備前のフェラーリ
耐久レースに出場するには、最低二人のドライバーが必要である。
渦海の提案に、耕平は即座に乗った。
「そ、それは本当なのか!?」
「ええ。私とは同じく巫女仲間にして所謂同志ですから。密かに遠征で交流会とかもしてますので、顔馴染みですよ。腕前につきましては、私が保証致します」
それが朗報でないなら、一体なんだというのか。耕平にとっては、まさに天佑神助であった。そして、内心これまで信心深かったことに感謝していた。
「それなら、早速参りましょう」
そう言って、耕平をフェラーリに案内する渦海。耕平にしてみれば、渦海の腕前を間近で見るチャンスでもあった。
「もしかしたら、会話がしずらくなるかもしれないですけど、その節については申し訳ない」
渦海がキーを捻ると、車内はあっという間に12気筒特有の轟音に包まれてしまう。
フェラーリをスムーズに走らせている様子は、胸のすくものがあった。
(すごいな。タダでさえ乗りこなすのが難しいのに、全く物怖じしていない。そればかりか、未舗装路でも完全にコントロールしてみせているし、一瞬の判断力も素晴らしい。何より、息一つ乱していない)
いずれも、耐久レースを戦う上で必要な要素を全て満たしていた。加えて、未舗装路ではどう足掻いても滑るのは必然のため、コーナリングではしているかしていないかというレベルでドリフトしているのだが、無論それを見逃す耕平ではなかった。
実は、耕平はマシン開発にあたり、ドリフトコントロールを前提として設計していた。なので、もしも彼女がマスターしていなかったら、そのトレーニングが必要だったのだが、全くの杞憂であった。
それにしても、何で耐久レースにドリフトが必要なのか!?
それは、長時間走行する上で、ドリフトが最も疲れにくいからである。但し、ドリフト中は神経を遣う。尚、日本人にはドリフトコントロールが得意な者が多いとは言われている。
だが、世界に於いて、サーキットでドリフトは70年代くらいまでならまだしも、決して主流であるとは言えない。
日本でドリフトを競う大会、D1があるのもそれを裏付けていると言えよう。
島根から岡山までは、高速道路はおろか、国道自体が山間部ともなるとほぼ未舗装路だったこの時代、およそ一日掛かった。山間部に於いて主要国道の舗装工事が本格的に始まるのは、昭和40年代に入ってからである。
その頃、岡山の山間部。尚、場所は明かせないが、嘗て備前と呼ばれていた場所にある深夜の峠に、今日も12気筒のサウンドがこだまする。嘗ては宿場町もあったという、所謂交通の要衝であったが、現在では人気もなく不気味ささえ漂う。更に見通しも悪く、近道ではあったがそれ故にここを通り抜けるトラックも殆どいない場所であった。
フェラーリにとっては、まさに貸し切りのサーキットと化していた。
山道を、砂煙を盛大に靡かせながら、黄色のフェラーリが駆け抜けていく。その車種は、何と290MMスパイダー。公式には4台、一説には7台が製作されたと言われているが、21世紀現在、特注モデルを除けば、最も稀少だと言われている。
その超稀少な一台が、ここ岡山の山道を駆け抜けていた。
「アハハハハっ、誰もいない峠を攻めるのサイコー!!」
その黄色い声からして、明らかに女の子だった。白地に赤のセンターラインのお椀にゴーグルを組み合わせた出で立ちは、戦前のレーシングドライバーを彷彿とさせる。
全身を覆っていたのは、嘗ての旧日本軍の飛行服であった。
やがて、日が昇り始めると、フェラーリは何処へともなく去っていく。その行先は、山奥の神社であった。だが、周囲に人気はなく、更にあの神社以上に目立たない所為もあり、参拝者は地元ですらまずいない。寧ろ不気味がられていた。
尤も、不気味といっても外観は立派で、朱色の鳥居は常に新しい状態に保たれ、参道もきちんと整備されている。
境内の手入れも行き届いているのだが、熱心に掃き清めているのは、一人の巫女であった。
白地の千早には、十六文菊が黒で染め抜かれ、袴は紅という、典型的な巫女である。そして、真っ直ぐな黒髪に柔らかな顔立ちは、多くの人がイメージする典型的な巫女と言えよう。
彼女の名は、雉彦風也 (きじひこ ふうや)。当時18歳。実家は吉備津彦神社に連なる由緒ある家柄であり、5人兄妹の末っ子であったが、現在この神社を一人で切り盛りしている。
だが、参拝者も殆どいないため、実際のところは退屈な毎日であった。
そんな彼女には、ある秘密があった。
「さて、今日も出掛けましょう」
