運命の日
期限当日。
デイトナの地には、審査を待つIZUMOが、既にその時を待っていた。
だが、先月にNASCARによるデイトナ500が終わったばかりで、現地は未だ興奮冷めやらぬ中、デイトナ24時間を間近に控えていたのもあり、各局も相手が日本ということで、一部ではかなり挑発的な宣伝が行われたのも手伝い、観客席は予想以上の人だかりであった。
たった一台のマシンを見るために、これ程の人が集まるとは。実のところ一番戸惑っていたのは、IMSAの方であった。
しかし、田中たちIZUMOも、
「これじゃあオレたちは、宗教裁判に臨むジャンヌ・ダルクじゃないか」
だが、二人はしれっとしたものだ。
「ジャンヌ・ダルク。大いに結構じゃないですか」
「ええ。彼女がいたのは15世紀ですが、我々がいるのは20世紀。最悪でも日本に戻るだけですし、気楽に臨みましょう」
だが、今回予想もしなかった面々が、姿を現していた。それを見た田中もさすがに戦慄した。
「あ、あれは、ヘンリー・フォード二世」
彼は、当時アメリカ自動車産業界のみならず、世界の産業界の巨人の一人でもある。尚、当時は威厳ある巨人であったが、戦時中は海軍軍人であり、様々な理由から経営者としての経験をロクに積めなかった中で、終戦の翌月、創業者ヘンリー・フォードに替わり、社長に就任した苦労人でもあった。
そんな彼は、一時倒産寸前だったと漏れ伝わっていたフォードを見事に再生させてみせた。そんな彼が、何故IZUMOに興味を抱いたのか。
実はこの頃、フォードはGMに対抗するため、保守的な空気を一掃し、若者へアピールするためにモータースポーツへの積極的進出を計画しており、この間のセブリング12時間も密かに観戦していた。
その時、日本から来た一台のマシンが、まさかフェラーリを向こうに回して勝利するなどとは思ってもいなかった。
富士でフェラーリが敗れたことについても、何かの間違いだろうと思っていたのだが、それが事実であったことをセブリングで思い知らされた。
その上、今回幸か不幸か、そのマシンの正体を垣間見られるチャンスを、彼が見逃す筈もない。
そして、訪れていたのは彼だけではなかった。
「あそこにいるのはGMの役員メンバー、更にクライスラーに至っては、伝説のレーサー、リチャード・ペティまでいるじゃないか」
アメリカ産業界のみならず、アメリカのモータースポーツをリードしていた面々まで、まさに錚々たる顔触れとしか言いようがなかった。
まさか、ビッグ3といっても、そのお歴々はさすがに予想外であった。
また、後に判明したことだが、観客席にはハリウッド・スターを筆頭に、著名人も少なくなかった。その中には、スティーブ・マックィーンもおり、後にこう語っている。
『あれで栄光のルマンを撮影したかった』
皮肉にも、本番より盛り上がっていたと言えなくもない……
まさに、ジャンヌ・ダルク状態の中、現れたのは今回試乗するドライバー、キャロル・シェルビーである。
まさかの彼の登場に、田中は心臓が止まりそうだった。因みにシェルビーは、二年前に持病の心臓病が薬を以てしてもステアリングを握れない程に悪化し、失意の中でレーサーを引退。コンストラクターに転身していた。
そして彼もまた、ルマン制覇のためのマシンを構想中の身であった。実は彼も59年ルマン24時間を制している他、F1の出走経験もあるが、スポーツカーレースで顕著な戦績を残した。
富士、そしてセブリングと、フェラーリを相手に勝利した日本のマシンに、彼は大いに興味を抱き、自らテストドライバーを志願したのである。
「やあ、オレが今回テストを務めるキャロル・シェルビーだ。宜しく」
「私こそ、IZUMO監督のジロー・タナカです。宜しく」
と、お互いに握手を交わす。が、互いの視線には火花が散っていた。田中も先程までの極度の緊張など、技術者としての矜持の前に、とうに吹き飛んでいた。
ドアを開けると、シェルビーは早速品定めである。
(成程、このマシンはかなり神経質だってことだな)
大き目且つ細い径のステアリング、更に、ドライバーズシートは膝と肩以外のサポートがない。これについては一瞬首を傾げたのだが、四点式シートベルトを見て合点がいく。
(同時に、コントロール性を両立しているということか)
乗り込むシェルビーに、田中は一言。
「このマシンは、プリセレクター式の9速。シフトはシーケンシャルで、倒せばシフトアップだ」
それを聞いたシェルビーは、無言で頷く。
インパネを注意深く観察するが、
