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ワルキューレの舞 終章

 ゴールまで残り2時間。


 セブリング12時間は、このままIZUMOが日本初のウィナーとなるのか。誰もがそう思い始めていた。だが、ここに来て追い縋っているのが一台。

 それは何と、チームモデナのフェラーリ。ゼッケンは2。この時のドライバーは、ロレンツォであった。


 この時誰も気付いてなかったのだが、スコアボードではポジションは2位であったが、周回数は何と同一。タイム的には10秒遅れであった。


 実は、ロレンツォ・バンディーニは追い込みの名手であり、後半タイムを縮める腕前は超一級である。そして、スポーツカーレースはフォーミュラーレースと異なり、終盤こそが最も重要なことを、ロレンツォは知り尽くしていた。

 なので、フェラーリ陣営は独走など狙っておらず、終盤が来るまで熟達した狩人の如く、この時をじっと待っていたのだ。

 何だかんだで、IZUMOをピッタリマークしていたのである。


 その異変に観客も気付き始めると、俄然盛り上がってきていた。もしかしたら、歴史的瞬間が見られるかもしれないと。この時ばかりは子供を起こして、一緒に視ていた家も多かったという。


「そう簡単に勝たせやしねえ。こっちだってセブリングのフェラーリのイメージが掛かってるんだ」


 ロレンツォは、開幕戦直前、コメンダ・ドーレに食事会へ呼び出された。尚、コメンダ・ドーレことエンツォ・フェラーリの私生活については未だに謎が多く、そして、嘗て所属していたドライバーは皆、多くを語ろうとはしない。徹底した秘密主義で知られていた。

 だが、分かっていることとして、プライベートでは非常に質素で、懇意にしていたリストランテでもシンプルなメニューを好んでいたこと、更にイタリアワインを何より愛していたことである。


 実際、愛人問題及び私生児の認知問題以外、御家騒動を除けば、これといったスキャンダルを聞かないところをみると、恐らく真実であろう。


 尚、彼に限ったことではないが、普段表向きはハデに振舞っている大物は、私生活では驚くほど質素なことが多い。これは推測であるが、意識するしないに関わらず、そうやって生活のバランスを取っているのだろう。実際、私生活でも贅沢三昧していたら、とてもではないが大物は務まらない。


 エンツォが、かのエットーレ・ブガッティと同じく、貴族的且つ上質の食事を好んだのは事実だが、それは北の教皇としてのイメージ作りの一環と思われる。

 何しろフェラーリの顧客には王侯貴族やオールドリッチが大勢いる。それに見合うだけの教養と格を身に着ける意味でもこれは必要な措置だ。


 そんなプライベートな食事に誘われるということは、自分の素顔を見せるということでもある以上、誘われた者は公式晩餐会よりも優先するのが不文律であったという。

 何より、ドライバーにしてみれば、それが彼の愛情表現であることは当然察して然るべきである。


 その食事会は、あくまで穏やかな雰囲気の中、取り留めのない話に終始していたのだが、ロレンツォにしてみれば、時期を考えると、『今回もセブリングは我々の勝利でなければならん』、と、無言の圧力を掛けられているに等しい。


 この時代、第一次黄金期を迎えていたフェラーリであったが、F1のフェラーリのイメージが強いものの、当時のフェラーリが重要視していたのは、寧ろスポーツカーレースや耐久レースだったのではないかと推測している。

 映画フェラーリにもあるように、恐らく実態は安定していたにも関わらず、わざと御家騒動を起こして倒産寸前だと煽り、57年ミレミリアに勝利するためのマシンを死に物狂いで開発させ、その上この頃のフェラーリ・ドライバーのラインナップを見ると、F1よりこちらを重視していたのは明らかだった。


 そして、耐久ではルマン以上にセブリング、デイトナを重視していたであろうことは間違いない。というのも、この二つに勝てば、アメリカ市場での訴求力は抜群だ。つまり、フェラーリの経営の安泰を意味するのである。

 また、現実的な理由として、フェラーリは、老舗に思えて1947年創業の新興メーカーであり、実のところ日本の自動車メーカーと並んで、その歴史は意外と浅い。

 なので、市販車としての商品力強化のためにも、こうしたレースでのデータ集めは必須だった筈だ。


 エンツォ・フェラーリは、レースをするために市販車を販売していたというのは紛れもない事実だが、だからといって粗悪品を売っていたら経営が続かないことくらいは心得ていた訳で、数多のコンストラクターと異なり、その辺は現実主義者としての顔も持っていた。