社務所の奥の倉庫に向かうと、そこには何と、あの黄色のフェラーリ。巫女服を脱ぎ捨てると、黄色の上下もあらわに、その上から飛行服をまとい、お椀のヘルメットとゴーグルを装着し、首には白のマフラーを巻く。
これは、嘗て戦闘機パイロットをしていた父の形見である。父は復員していたが、戦時後遺症に長い間苦しめられ、去年から漸く神主として復帰したばかりであった。
何故そんな家にフェラーリが!?と思いたくなるが、これには深い理由がある。
とある御方から、3年前に父の早期回復を願って贈られたものなのだ。その際、父の形見を着て山道を走ることで、次第に回復していくだろうと。
それを信じて、彼女は飛ばしまくっていたのであるが、その内に自らが12気筒のサウンドの虜となってしまった。
今や、フェラーリで深夜の山道を攻めるのは、神社の掃き清めにも等しい日課である。
一際低いコックピットによっこらしょと乗り込み、キーを捻ると、周囲までもが12気筒サウンドによってざわめくかのようだ。
そして、悠然と走り去っていく。そう、彼女こそ、噂に聞く備前のフェラーリの正体であった。
その頃、渦海と耕平を乗せたフェラーリは、件の山間部に入っていた。
「それにしても不気味な場所だな。幽霊が出てもおかしくないぞ」
「もしかしたら、気が付けば姿を眩ませてシートが濡れていたという曰く付きの幽霊かもですね。でも、被害者はタクシーが多いとのことですから、無賃乗車でタチの悪い霊ですけど」
巫女をしているからか、渦海は全く動じていない。尚、この都市伝説は、タクシーが日本の地を走り始めた大正時代には既にあったようである。
また、まだ人力車もあった当時、被害者には人力車もいたとか。幽霊でもちゃんとカネ払えよと言いたくなるのは、自分だけだろうかなどと渦海は思ってしまう。
「それより、深夜はほぼ毎日走ってますから、そろそろ出くわしてもおかしくない筈なのですが」
と、その時であった。
「あ、あれは!?」
耕平が指差す先に、明らかに国産車ではないクルマが轟音を響かせながら悠然と走り去っていくのが見えた。
「あれだっ!!」
渦海が思わず大声を上げる事態。間違いない、フェラーリと出くわしたのである。
黄色で夜でも目立つフェラーリを追うが、深夜とはいえ慣れているのか、その走りは速い。
「二人乗ってるハンデがあるとはいえ、さすがですね」
渦海でさえ感心する程の走り。耕平は、そりゃ自信持って紹介する筈だと納得するのであった。渦海も、猛スピードで後を追う。実は、走り慣れているのは渦海も同じだ。
最早、殆どタイトルにDとつく某マンガ張りの展開である。
二台とも、灯り一つないくねった山道を、それもまるで次の道が分かっているかのような精確さで、しかもドリフトでコントロールしている。普通、走り慣れていて道を熟知していても、夜というのは勝手が違う。
なので、二人とも尋常ではない。
「おやっ!?こんな時間帯に追って来てるのがいるだなんて、久々のお客さんでしょうかねえ」
などと、猛スピードで走らせながらも悠然としている風也。しかもなかなか引き離せないので、まさかと思った。
「もしかして、渦海かしら!?」
と、スピードは緩めることなく、実家のある神社まで走り抜けていく。それにしても、砂埃が盛大に舞う中をフェラーリで走り抜けるとは、Dの主人公でさえ嫌がるような条件であり、恐ろしいこと極まりない。
二人も戦時中の生まれであり、戦後の混乱とは比較的無縁の中で育ってきたが、そこはやはり恐れを知らぬ焼野原世代と言えよう。
そして、神社までたどり着いた時、後方にヘッドライトも眩しく停まった一台のフェラーリを見て、風也のそれは確信に変わった。
「渦海、渦海じゃない。どうしてここへ?」
「積もる話があるのですが、詳しいことは神社でしましょう」
急遽、神社に灯りが点き、ろくに持て成しもできないまま、話し合いが始まった。世間話やエスプリもなしで、要件は単刀直入であった。
「実はだね、貴女にルマンプロジェクトへ御協力願いたい」
そう言って、耕平は頭を下げる。何しろ、一気に耐久レース出場の条件を満たせる絶好のチャンスだった。
それに対し、風也の返答は、
「え!?わ、私などで宜しいのですか!?渦海がわざわざ御越しになったということは、きっと御神意なのでしょう。いいですわ、この私で宜しければ」
渦海と同じく、意外な程あっさり承諾。こうして、ルマンプロジェクトは、またとない逸材を迎え、一歩前進することになった。
これまで一人で切り盛りしていた神社については、神主に復帰した父が担うので心配するなと送り出してくれた。
こうして、図らずも二人のドライバーが、ルマンプロジェクトに加わったのである……