(ほう、真ん中にタコ、右にスピード、左は時計とブーストを一体化して、燃料、電圧などそれ程見なくていい物は真ん中に追い遣る。至って教科書的だが、視線がピタリと合うぜ)
その秘密は、文字盤の真ん中を黒、輪郭を赤に白文字、針を金メッキしていることにある。かのSSDでもそうであったが、これが最も視線を素早く合わせられる現状の最適解であった。
こういった細かな工夫は、当時どのレーシングマシンにも見られなかった。そして、内心独白する。
(これは、是非とも採用させてもらおう)
僅かなスターター音と共に、エンジンが掛かると、OHV特有のカタカタ音以外は至って大人しく、誰もが拍子抜けしていた。
あの時はレースだったので、他の爆音に遮られてスタート時は反って聞こえないのである。なので、セブリングでの苦情は別のマシンではないかと訝る者もいた。
しかし、ロレンツォは三日間寝たきり状態になったし、現在も耳鼻科のお世話になっている関係者が大勢いるのだ。
やがて、コースマーシャルがコースインを指示すると、マシンは静かに走り出す。いよいよ始まる運命の日である。
尚、デイトナスピードウェイは、一周5.73㎞ (デイトナ24時間の場合)。左回りで南西方向へ下るようになっており、コースはそのホームストレートの真ん中に緩いカーブを設けた変則オーバルであるが、スタート/ゴールはその緩いカーブの頂部となっており、ゴール寸前にオーバーテイク可能なことから、最後まで気が抜けない構造となっているのが特徴だ。
デイトナ500の場合、使用するのはオーバルコースだが、デイトナ24時間ではスタートすぐにテクニカルセクションに入るようになっており、ここを介してバンクに入るのと、バックストレートの終わりにシケインを兼ねたコブ状のカーブが設けられたコースとなる。
つまり、セブリング以上にチャンスが多く、荒れる所以であった。
このデイトナスピードウェイで最も評価すべき点は、オーバルにせよテクニカルにせよ、ピット出口の安全性が非常に高いことで、元よりホームストレートの緩いカーブと芝生によって (因みに当時芝はまだないのだが、こちらでは有るということにしている)、ピットは大きく離れている他、出口付近では、デイトナ500だとスリップストリーム合戦はアウト側で繰り広げられているため、復帰が容易であり、デイトナ24時間の場合だと、合流地点は1コーナーと重なるため、マシンはスピードを落とさざるを得ない構造によって、合流が容易な点で、もしもこういう構造が世界中で採用されていたら、ピットアウト時の事故リスクが大幅に減少するのは確実だし、アレッサンドロ・ザナルディの悲劇も防がれていたかもしれない。
尚、現在は当時と事情が異なっており、マシンは1コーナーで即座にインに切れ込む傾向にあるため、24時間の場合、ピットロードの合流点はテクニカルセクションの途中へ変更されている。
アナウンサーの、如何にもアメリカ的な荒ぶる実況の中、コースインしたIZUMOは、最初は流すようにコースをトレースしていく。
その様子を穴の明く程注視していたのが、やはり渦海と風也の二人。
「成程、デイトナ攻略のカギは、1コーナーに有」
「それだけじゃないわ。バックのあのコブ状のカーブもクセモノよ」
流すようにトレースしていても、実のところ、それは手の内を明かしているのと同じであった。理由は簡単で、サーキットで最速のラインは基本的に1本しかないのだから。
しかし、このデイトナはコースレイアウトを見ても、他にも走行ラインがあるのではとつい錯覚しがちで、経験の浅いレーサーだと、やらかしてしまう可能性は高い。
これは余談だが、現在はともかく、当時のデイトナでは、どちらのレースも若者はいくら才能があっても勝てないコースと言われていた。
特にNASCARの場合、当時30歳以下は極僅かしかいない。これが意味するところは、数珠繋ぎの単純なレースに見えて、その実人生経験がモノを言うレースであることだ。
それに、ストックカーはドライバーへの負担は比較的小さく、それが4~50代のドライバーでもトップクラスで活躍できる理由でもある。
但し、老練な猛者ばかりなので、それだけに別の意味で熾烈であり、スリップストリームの中で長時間コントロールしなければならない強度の緊張にも曝され、精神的にはかなり負担の大きいレースなのだ。
キャロル・シェルビーは今年39歳。アメリカのレースでは、言わば全盛期に差し掛かる頃であり、彼の走りはまさに教科書的であった。
