跳ね馬は、オー・ルージュを越えられるか
翌日、決勝を明日に控えた最後のフリー走行。当然のことながら、最後の詰めでもあるため、各チームは少しでも完璧に仕上げるため余念がない。
そんな中にあって、やはりトップタイムをマークしていたのは、IZUMOであった。
「あのマシン、このコースは本来不利な筈なんだがな」
間もなくコースインしようとしていたロレンツォは、計測員に測らせていたタイムから、一体どうしているのかを類推していた。
「まさかとは思うが、あそこをショートカットしてるんじゃないだろうな」
その矢先、オー・ルージュで眺めていたメカニックが血相を変えて戻って来た。
「おい、あのIZUMO、オー・ルージュを全速で走り抜けて行きやがった。人間じゃねえ!!」
だが、ロレンツォは意外にも冷静である。
「やはりそうだったか」
そう言って、ピット出口で待機。IZUMOが通り抜けた瞬間、コースインしていく。因みにWMEではスタート地点が異なっており、当時最終コーナーであったラ・スルスが1コーナーとなる。
それも当然で、当時はルマン式スタートだったため、ラ・スルスが最終コーナーでは、スタートすぐにオー・ルージュになるので不都合が多すぎるのだ。
また、ラ・スルスはヘアピンであるため、どのみち本線側もピット側もスピードを落とさざるを得ない構造だから、安全性は非常に高い。
加えて、スタート時の事故も意外と少ない。
その後近年に入って、スタート地点がラ・スルスを1コーナーとすることに変更となったのは、恐らくこれが最大の理由と推測される。
そして、IZUMOの走りを見ていたロレンツォは、それでも心の何処かでまさかと思ってその動きを注視していた。
だが、それは現実として目前で展開される。
「ウオッ、ほ、本当にやりやがった!!」
何と、ラ・スルスを抜けた刹那、緩やかに弧を描くようにオー・ルージュへ突入。イン側の縁石を掠めるように抜けて行った。
実は、ラディオンと呼ばれるあの緩いS字は、見方を換えれば変則シケインでもあり、壁のように見えることもあって、トップレーサーでもスピードが落ちる。
これまでも、あそこを全速で通過するのは理屈上は可能とはされていた。だが、様々な条件が重なり、あくまで理屈でしかなかった。実際には出来るものじゃない。
しかし、今から3年前、その常識は、あっさりと崩壊した。
1959年WMGPグループS女子に於いて、SSDに乗る調布英梨花が本当に全速で通過していったのである。英梨花は、それだけで伝説となった。尚、その英梨花は今年ランキングトップであり、勢いに乗る様子から、今年のマン島制覇及びタイトル獲得は確実視されていた。
これだけでも衝撃なのだが、その直後のグループXでも、同じくSSDに乗る西原翔馬が全速通過をやってのけた。その様子に関係者及び観客の動揺は激しく、一部は、人間じゃないと叫んだとか。
二輪と四輪の違いはあるとはいえ、F1やWMEでも、このライン取りは大いに参考とされている。
「な、成程な。ラ・スルスから先、オー・ルージュ-ケメルを変則的な緩い右カーブと見做している訳か」
フェラーリでも、あのライン取りは勿論参考にしてはいた。だが、四輪の場合、ラディオンのイン側の縁石がネックとなって、これまで挑む者はいなかった。
あそこでインに乗ったが最後、一瞬にしてコントロールを失いあの世逝きである。それで済めばいいが、観客を巻添えにするリスクもあるのだ。
ついでに、このサーキットで最大の見どころだけあり、あそこに陣取る観客は思いの外多い。また、カメラマンも少なくなく、後にはテレビカメラもここに入るようになる。
また、四輪でショートカットをするにはもう一つリスクが存在する。
それは、あの区間の異様なグリップの低さで、マシンが不意にスピンしてインの縁石を踏んですっ飛んでいく事故が少なくないのだ。
あの区間で人生の終わりを迎えたレーサーは、本当に多い。
著名なケースでは、1985年、ステファン・ベロフがここでクラッシュしており、セナより速いと言われた逸材の死は、あまりにも大きな損失だったし、2019年にはF2でアントワーヌ・ユベールが多重クラッシュの巻添え、2023年にもディラーノ・ダント・ホフが亡くなっている。
スパは本来グリップ重視の方が有利にも関わらず、あの区間だけグリップが低いという矛盾が存在していた。実は、ドリフトマシンでもあるIZUMOにとって、そこが付け目でもあったと言える。
それにしても、何故フェラーリ陣営は、IZUMOにとってスパは不利だと思っていたのか。まず、OHVエンジンは、いくら過給していても勾配には弱い。それも当然で、回転がすぐに頭打ちになってしまう。勾配では、高回転まで伸びる方が有利だ。
IZUMOのエンジンは、13000回転まで回るとはいえ、あのプッシュロッドは回転が上がるのを妨げる抵抗でもある。
しかし、その一方、あのマシンはWME屈指のハンドリングマシンでもあるのだが、それはエンジンがOHVであることが関係している。