「やっぱり来ましたわね。そう簡単には勝たせてはもらえないか」

 と、風也はサイドミラーにチカチカと映るパッシングを見て覚悟を決めた。これは死闘になるなと。


「やはり、フェラーリは土壇場で食いついてきたか」

「去年のこともありますしね」

 残り30分、ピットロードで、田中と渦海も手に汗握ってスリップストリーム状態の二台を見つめていた。尚、ワークス・フェラーリも今大会から275Pにスイッチしており、現在3、4、5位を走っていた。


 しかし、場内は残り30分でのデッドヒートに大興奮にも関わらず、フェラーリのガレージは不気味な程静まり返っていた。驚くことに、この時誰もレースの様子を見守っていない。

 勝利を確信している以上、その必要はないと言わんばかりの傲慢さに見えてくるが、真相は別のところにあった。


 ガレージでは、数枚の写真を監督を含む技術陣が見ていた。それは何と、IZUMOのエンジン組み立ての様子である。

「これは……次のデイトナで新型エンジンに切り替えてくることは間違いないな」

「しかし、このミッション上にV字に突出した機器の正体が、皆目見当がつきません」

「それはスーパーチャージャーだろうな。それ以外に考えられん」

「ですが、普通ミッションの上に据えるでしょうか?」

「常識でならな。だが、OHVにドラムブレーキで我々と互角以上の戦いを仕掛けてきてるんだぞ。常識で考えると、我々は負ける。最も可能性として考えられそうなことは、動力源をエンジンからではなく、ミッションから取っているのだろう」


 監督からの一言に、誰もが唖然としていた。誰かが抗弁しかけたが、監督はそれを遮って続ける。

「いや、一見すると非常識に感じるが、意外にも理に適っている。トランスミッションから取れば、エンジンに負担は掛からない。通常なら出力増加率は10乃至15%程度だが、あの方式だと少なく見積もって30%はカタい。何より、エンジンに負荷が掛からない以上、エンジンブローなどのトラブルを気にすることなくアクセルを踏み込める。これは大きいぞ」

「とすれば、何故こんな構造に切り替える必要が?」

「多分騒音への対処だろう。もしもルーツ式とすれば、ツインにすることで脈動に由来する衝撃波を打ち消し合うことで、ある程度騒音が解消できる可能性がある。お前らは知らんだろうが、一部のプライベーターが既に抗議に行ってる。それに、あのうるささときた。相手もそれなりに自覚はあるのだろう」

 随分深い読みだが、フェラーリならそのくらいは読んでも不思議はないと思っていただきたい。


「それよりだ。この写真を直ちにモデナへ送れ。少なくとも、IZUMOと同じ構造でなければ、この先我々の栄光は覚束ない」


 時計の針が、午後10時を指した。白旗が振られ、ファイナルラップとなることが告げられる。無論、風也とロレンツォも同時にそれを見ていた。

 尚、競技委員長がチェッカーを含め、旗を振る位置は、ジャンル問わずレーサーから見て必ず右側と決まっている。


 ファイナルラップに突入する二台だが、この時とんでもない事態に見舞われていた。

「おかしいわね。ハンドルが異様に軽いわ」

 実は、スリップストリームに入られたことで、IZUMOのマシンには、思わぬ事態が発生していたのだ。それは、リニア現象である。

 どういうことかというと、IZUMOはルーツブロワーから脈動に由来するプラズマが大量に発生しており、実はそのプラズマがある程度マシンを支えてもいる。

 何故ならプラズマはダウンフォースの一翼を担い、エンジンルーム内のプラズマが、マシンを押し付けようとする。

 アップフォースとダウンフォースを釣り合わせた空力により、理論上静止状態で走っている以上、こうしないと非常に危険なのだ。

 

 だが、スリップストリームに入られると、このプラズマが逆に作用してしまう。何故かというと、後方のマシンとの間に真空地帯が生じた際、ダウンフォースは言わば圧力なのに対し、真空とは圧力ゼロな訳で、圧力は高い方から低い方へ向かうため、それによって後部が浮いていたのである。

 すると、それでなくとも後部が重いミッドシップマシンは、前輪の荷重までもが相対的に軽くなる。


 現代のフォーミュラマシンなど、ウイングやグラウンド・エフェクトにダウンフォースを頼るマシンならこういった問題は起きない。寧ろ後方のマシンのステアリングが軽くなる。

