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イタリアン・スパイ その4

 町工場での予想以上の収穫と共に、コロンボが洋平と向かったのは、出雲産業本社であった。


 無論、彼の見学については、耕平に根回し済みである。寧ろ、是非とも見てもらいたいと、向こうが前のめりだったので、洋平が反って驚いた程だ。


 しかし、山陰は遠い。それは距離的な問題もだが、21世紀現在も尚アクセスできる手段は限られており、当時は猶更であった。

 当時、山陰に向かう代表的なアクセスとしては、京都、もしくは下関から山陰本線に乗るか、後はクルマやバスで向かうしかないのだが、それも限られていた。

 代表的なルートとしては、山陰本線をほぼトレースしている国道9号、もしくは広島から国道54号を通るかである。現在は高速道路として尾道松江線もあるが、やはり主力ルートであることに変わりはない。

 尚、空の玄関口となる出雲空港の開港はこの時点でまだ4年先、開港後もアクセス可能な空港は限られており、やはり鉄道か自動車が一般的だ。


 当時のアクセスの悪さは想像以上で、山陰本線は本線と名乗っている割にローカル線に近く、特急列車もそんなに多くなかった。

 このため、京都で一泊し、早朝に鈍行で向かう。その間、さすがのコロンボも、こんな辺鄙な場所に、世界の最先端を歩んでいる企業が本当にあるのかと疑心暗鬼になった。尤も、洋平は泰然自若としていることから、彼の言を信じることにした。


 鈍行に揺られることおよそ半日。夕闇で景色が茜色から間もなく漆黒になろうとしていた中、降り立ったのは、鄙びた場所であった。イタリアにも南部に行くと、こんな風景はザラにあるが、無論日本とイタリアではやはり景色は異なる。

 だが、降り立ってすぐ、目指すべき場所は大いに目立っていた。

「あの黄色い建物が、件のマシンを作っている工房ですよ」

 その工房とは、勿論出雲産業本社である。


 当時、高度成長期真只中の影響で、農機も供給は逼迫しており、社員は夜遅くまで働いていた。そんな中で、耕平は快く出迎えてくれた。

「イタリアから遥々ようこそ。私がここのコメンダ・ドーレである松平耕平です」

 自身をコメンダ・ドーレと自称するとは、一歩間違えればフェラーリに対する挑発どころか宣戦布告だが、余程の自信があるのだろうと、そんな彼に敬意を表するコロンボ。


(ほう、彼は、洋平と言い、私が知る日本人とは違う。いや、これが日本人の真の姿なのかもしれん)


 こういう時、日本企業だと社長室などに通してお茶で持て成しながらちょっとした話を挟んで見学が通り相場だが、外国人は基本的に目的を最優先とするため、この場合単刀直入に即座に案内する方がよい。特にイタリア人は猶更だ。


 早速案内されたのは、農機や産業機械部門の光景であった。そこで見た物は、コロンボの予想を遥かに超えていた。

(あ、あれは、ジュラルミンを加工しているではないか。しかもジュラルミンブロックだぞ)

 コロンボは、目を見開いてその光景を見つめていた。因みにジュラルミンはアルミと違い、光り方が僅かに鈍く、やや黒っぽい。一級の技術者なら即座に見分けがつくだろう。


 既にこの時点で絶句してしまった。その様子に、耕平も洋平も、日本は間違いなく世界と互角以上に戦えると、自信を深めていた。


 コロンボが絶句していた光景は、ジュラルミンブロックを自在に加工していた光景で、農機用のエンジンであった。当時、アルミブロックとて加工は難しく、鋳造が主流である。だが、ジュラルミンは鋳造できない。なのでエンジンブロックを作るには切削加工しかないのだが、理論上は可能とはいえ、日本の、それもこんな鄙びた地で見ることになるとは、夢にも思っていなかった。


