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唸るV8

 翌日、ビッグ3の各マシンは、デイトナのコースに姿を見せた。


 パドックでは地元勢ということもあり、当然の如く凄まじい人だかり。それはさながら後に日本を代表する世界最大級の祭典の一つとなる、コミケことコミック・マーケットを彷彿とさせる。

 今となっては信じられない話だが、60年代のアメリカには本気が漲っており、ホットな話題には事欠かなかった。


 特にこの時代のアメ車は、今尚日本に於いてもカルト的な人気を誇ることを考えると、意欲作が多かったことは間違いないと言える。

 クルマとは、時代を反映する鑑の一つでもあるのだ。


 デイトナでのデモランでは、V8の咆哮が唸りを上げ、観客はそのサウンドにエールを贈る。


 その様子を視ていたIZUMOの面々は、

「さすがに腹に響きますね」

「日本も早くこうなるといいなあ」


 風也のセリフは、当時の日本人のアメリカに対する羨望を代弁していると言えよう。今となっては信じられないが、日本の地でも時折聞こえるV8のサウンドに振り返らない者はいなかった。

 

 そもそもアメリカに於いて、長い間V8が幅を利かせてきた理由は何なのか。


 それは、1915年にキャデラックがクロスプレーンによるV8エンジンの実用化に成功したことに始まる。それまでも8気筒はあるにはあったが、所謂フラットプレーンであり、クランクシャフトが軽く吹け上がりはスムーズな反面、その特性上二次振動がバランスしないため、それどころか二次振動が倍に増幅することからとてもではないが使い物にならなかった。


 ロールスロイス草創期にもレガリミットというV8エンジンを搭載したモデルがあり、こちらは恐らくクロスプレーンでスムーズネスな特性であったものの、後のシルバーゴーストに搭載する予定であった6気筒エンジンでもほぼ同じ特性だったことから量産には至っておらず、僅か4台が製作されただけである。

 同じ特性なら、よりシンプルな方が選ばれるのは至極当然なのだが、その後シルバークラウドまで半世紀に渡りV8を搭載したモデルが登場しなかった最大の理由は、恐らく生産コストの問題であろう。


 というのも、当時V型のエンジンブロックを製作するのは大変手間の掛かる行為であり、同じ特性ならよりシンプルな構造で済む6気筒を選ぶのは、ロールスロイスが当時最重要視していた信頼性の観点からも当然であったと言えよう。


 しかし、そんな中にあって、キャデラックは違った。というのも、当時キャデラックがロールスロイスなど先発の高級車メーカーを意識していなかったとは考えにくく、技術力や商品力アピールの観点から、V8エンジンの実用化は避けられないと踏んでいたに違いない。

 また、当時キャデラックでは、フォードの前身とも言える前近代的な量産技術も持っており、V型エンジンのブロックを量産することは訳もなかった、

 残るはクランクシャフトの問題で、クロスプレーンにすれば解決するのは分かっていたが、これをどうやって量産するかがカギであった。


 それは、鋳造したクランクシャフトを、まだ柔らかい内に90度捩ることで解決した。尚、ロールスロイスのレガリミットも、恐らくは同じであろう。

 なので、鋳造したクロスプレーンのクランクシャフトは、必ず捩った跡が残る。

 これは余談だが、削り出しによるクランクシャフトも登場している中、鋳造は未だに現役である。何故なら量産向きで安価だし、一般の市販車は削り出しのクランクシャフトを必要とする程強度が要求されないので、鋳造のメリットは大きい。


 そして1915年、苦心惨憺の末、V8エンジンを搭載したキャデラックが登場すると、爆発的に売れた。また、キャデラックの創始者であるヘンリー・リーランドはその後訳あってキャデラックを去り、リンカーンを設立してフォードの傘下に入ることで、V8のノウハウはアメリカ中に広まっていくことになる。


 そもそもがブランド確立のために誕生したのだが、アメリカに於いて多大なメリットがあったのも確かだろう。 

 国土が広く、都市との間も離れているアメリカでは、長距離移動が必然であり、そのためにはエンジンに格段の耐久性が要求される。

 その要求に堪え得たのがV8エンジンだった。その上、クロスプレーンは理屈上完全バランスであるため (片バンクでは二次振動はバランスしない)、エンジンはおろか、各種メカニズム、車体に加わる負荷も小さい。

 それは同時に長時間運転での疲れにくさにも繋がっており、アメリカで大排気量V8が主流となったのは、決して根拠のない話ではないのだ。


 要は、アメ車は世界から見ればガラパゴスになるのは必然であったと言えよう。


 それから間もなく半世紀になろうとしていた60年代。アメリカのメーカーにとっては、恐らく1930年代に次ぐ第二の黄金期であり、夕焼けも相俟って、コースを走る三台のマシンは黄金を纏っているように見えた。


 その走りを見て、田中は唸っていた。

「う~ん、大柄な割に動きは軽快だなあ。これは油断できない。もしもこんなのがルマンに殴り込みを掛けたら……」


 実際、その危惧は的中することになる。まだこの時点でルマンに勝利できる程の戦闘力はさすがになかったが、上位に食い込める実力はあったのと、当時のビッグ3の経営者は、長期的視野に基く戦略眼を確かに有していた。


 尚、今大会、フォードはシェルビーの面々がチーム運営を務めるのだが、代表者であるキャロル・シェルビーは既に日本へ飛んでおり、監督はピート・ブロックが務める。

 その上、これは極秘事項であったが、クライスラーではリチャード・ペティが出走を予定しており、且つチーム・メンバーはNASCARから招聘していた。

 尚、NASCARのピットクルーのチームワークは世界的にも秀逸なことで知られており、その上今回デイトナ24時間では、最低3分のピットイン規定しかなく、回数に制限が設けられていない。

 但し、一回につき連続走行は最大3時間までと決められており、理屈上は最低5回ピットインすることにはなる。


 だが、最低規定回数が設けられていないが故、24時間の中で高度な駆け引きが要求されるのは確実であった。

 こういった駆引きは、NASCARが最も得意とするところなのである。実際、クライスラーは当時デイトナ500を筆頭としたストックカーレースで圧倒的だった理由は、ペティの怪物振りもだが、ピットワーク及び戦略的駆引きに長けていたのも大きい。

 そもそもNASCARのルールは、イコールコンディションやマキシマムチャンスという建前のため、この頃から法律書のように難解且つ複雑であり、究極の耐久レースとも言える24時間レースともなれば、様々な要素や利害が複雑に絡むだけに、クライスラーにとっては得意戦場にも等しかった。


 そして、田中はペティが姿を現していたことから、単なる顔見せでないと判断しており、もしも彼が出走するなら、ピットのメンバーもNASCARのスタッフとなるのは確実である。

 そうなると、最も注意すべきは、今回フェラーリ以上にクライスラーであることは明らかだった。


 このため、田中はデモランの裏で、急遽作戦を変更することにした。

 それは、至極単純だった。駆引きに、ヘタな駆け引きは反って命とりになる。田中は、二人にこう命じた。


「今回、余計なことは考えるな。定石通りに行こう。とにかく、ロレックスだけを考えて突っ走れ!!」


 これを、後にこう言った。欲望作戦と……

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