 理論上静止状態を狙った空力理論の、思わぬ弱点が露呈してしまったと言えよう。


 そして、追う側のロレンツォは、更にとんでもない事態に直面していた。

「な、何なんだこの重さは!?オレは砲丸投げしに来たんじゃねえっ!!」

 フェラーリのステアリングが、利かなくなり始めていたのだ。それでもファイナルラップなので、何とか両腕全体で錆びついたバルブハンドルをこじ回すかの如く辛うじてコントロールしていた。

 風也や渦梅だったら、この時点でジ・エンドだろう。


 一体何が起こっていたのか。それは、IZUMOと逆の現象で、プラズマが真空から吸い込まれるかの如く大量に車体下へ流れ込み、強烈なダウンフォースと化してマシンを拘束していたのである。

 こうなってしまったら、一瞬減速して離れる他ないのだが、未知の領域の上、ファイナルラップに突入し、何としても勝利することしか考えていないロレンツォに、それは無理な話であった。


 加えて、超音速現象にも曝され、衝撃波で内部はジェットエンジンが響いているような状態であるにも関わらず、チェッカーを受けることに集中しているロレンツォは、そんなことすら忘れている。


 それに、仮にそうした考えが浮かんだとしても、当時のセブリングは今以上の高速サーキットでもあり、ファイナルラップではコンマ数秒のロスでもチャンスはない。

 何としても最終コーナーまで粘り、そこでゴールまでのホームストレートで出し抜くつもりだった。

 正直、腕がもうパンパンだ。何より、一周が8.366㎞と長く、この時はもういつか腕が引きちぎれるんじゃないかと思ったと、後に証言している。


 それでも諦めない勝負根性には乾杯である。


 そして最終コーナー。ロレンツォは、ほんの一瞬だけアクセルを離し、立ち上がりで並びかけようとした。だが、これが命とりだった。

「!?」

 何と、立ち上がりでアクセルを踏んだ瞬間、マシンはその場でスピン。だが、奇跡的に立ち直り、ホームストレートでIZUMOを追うが、チェッカーを受けたのはIZUMOであった。

 フェラーリがゴールしたのは、その0.6秒後だ。


 IZUMOは何と、デビュー戦に続いて連勝したのである。しかも、セブリングに勝利を刻んだ、初の日本メーカー及び日本人となる。


 だが、この時IZUMOは深刻な事態が襲っていた。リニア現象がそのまま続いていたのだ。意外に思うかもしれないが、一旦この現象に入ると、マシンは簡単には減速できない。それで何で走れたのかと言えば、皮肉にも後方のフェラーリがカウンターウエイトの役目を果たしていたからである。


「うおおおっ、こ、これはヤバい!!」

 風也は、咄嗟にエンジンを切ると共に、1コーナー手前で急ハンドルを切りながら急ブレーキを踏み込み、マシンを回転させてエネルギーを消耗させる。

 数秒後、周囲に白煙とゴムの焼けた臭いを撒き散らしながら、マシンは何とか停止した。


 その様子に、先程のゴール直前までの見せ場もあり、観客は勝者としてのサービスと勘違いして興奮はクライマックスに達していた。だが、風也はなかなか出て来ない。

「ふう、ふう。あ、危なかった……もう少しで死ぬとこだったわ」

 この時、風也は一体どうしたのか、殆ど憶えていないという。恐らく本能的な反応だろう。そして、恐れを知らぬ世代とはいっても、さすがに命の危険を感じた。


 だが、皮肉にもこの時のスピンターンが、その後セブリング、デイトナ、更にNASCARでも勝者の儀式として広まっていくことに。

 とにかく、場を盛り上げることに関して、アメリカの右に出る国はいない。


 どうにか落ち着いたところでマシンを降りると、風也はヨレヨレであり、異変に気付いて慌てて駆け付けたコースマーシャルに支えられながら、観客に手を振ってピットに戻る。

 その際、観客は、新たな勝者の誕生を、歓声と拍手で以て存分に讃えるのであった。あの走り自体は見事だったし、フェラーリを向こうに回しての勝利を、誰もが認めざるを得なかったのである。


 表彰台では、我を忘れて燥いだ二人は、健闘を讃え合うかのようにフェラーリのメンバーから揉みくちゃにされた。


 だが、田中は今大会勝利は喜びつつも、内心は複雑であった。とうとう恐れたことが起こってしまったなと。

 だが、抜かりの無い田中は、当然デイトナに向けて対策を既に用意していた。それは、次の戦いで明らかとなるだろう。


 こうして、セブリング12時間は、富士に違わぬ波乱の内に幕を閉じる。だが、全体には素晴らしいレースであったと言えよう……

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