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巫女の正体は、カミナリ族

 ルマンプロジェクト発足から、半年が経過しようとしていた。


 エンジンからミッションへと動力系はほぼ開発を終了し、シャシーの開発が始まったことで、出雲産業としては、ドライバー探しが次なる議題に上り始めていた。


 だが、肝心のドライバー候補がいない。そもそもが、開発に傾注し過ぎて、文字通り見切り発車のプロジェクトだったのである。また、耕平も通産省による合併話で頭が一杯であり、どう生き残るかしか考えられなかったのが実情であった。

 この時代、レーサー不足は世界的にも深刻で、四輪の場合、WMGPと異なり女子レーサーなんて殆どいなかった。それは日本とて同じだ。


 開発自体は順調に進捗しつつあっただけに、これは致命傷という他ない。海外から招聘しようにも、二輪で名を上げたばかりの新興国に来る奇特なレーサーなど、いる筈もなかった。


 出雲産業が誰を乗せるかで悩んでいたその頃、出雲大社から東、山奥に逼塞するように建っていた、目立たない神社があった。

 その名は、天海神社(あまのうみじんじゃ)。出雲大社の分社とされているが、実はその建立は、出雲大社より遥かに古い。寧ろ肇国と共にあったのだが、そのことを知る者は誰もいないし、また、意図的に語ることもなかった。要はタブーだったのである。


 その神社で、一人祈りを捧げている巫女がいた。千早装束は白ではなく淡い桃色。そして、染め抜かれていたのは、紫の鶴。袴も臙脂色ではなく紫と、我々が知る巫女とは大きく異なっている。

 身長は恐らく150㎝あるかどうかという程に小柄、幼女を思わせる程に丸みを帯びた罪のない顔立ちに円らな瞳。黒髪は膝上近くまで伸びており、項の直下と先端を白のリボンで結んでおり、可愛らしくも神々しさが漂う。


 彼女の名は、天野渦海(あまの うずめ)。天海神社の四姉妹の長女であった。当時17歳。幼少から、神に祈りを捧げる道を選んでおり、中学卒業後は、祈りの毎日である。

 尚、姉妹は四人とも巫女であった。


「ふう。神様とのお話は疲れるわあ」

 そう言って、渦海はとある場所へと向かう。それは、木造の古めかしい倉庫。だが、古典的な引き戸の先には、驚くべき物が。


 それは何と、真っ赤なスポーツカー。それに跳ね馬のエンブレム。そう、フェラーリであった。しかも、数台おり、いずれも欧州のレースで戦い抜いた個体を密かに入手していたのだ。

 フェラーリの勇名は当時、既に日本にも知られていたのだが、大半の者にとって、天上のクルマでしかなかった。それ以前に、自家用車の普及すら始まっていなかった時代である。日本に於いてマイカーが一般化するのは、それから10年後のことだ。


 そんな時代に、この神社はフェラーリを密かに所有していたのである。傍目には貧乏神社であったが、その正体は世界有数の財産家であった。

 全部で5台あるフェラーリ。総額は1億は下るまい。これは現在の額に換算すると、10億を容易に超える。


 倉庫の奥で巫女衣装を脱ぎ捨てると、幼い顔立ちからは想像もつかない赤の上下が露わに。その上から白地に赤のラインという、当時の四輪レーサーの典型的な出で立ちに身を包み、黒のBELL製ジェットヘル、そして父が復員した元航空兵から頂いたというゴーグルを装着し、今日はどれにしようかなと算段する。

 そして、とあるマシンを選んだ。

「やっぱコレがイチバンだよね」

 と、嬉々として乗り込むのはフェラーリ375MM。史実では1953年に生産され、僅か26台に過ぎないとされているが、ここに、幻の27台目が存在していた。


 同時期のフェラーリ250SWBと比べると、知名度が高いとは言い難いが、実はその250よりも総合的なバランスは優秀であったと言われている。

 あまり知られていないのは、恐らくその生産台数の少なさにあるだろう。だが、MMとは、かのイタリアの伝統ある公道レース、ミレミリアに由来しており、実際優勝してもいる。そして、恐らくはフェラーリの魂を最も体現したモデルであろう。

 なので、本来もっと評価されて然るべきだ。尤も、このクルマにプレミアが付くことに関し、フェラーリが許すとは思えないが。


 因みに、375MMは全てカロッツェリアであるピニンファリーナによって車体を架装されているが、一台として同じデザインはないと言われており、特にイングリッド・バーグマンに送られた一台は非常に名高い。あれが最も著名な375MMであろう。

 日本に於いて、恐らくただ一台と思われるその個体は、全体に丸みを帯びているのが特徴で、当時のフェラーリの内装は黒が定番であった中、何と赤であった。

 

 その赤い内装に身を委ねるだけで、全身が滾って来るのを感じる。そして、キーを捻ると、車内はあっという間に12気筒の轟音に包まれる。

 尚、この世界では15歳で普通免許が取れるので、その点は悪しからず。


 血が騒ぐ中、湧き上がる闘争心を押さえ込むように、375MMは夜の宍道湖へとひっそり走り出す。尤も、ひっそり走っても、その轟音は隠しきれるものではなかったが。

 なので、周辺の住民は、ここの神社がフェラーリを乗り回していることは当然知っていた。だが、暗黙の何とやらで、誰も大っぴらに口にしない。


 夜、この時代、土曜日の夜は、特に山間部にある連中が出没していた。そう、カミナリ族である。その大半は二輪であったが、ここ山陰には何と、数少ない四輪のカミナリ族がいたのだ。

