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兆候

 午前6時。


 ベルギー国旗が振り下ろされると同時に、マシンへと向かうドライバー。ラ・スルス前は静寂から轟音響き渡る喧噪となり、ここにスパ・フランコルシャン12時間がスタートした。

 ゴールは午後6時。その時、チェッカーを受けているのは誰か。ピットでは、フェラーリの監督が、壮絶な覚悟とは裏腹の、清々しい表情でコースを見つめていた。

 この時、彼の脳裏には、まるで最期の時を迎えるかのように、様々な思い出が走馬灯の如く過っていた。何より、自身が死んでもいいと思える人物に出会えたことを、誇りに思いながら。


 トップは何とチームモデナのフェラーリ。そして、二番手にはIZUMO。実は、IZUMIOは本質的にはスタートはかなり有利なマシンなのだ。

 スーパーチャージャーを換装したことで、そのスタートダッシュはやや鈍ってしまったが、それでも他のマシンと比べると、一見貧弱なエンジンとは思えない程の加速力だった。

 因みに、同じ排気量なら、シリンダー数は少ない方が加速は速い。何故なら気筒辺りのパンチ力が大きいからだ。

 一番分かりやすいのは、バイクに乗った時で、もしも同排気量で4気筒と2気筒、もしくは単気筒を比較する機会があるなら、その乗り味がモロに分かる筈である。


 そして、オー・ルージュでIZUMOがトップに躍り出るかと思いきや、フェラーリも同じライン取りで悠然とクリアしていく。

「うそぉ!?」

 これには風也もさすがに驚く。実は、フェラーリがフリーで同じライン取りで走り抜けたのを、風也を始め、IZUMOの関係者は誰も知らない。


 だが、今にして思えば、ここでトップを取り損ねたことが、IZUMOにとって躓きの兆候であったと言えなくもない。


 この時点で、トップを取ることに失敗したとはいえ、IZUMOは然程慌ててはいなかった。何しろ12時間である。何が起こるのか分からないのが耐久である以上、ここで焦っても意味はない。

 既に3レースを経験し、ある意味図太くもなっていた。耐久での1レースは、スプリントの10レースに匹敵すると言われる程、様々な経験を一度に積めるためであろう。


 それでも尚、田中には気になることがあった。

「今回のフェラーリ、序盤から飛ばしている上、気合いの入りようが尋常じゃない」

 それは、ピットを見ても明らかだった。最早、壮絶な覚悟というより、殺意のようなものまでひしひしと伝わってくる。刹那、監督がこちらを一瞬睨んだ。

 その様子に、ゾクリとしたものを感じた。本気だ。今回、何が何でも勝ちに来ている。そう思わざるを得ない。何しろアメリカで大いに取りこぼしたのもあるだろうが、マラソンと同じで耐久で序盤に焦る必要はない筈だ。


 しかし、今にして思えば、IZUMOも考えが甘かったと言わざるを得ない。同時にそれが経験の浅さでもあった。


 というのも、スパの次はWMEで最高の栄誉とされ、世界三大レースの一つとされているルマン24時間である。

 実を言うと、スパを制する者がルマンを制すると言われる程、ここでの結果は文字通りルマンでの結果のみならず、後半戦の結果にも響くことが多い。

 ジンクスに過ぎないのかもしれないが、過去の結果を見ていくと、強ち根拠がないとは言い難く、確かにフェラーリが栄冠を手にした年、高確率でスパを制している。


 やがて、スタートから2時間後のことであった。


 予定通りピットインしたIZUMOであり、ここで渦海に交代して、3分後に発進しようとした時であった。


 ガクンッ!!


「あれっ!?」


 確かにそう聞こえた。どう考えてもメカニカルトラブルが生じたのは明らかだった。しかし、タコメーターを見る限り、エンジンは死んでいない。となれば……

 試しにシフトを入れると、プリセレクター独自の手応えがない。試しに、慎重にアクセルを踏んでみるが、マシンは1㎝たりとも前進することはなかった。

 その瞬間、IZUMOから、あっという間に血の気が引いていく。これはもう、どう考えてもこれ以上のレース続行は不可能だ。


 結局、IZUMOはミッショントラブルでリタイアとなる。後に判明したことだが、高低差の激しいコースにミッションが耐えきれなかったのだ。

 しかし、本来プリセレクターは非常に頑丈であり、簡単に壊れるものでないことは、密かに山陰の山中を走って確認している。

 では、一体何が生じたのか。


 それは、皮肉にもプリセレクターの頑丈さにあった。どういうことかというと、IZUMOのプリセレクターでは、接続に流体式ではなく遠心式を使う。実はこれがミッションに激しい衝撃を伝えてダメージを与えていたのだ。

 プリセレクターは変速ショックが大きいため、元より頑丈に作らざるを得ないのだが、ミッションケースが軽量化のためにジュラルミン製であったことも災いし、衝撃エネルギーの逃げ場がなかった。

 そして、特にダメージを受けるのが、ギアだった。これまでは平坦なコースであったため、それが表面化しなかったのである。


 分解してみると、全てのギアが粉々になっていた。つまり、ピットインしたところでミッションは死んでしまったのだ。

 高低差の激しいコースだと、それだけギアチェンジも頻繁になる。スパでの2時間は、恐らくデイトナの24時間に匹敵する負荷が掛かっていたのではないかと推測された。

 尚、ミッションはギアアップよりもギアダウンの方が圧倒的に負荷は大きい。マニュアルミッションが主流だった時代、このギアダウン、というより、どれだけ優しいシフトダウンが出来るかがドライバーによるテクニックが最も出る部分でもあったと言われている。

 これが特に上手かったのが、F1ではネルソン・ピケ、ミケーレ・アルボレートと漏れ伝わる。


 こんな状態では戦えない。早急に対策を打たねば。


 普通、対策というと部品の強化だが、確かに、間違ってはいない。しかし、強化した部品が、周囲に計算外のダメージを与えることだってある。

 ましてや対策を施すということは、それ自体設計を逸する行為でもあるのだ。レース用マシンで、あの時代でさえ設計ミスはまずあり得ない。

 一体何がスパでギアを破壊せしめるに至ったのか、その原因を突き止めるのが先だ。恐らく高低差だけの問題ではない筈である。


 同時にルマンに向けて、これは決して良い兆候とは言えなかった。


 結局、12時間後にチェッカーを駆け抜けたのは、ワークス・フェラーリであり、チーム・モデナは3位。それでも4位までを独占する快挙を成し遂げ、ルマンに向けて栄光への前祝となった。

 尚、監督は男泣きだったという。


 その夜、田中は日本に向けて、電報を打った……

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