「うひょお~、何てコントローラブルなんだ。こんなに簡単にドリフトに入れるとは驚きだぜ」
当のシェルビーは、流しでマシンのクセを掴むと、早速本気の走りを見せていた。尚、アメリカ人は腕力が強く、それ故急ハンドルの傾向が多い。加えて、ドリフトが得意な人も多く、日本人とはまた違った迫力あるドリフトが見られる。
このため、アメリカのレースでは、コーナー入口が勝敗を左右するカギとなることを意味していた。
この時、シェルビーはスポーツカーレースに出場を計画しており、そのためのマシンを構想中だったのだが、この試乗が思わぬヒントとなる。
そのマシンは後にコブラ・デイトナと呼ばれることになるが、フロントエンジン車だった。実は、デイトナを筆頭に、アメリカのサーキットは、当時だったらフロントエンジンでもミッドシップに勝てるチャンスがまだ残されていた。
そして、それはIZUMO、フェラーリの前に、恐るべきライバルとして立ちはだかることに。
更に、その様子を視ていたのが二人。
シェルビーのエンジニアで、片腕的存在とも言えるピート・ブロック。もう一人は、今年シェルビーと契約したドライバー、ケン・マイルズ。
「日本から来たマシン、なかなかイカすじゃねえか」
「だよなあ。見てるだけでは飽き足らなくなってきたぜ」
そして、本来は一周すれば終わりなのだが、シェルビーは更に三周してみせた。尚、観客はこれをサービスだと思って大興奮。
それを見て、IZUMOでは勝負あったなと思った。ついでに、マシンから発散される騒音もそれ程でもない。後に計測員からの報告で、85㏈どころか、79㏈であることが分かった。
その秘密は、ブロワーを大型のシングルから、小型のツインとし、且つインタークーラーを外したことにある。インタークーラーが、猛烈な振動からプラズマを発して周囲に撒き散らしていたのだ。
また、ツインブロワーにすることで、互いの脈動が打ち消し合うのと、小型化した結果、ブロワー内でプラズマによって70℃以下まで冷却されるため、インタークーラーは不要となる。
大型のブロワーだと、さすがに回転させるだけで熱を持つため、インタークーラーが必須となるのだ。また、ツインとすることで、出力は600馬力を超えていた。それでもブロワーの駆動にかなり食われるため、実質的な出力は430馬力くらいと田中は推測していた。
それでもツインとすることにより、加速力は大幅にアップしており、恐らく21世紀のハイブリッドマシンとも互角に渡り合えると、21世紀に入って田中は語っている。
尚、その際ミッションを9速仕様に変更しているが、実は7速を直結にしており、つまりエンジン回転と同じことを意味する。
本来レーシングカーで直結は禁じ手なのだが、というのも想像を超える高回転で駆動しているため、駆動系が間違いなく崩壊する。だが、IZUMOでは可能だった。
というのも、直結にしている時、ルーツブロワーを駆動するプライマリー・ギアは中空状態でエンジン回転が伝わらないようにしていた。
直結のメリットは、エンジンにとって最も負担が少ないことで、惰性で走っているに等しいため、マシンにとっての負担も最小となる。
尚、8速及び9速はダブルオーバードライブであり、スリップストリームからのオーバーテイク用であった。同時に、これはルマン用でもある。
レーシングカーはクロスレシオが一般的であり、普通オーバードライブは必要ない。だが、IZUMOで敢えて採用していたのは、いくら13000回転まで回るといっても、OHVにとって本領を発揮するのは7000回転以下なのである。それも、6気筒なら猶更低回転で回した方が望ましい。
だからこそ9速まで組んでおり、オーバードライブまで設けていたのである。
やがて、マシンはピットに戻って来た。そして、マシンから降りるなり、シェルビーはご機嫌な顔で言った。
「Hey, where can I buy this machine? (おい、このマシン、何処に売ってやがる?)」
つまり、審査は合格であることを意味するのだが、欧米人は普段はストレートな物言いをする反面、特にアメリカ人の場合、何か重要なことでは、敢えてアメリカン・ジョークを交えて表現することが多い。
それを聞いた田中は、それを見越していたかのように、販売先が書かれたメモ用紙を渡す。
「ここに行けば手に入るが、アクセスは大丈夫か?」
「心配いらない。いざとなれば大使館からトラックも借りられるしな」
互いに大笑いする。
翌日、IMSAから正式に出走を認める電話が入った……