 そして、国道9号線を中心に、宍道湖を周回するカミナリ族が、大挙集合していた。

「うおおっと!!」

「この野郎め!!」

「アハハハハッ、誰もこの五郎様を抜かせやしねえぜ!!」

 と、スカイライン・スポーツとプリンス・グロリアが競い合っていた。そこへ……

「うんっ!?」

 突然、ルームミラーにパッシングライトが映る。

「おい、一体誰だよ」

 と、突然の挑発に不機嫌になり後ろを見た刹那、赤いマシンが悠然と抜き去っていく。それは、あのフェラーリであった。そして、この界隈でもその存在は有名だった。だが、それを見掛けることは、滅多にない。

「おいおいマジかよ!!」

 自称宍道湖のキング、五郎も興奮するのは当然だろう。


 しかし、次の瞬間だった。


「やれやれ、すっかり仕事が遅くなっちまった」

 と、耕平が仕事から自宅へ帰っている時であった。

「うわああっ!!」

 突然現れたクルマに度肝を抜かれたのである。それは、カミナリ族のクルマとみて間違いなかった。大急ぎでブレーキを踏むが、当然間に合う筈もない。


「こ、こりゃあ、事故りやがった!!ヤベエぞおい!!」

 周囲も、これはもう大惨事確定だと思うしかなかった。だが、


 フェラーリに乗る渦海は、全く意に介しておらず、口元には笑みさえ浮かべながら、耕平と五郎の間はすり抜けていく。

 それはまさに、一瞬の出来事であった。


 誰もが唖然呆然とする中、そのフェラーリは、山奥へとライトの残光をたなびかせながら悠然と走り去っていく。何事もなかったかのように。

 この時、耕平は怒りも忘れてその様子を見つめていた。

「あれ程の行為をしながら、何てヤツなんだ。しかし、コントロール、更に一瞬の判断力、どれも並外れている……」

 そして、耕平は、ハッとなった。

「あのフェラーリのドライバー。彼こそルマンプロジェクトに相応しい」

 この時、フェラーリのドライバーが、まさか少女であろうとは、思いもしなかった。まあ無理もない。


 それから、耕平は周囲の聞き込みから、そのフェラーリは宍道湖、もしくは中海に、土曜日の夜だけ現れることを知り、部下と共に張り込んだ。しかし、時折目撃することはあっても、相手は異常な程速く、ましてや当時の国産車の性能で追いつける筈もなく、あっという間に消えてしまう。

 だが、島根県内の何処かにいることだけは確かであった。しかし、島根県と一口に言っても、その範囲は広い。もしもその場所が山間部だったら、捜索は困難を極める。


 それでも、耕平には諦めきれなかった。しかし、何の手掛かりも得られないまま、一か月が過ぎようとしていた頃、ふとある噂を耳にした。

 それは、出雲大社から離れた森の奥の神社に、件のフェラーリがいるという話である。


 耕平とて信心深い身であり、島根周辺の神社については所在は知り尽くしていた。まさかと思いつつも、藁にも縋る思いで噂のある神社の周辺にて、捜査員の如く張り込んだ。

「社長、本当にこんな場所にいるんですか?」

「最早ここしかないんだ」

 と、漆黒の帳が降りた頃、一人の巫女が近くの朽ちかけていた板張りの倉庫に向かっているではないか。実は、この倉庫にフェラーリが隠されていることまでは突き止めていたのだが、ドライバーの正体が皆目掴めないでいた。

「まさかとは思いますが、女の子ですかねえ。それも巫女ですよ巫女」

「だが、倉庫に向かっているとなれば、そうとしか思えん」

 じっと見守っていると、彼女が倉庫に消えた刹那、あの独特の轟音が響き渡る。間違いない、あのフェラーリのドライバーの正体は、彼女だ!! 


 まさか、正体を掴まれているとも知らず、フェラーリは宍道湖へ向けて走り出していくのであった。


「社長、まさか、彼女をドライバーにするつもりですか!?」

「腕は確かだ。それに、耐久レースに必要な資質を、あの瞬間に全て確認した。彼女をドライバーにするしかない。それに、我々に選択の余地はないんだ」

 そう、この山陰くんだりまで乗ってくれる奇特なレーサーなんて、いる筈もないのだ。最早、彼女に賭けるしかない。


 翌日、日課の御祷りを終えたところへ、神主である父から呼び出しを受けた。

「こんな神社にお客様だなんて、物好きもいるものねえ」

 などと言いつつ、社務所へと向かう渦海。そこには、耕平がいた。そして、御持て成しもそこそこに、単刀直入に言い放つ。

「キミの走りは見させてもらったよ。是非とも、ルマンプロジェクトに参加してくれないか?」

 

 いきなりの申し出に、キョトンとなる渦海。だが、父の一言が、彼女の運命を変える。

「これは、きっと御神意だ。行ってあげなさい」

「分かりました。私で宜しければ」

 拍子抜けする程あっさりと彼女の加入が決まるのであった。しかし、彼女はとんでもないことを口にする。


「実はですねえ、もう一人岡山にフェラーリの使い手の巫女がいるのですが、彼女を加えることを、加入の条件にして宜しいでしょうか」


 それは、予想もしなかった申し出であった……


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