパの時点で、このままではルマンは戦えないことを既に認識していた。その矢先、スタート僅か2時間で消えるハメになった上、原因はミッショントラブルであったが、実はエンジンも電気系統が壊滅的ダメージを受けていたことが後に判明している。
オープニングラップを制したものの、田中は、いや、誰もが気が気でなかった。
しかし、観客はそんなことなど露知らず、やんややんやの大騒ぎ。日本製マシンがリードする光景に熱狂している。
「まだ始まったばかりだというのに、作戦に出なければならないとはな……」
田中にしてみれば、とにかく前半リードを稼ぐ作戦は、不本意でしかなかった。くどいようだが、耐久は後半戦からが本番であり、序盤リードして勝利しているケースなど稀だ。
しかし、IZUMOがユーノディエールを制するには、これしか選択肢がないのである。その意味で、リードしているように見えて、その実焦燥に他ならない……