 そして、コロンボはつい喉から手が出てしまった。

「あ、あのジュラルミンブロック、良ければモデナに贈ることは出来ないか?」

 無論、高度な技術を要する物をそう簡単に引き渡してはくれないだろうと思いつつ、そう言いたくなる程のシロモノであった。だが、耕平の反応は、

「ええ。勿論。そのつもりでお見せしたのですから」


 更に、耕平は、この出雲産業にて最も核心的な場所へと案内した。先程のジュラルミンブロックだけでも相当なお土産なのに、気前が良いにも程があるだろと、コロンボは寧ろ自分が試されているような気がした。

 まさに想定外だったのである。普通、レーシングマシンの製作現場なんて絶対見せない。理由は簡単で、最先端技術の結晶であるレーシングマシンの製作現場には、機密事項が山のようにあるのだ。

 それを公開するなんて、並大抵の自信ではない。


 レーシングマシンの製作工場は、本社の最奥にある木造の元倉庫であった。見た目はボロだが、実はSSDのマシンを生み出すあの現場とほぼ同一の仕様となっている。

 尤も、コロンボは、こんな場所からあのマシンが生まれているのかと思うと、拍子抜けしたが。というのもこの時代、フェラーリの市販車部門は当時の工場とそれ程水準は変わらないが、レーシングマシンの製作現場は手術室並の水準であった。


 案内された工場では、選び抜かれた社員が、一心不乱に製作に取り組んでいる。それは、かのフェラーリと何ら変わらない。

 だが、そこにはフェラーリですら有り得ない妥協を一切許さない空気が蔓延していた。そこにいるだけで、背筋がピンとなる程だ。


 見事な手際で組み上げられていくマシンだが、コロンボが見る限り、構造は拍子抜けする程シンプルに感じた。

(モノコックとマルチチューブラーのハイブリッドか。あの美しいシルエットの下は驚くほど貧弱に見えるな。これに比べればフェラーリはもっと頑強に見える)

 この62年、F1ではロータスがタイプ25でモノコックシャシーをデビューさせており、時代は間違いなくモノコックに移行することを、コロンボのみならずレース関係者の誰もが痛感しつつあった。

 尤も、あれを生み出したコーリン・チャップマンは天才型であり、数多のレース関係者が彼の水準に追いつくにはまだ暫くの時間を要する。


 だが、コロンボはこのシンプルさこそが最強の秘密なのだと感じていた。実際、時代が下るにつれ複雑化していくことには、ある種の抵抗を感じていた。それがどれだけリスクの高いことか理解していたからである。

 実のところ、エンジンやミッションなどのメカニズムが複雑化するのはまだそこまで危険ではない。だが、シャシーの構造が複雑化するのは、思わぬ穴を招く可能性があることをコロンボのみならずエンツォを含むフェラーリ陣営はよく理解していた。

 実際、現代のフェラーリでも、その構造は驚くほどシンプルに纏められているのは、プラモを作った経験者は何となく御理解いただけよう。


(これは、今年の最終戦にデビューさせるべきニューマシンの参考になるな)

 と、視線を泳がせつつコロンボは気取られぬよう、ある物に密かに視線を落していた。それは、何気に置かれていた図面の数々。

 本当はこれを持ち帰りたかったが、さすがに問題が多いので、自身の頭に記憶しておくのだ。それに、相手から図面を渡されるなど、基本的には屈辱である。


 更に、マシンを見ていてコロンボは興味深いものを見つけた。

「ほう。車検時のスペックでも確認しましたが、やはりドラムを使っているのですか」

「ええ。これの方が制動力は抜群ですから。戦前の映像なんかを見ると、今より余程利きが良いと感じますよ」

 実は、昔の、特に戦前のレースの映像を見ると、貧弱なタイヤとハイパワーが釣り合っていない所為もあるが、誰もがドリフトでコーナリングしているのに気づく。それは、ドラムブレーキで急激に減速できるからこそ可能なのだ。

