イタリアン・スパイ その3
帝国ホテルに拠点を置いた後、洋平と共にコロンボが向かったのは、東京大田区である。
大田区と言えば、日本屈指の町工場の街であり、一方、実は羽田空港が苦の面積のおよそ1/4を占め、更に日本屈指の高級住宅街である田園調布がある他、北部には品川区、世田谷区、目黒区といった、政治の要衝にも近く、多摩川の対岸は神奈川県川崎市で、川崎市は横浜市に次ぐ神奈川第二の都市であると同時に、大田区と並んで京浜工業地帯を形成しており、日本屈指の工業都市でもある。
その規模は恐らく、デトロイトやボストンを除けば世界屈指の密度であろう。そして、大田区はアニメ『巨人の星』の舞台でもある。多摩川グラウンドが有名だが、彼の実家はここで町工場を経営していることも知っておくべきだろう。
尚、巨人の星を見ていた方には、星飛雄馬一家を貧乏だと思っている方も多いだろうが、野球は本質的にカネの掛かるスポーツであり、確かに暮らしぶりは貧乏くさいが、当時の日本の事情を鑑みるに、裕福な家でも生活の風景なんてそう変わらなかったし、父一徹は飛雄馬を鍛え上げるために様々な器具を用意していたが、非常に高価な筈である。
或いは、彼が自らの技術を駆使して自作したのも多いのではと思われるが、それ程の高度な技術力を持つ家が貧乏だとは、とても思えない。
じゃあ、あのマンションは一体何なのか?要は単なる分不相応に過ぎない。だが、当時の彼らをそれで非難はできないだろう。
何しろあの当時、団地住まいやマンション住まいが今以上にステータスだったのである。町工場を経営し、一戸建てに住んでいる者なら、確かに都心へのアクセスが容易な点は有難いが、箱部屋暮らしなんて不便なことはすぐに分かるだろう。だが、時代の空気が見栄に走らせた悲劇は少なくない。
話を戻して、町工場の関係者の生活が基本的に質素なのは、日本人気質も確かにあるが、そうしないとイノベーションが浮かばないことが多いからだ。贅沢三昧の満腹状態では、アイデアが浮かばなくなる。その意味で、彼らは24時間仕事モードなのである。日本の町工場を侮ってはならない。
いきなりその町工場に案内されることに、コロンボは胸の高鳴りを覚えていた。
「こ、この光景は……」
雰囲気は確かに違う。だが、その光景は、イタリアで有名な町工場の集積地、トリノやトリエステと何ら変わらなかった。
コロンボ程になると、機械が動く音や、トラックが行き交う頻度などからも、おおよその技術水準が分かるという。
「どうでしょう?」
と、洋平は控えめながらも自信ありげにコロンボを覗き込む。
「うむ、これならIZUMOが二連勝したのも当然かもな」
洋平は、この大田区でいくつか町工場を訪問させた際、製品のサンプルを手に取らせた。いずれも、イタリアに劣らぬ見事な仕上がりだった。
そして、必要なら、これらをモデナに贈るという。それは、コロンボからすれば破格の申し出であった。寧ろ、コロンボが慌てたくらいである。
「そこまでやって大丈夫なのか?」
「ええ。寧ろ、彼らはこれを切っ掛けに世界とも取引が出来るチャンスだと、大喜びですから」
その辺がイタリアとの違いかもしれない。実は、イタリアの町工場は門外不出を旨とする秘密主義的傾向が強い。
コロンボは、洋平の言に、何て強かな連中なんだと、寧ろ呆れるばかりであった。自分の秘密をこんなに簡単に公開していいのかと。
だが、実はそれこそが日本の町工場の強みなのであった。それもそうで、コロンボというイタリア産業界の大物が来日しているとなれば、恰好の宣伝の機会を、彼らが見逃す筈がない。
実はこの時代、日本は高度成長期の真只中にあり、内需での対応だけで供給は手一杯だった。にも関わらず、そんな状況下で町工場は世界を大企業以上に意識していたことは、あまり知られていない。
その理由は何かと言えば、自身の製品を輸出することで、世界の評価から、自らの水準を知ることにあった。もしも自分たちの製品が、世界の水準に劣るものだったら、やがて潰されていくと、その危機感は尋常ではなかったのだ。
洋平は、それを理解していたからこそ、コロンボをここに案内したのである。当時最強の自動車メーカーの一つであった、フェラーリの技術者の評価なら、おおよその類推が可能であると。
だが、コロンボからの評価は、先程のお土産に対する驚きで十分であろう。
更に、町工場の水準は、ここ大田区が特別ではなく、全国もほぼ同水準であると洋平から伝えられると、もうお腹一杯といった反応であった。
その後、川崎市も一通り見学したが、やはり驚きの連続で、いよいよ本丸である山陰へと向かうこととなる……