どういうことかというと、OHVはヘッド周りが非常に軽く、言い換えれば重量物が限りなく重心に集中している。
なので、左右に振られる原因でもある側面慣性が小さい。同時に、この左右に振られる慣性は、レーサーにとって疲労の原因ともなる。耐久に於いて、これはキツい。
実は、欧米人と比べ、体格のみならずパワーはおろかスタミナにも劣る日本人が、他のスポーツ以上にモータースポーツで思うように活躍できない原因の一つが、疲労に弱い点である。特に回復力が遅い傾向にある。
それともう一つ。あの当時、マルチシリンダーがジャンル問わず正義であった中、敢えて6気筒を選んだのも、疲労抑制が関わっている。
6気筒は理論上完全バランスであり (但し、V型は理論上ダブル3気筒なので、偶力が残るが、出雲はそれを180度とすることでかなり解消している)、疲労や余計な慣性を生み出す原因ともなる振動を限りなくシャットアウト出来る。それはメカニカルトラブルや意思外でのマシンの挙動を抑え込むだけが目的ではなかった。
ダブル完全バランスである12気筒でも理屈は同じなのだが、エンジンが重くなる上、クランクシャフトが生み出す側面慣性がハンパなく(クランクシャフトが長くなると捩じ切れようとするのは、左右に振る慣性が最大の原因である)、それがドライバーの疲労を早めかねない。
かといって、8気筒も日本人にはしんどい。というのも、8気筒は等間隔爆発となる90度でも片バンクでは二次振動がバランスしない。フラットプレーンなんて以ての外だ。この二次振動が12気筒をも上回る側面慣性となって疲労蓄積につながる。
また、当時時代遅れと見做されていたドラムブレーキを敢えて採用していたのも、軽い力でコントロール可能なためで、その上即座にロックしようとすることを逆手に取り、一瞬にして減速させることで、容易に慣性ドリフトに持ち込めるメリットがあった。
だが、それは同時に思い切った操作は不可能なことを意味しており、ブレーキングも通常以上に神経を遣う。
戦前、特に制動力の強い機械式だった時代、ドライバーは荒っぽい走りをしているように見えて、その実繊細極まる走りをしていたのは、明らかと言えよう。
有体に言えば、IZUMO Type11は、肉体的に不利な日本人がレースで勝つために生み出されたのだ。それは究極のコントローラブルマシンでもあるのだが、同時に繊細極まる操縦を要求されるという、非常に大きな代償を伴うことにもなった。
何故ならこのマシン、肉体的以上に、精神的な疲労が激しいのだ。というより、磨り減るといった方がいいかもしれない。
因みに、WMGPを文字通り無敵のマシンとして席巻したSSDも、考えは同じである。二輪の場合、4気筒が日本人にとって最も疲労が少なく、当時最速だった6気筒マシンにパワーで劣るのを、スーパーチャージャーでカバーし、尚且つ極限までコントロール性を追求した。
だが、それはタダでさえ繊細な操作が要求される二輪に於いて、ゴールの瞬間まで気が抜けないという代償を伴うことにもなる。あのマシン最大の欠点は、精神的に休まる暇がないことにあった。
それ故、後には海外レーサーも多数加入するが、乗りこなせるライダーは驚くほど少なかったという。
話を戻して、実は、それが日本人なら可能なのだ。耕平は、日本人の特性に全てを託してあのマシンを設計したのである。
ロレンツォは、スパを走るIZUMOを追いながら、その正体を薄々感じ取っていた。もしも自分の推測が正しいなら、何で女性ドライバーでも勝利できたのか説明がつく。
「だがよお。コイツもなかなかにコントローラブルなんだぜ」
そう言って、ロレンツォは覚悟を決めたようにラ・スルスを抜け、オー・ルージュへ向かう。但し、相手のラインをそのままトレースしたのでは、さすがに全速通過は無理だ。
こっちはパワーがある上に吹け上がりも早いため、ラ・スルス出口のラインをインではなくアウト寄りにとる。実は、グループXでやってのけた翔馬と考えは同じだ。
そして、ラディオン出口に視点を定めながら、これまでになく繊細にハンドルを切りつつアクセルを床一杯まで踏み込んでいく。とはいえ、さすがのロレンツォも鼓動が高鳴るのを感じた。
だが、針の穴を通すかの如く、視線はラディオンに向けられたままである。
「跳ね馬よ、オー・ルージュを越えていけ!!」
その瞬間、フェラーリはインを巧妙に掠めながら、IZUMOと同じく全速で越えていった。
その様子に、誰もが唖然としていたが、取り分け唖然としていたのが、カメラを構えていた功であった。
「ま、まさか、フェラーリがアレをやるだなんて……」
その後、ロレンツォのアドバイスを受けたルドも、見事にやってのけた。さすがに勇気と度胸がいるが、一度越えてしまえばそれ程でもないことに気付く。とはいえ、越えた後は間違いなく寿命が縮む思いをするが。
これによって、スパ12時間の行方は、全く分からなくなった……