 因みにイニDではどのマシンもディスクブレーキであるにも関わらず公道でドリフトしているが、あれはタイヤがレース用と比べグリップ力が低いから可能なのである。


 本質的には、純粋なコーナリングで言えば、四輪ドリフトの方が速い。だが、現在のマシンはグリップ走行でも速いのは、立ち上がり性能が異常な程高いからだ。ハイブリッド構造などが、有り得ない程の立ち上がりを可能としているのである。


 だが、戦後、ジャガーがディスクブレーキを導入してからレースから徐々にドラムブレーキが駆逐されたのには、ある理由がある。

 それは、ドラムブレーキは軽い力で制動できる反面、それは言い換えれば繊細な操作が要求されることを意味し、そのコントロールは非常に難しく、集中力を切らしてコースアウトするドライバーが続出する原因にもなっていた。

 また、ディスクブレーキの方がコントロールは容易である。それが安全性向上に繋がると判断したからだ。それ自体は間違ってはいない。

 だが、ディスクブレーキを満足に利かせるためには本来サーボアシストが必要なのだが、それはドライバーからコントロール性を奪う原因にもなるため、レース用マシンでは装備していないことが多い。


 だが、その場合ペダルが重く、高性能化するにつれ、ドライバーにとって次第に大きな負担となっていく。何しろ今ではガツンと踏まなければ思うように制動できない。


 確かにドラムはコントロールは難しいが、ドライバーへの負荷は小さい。そして、レースの未来を見越した上でドラムブレーキを採用していたのである。

 因みにドラムには構造上熱が籠り易く、更に水が入ればフェードなどの危険もあるが、それは技術的に解決できる問題であった。


「実は、このドラム本体はジュラルミンを切削加工した後、フィンの部分には放熱性を高めるために鏡面仕上げを施しているのですよ」

 と、耕平はコロンボに手に取らせる。尚、ジュラルミンなのでかなり軽い。その上、思ったより径も大きい。実は、タイヤを装着時、内側のホイールは殆ど見えない程に。


 コロンボは、内心驚愕していた。

(なっ、タダでさえドラム本体の切削加工は容易でないのに、更にフィンは鏡面仕上げだと!?)

 因みにフィンだけを鏡面仕上げにするのはそんなに難しくない。だが、問題はこれを切削する技術である。そんな物はフェラーリにもない。ドラムはアルミでも鋳造が基本だ。鋳造した後で研磨加工するのである。


 このブレーキだけでも並の技術でないことは、明らかだった。


 つまり、コロンボは、IZUMOが想像を絶する技術によって誕生したことを痛感したのであった。

(我々が相手にしているのは、こんな怪物だったのか)


 その後も耕平から様々な説明を受けるが、どれもが考えもしなかった、画期的なアイデアばかりであり、衝撃の連続であった。

 耕平は全てを惜しげもなく公開した。それは、このマシンを支える空力理論に至るまで。


 また、お土産として、そのドラム本体と、更にジュラルミンの切削加工に必要な工具一式、そして、それを製造販売している会社の住所に至るまで。コロンボは高い物につくとは言ったが、十分すぎる程であった。


 コロンボの工場見学は、気が付けば全てが衝撃的であった。惜しむらくは、何でこれ程の高度な技術が日本に揃っているというのか。それが残念でならなかった。

 だが、それだけの価値はあり、即座にニューマシン開発へと活かされることとなり、欧州ラウンドの最終戦、モンツァ1000マイルにデビューすることとなる。


 その後、洋平から耕平へと電話が入る。

「松平さん、あそこまで惜しげもなく公開しちゃって、敵に塩どころか金塊まで送っちゃいましたね」

「全然問題ない。ああやって説明しているこの瞬間にも技術は陳腐化していくんだ。我々は更にその先を考えていくまでだよ」


 耕平は、全く意に介していなかった……

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