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ワルキューレの舞 後編

 レースの分水嶺である6時間で遂にトップに立ったIZUMO。


 だが、そのままゴールに向かわせてくれる程、ライバルは甘くなかった。


「くっ、危ないわねえ!!」

 何と、プライベーターを中心に、周回遅れから妨害が掛けられていたのだ。といってもこの時代、こういった行為は割とよく見られた。アメリカのレースでは猶更だ。


 因みにNASCARを舞台にした映画『デイズ・オブ・サンダー』では、そういったアメリカ特有のケンカ・レースの様子が余すところなく再現されており、一見の価値あり。また、主演はトム・クルーズであり、彼のファンも是非とも観ていただきたい。

 これは余談だが、制作は1990年であり、これ以降、さすがのNASCARもかなり大人しくなった。その意味からも、当時のNASCARを、引いてはアメリカのレースを知ることの出来る貴重な資料ともなっている。


 とあるジャガーで出場していたプライベーターは、突然出現したIZUMOに対し、

「ちくしょう、何でこんなに速いんだ。ぶっ飛ばしてやるぜ!!」

 と、露骨に妨害を掛けるも呆気なく躱されスピン。ピットロードに激突して自爆。尚、レーシングアクシデントでは賠償義務は負わないが、ペリメーターの修理費は極めて高く、意図的であると判断された場合、弁償は無論、最悪の場合、レーサー生命が終わることになる。


 因みにアメリカでピットにペリメーターが多用されているのは、競馬場のラチと同じで、わざと壊れやすくすることで、万一の際のダメージを最小化する狙いがある。また、衝撃吸収力も高い。

 これは、出来れば他国のサーキットでも導入すべきだろう。本当はピットと分ける垣根はない方が反って安全性が高いのだが、ピットストップルールでも導入しない限り、これはどうしようもない。何しろ今尚ピットストップでさえスピードを競う要素となっている内は。


 で、セブリングは当初からピットが最終コーナーの内側に設けており、且つホームストレートを外側へ幅を拡げることで安全性が高められているなど、今尚絶賛すべき要素の多いコースだ。

 尤も、ピット入口は外側に設けるのもメリットはあり、そうすれば減速などによるクラッシュのリスクが減るので、ドライバーにとっては負担が少ない。

 しかし、レーサーはピットインしようとするマシンについては気配で分かるので、その点の心配は無用だろうと思われる。


 話を戻して、問題は妨害に留まらなかった。


「うるせえな、あのマシン。て、あれっ!?」

 ポルシェのドライバーが、IZUMOが抜き去って行った矢先、次のマシンが轟音を発して抜きに来たと一瞬後ろを振り返るも、誰もいない。

 そう、スーパーチャージャーの構造に由来する超音速現象のため、抜き去った後に音が聞こえる現象に戸惑うドライバー続出し始めた。

 この時、レースは8時間目に入ろうとしており、当然途中休憩を取ってもドライバーの疲労はイヤでも蓄積していく。

 その疲労で、一瞬冷静な判断が出来なくなる事態が生じ得るのが耐久の恐ろしいところだ。


 そして、とうとう恐れていた事態が発生してしまった。


 IZUMOが悠然と走り去った刹那、そのサウンドに後続が迫って来たと勘違いしたポルシェがブロックを掛けようとしてブレーキのタイミングを誤り、最北のシケインでスピン。

 幸い誰もおらず、すぐさまコースに復帰したので事なきを得たが、アナウンスからそれを知った田中は、これはマズいと思い始めていた。というか、この超音速現象、開発時から田中は問題視していた。

 それは耕平も同じだったのだが、実は四輪に於いてIZUMOのみならず他のマシンでも多かれ少なかれ発生している。


 というのも、レーシングマシンともなれば、やはり最大の発生源はエンジンであり、時速が200㎞/hを超えると、エンジンサウンドが大気圧に打ち勝って衝撃波を発生するようになるのだ。

 特にDOHCは顕著で (ヘッド周りに可動部が多く、シリンダーと比べると遮音されていないため)、ヘッド周りの騒音は想像以上に多くの衝撃波を発散している。


 実際、エンジンの騒音の多くはシリンダー内の爆発音より、ヘッド周り、或いは排気管から発生しており、所謂ターボエンジンの場合、公道レベルのスピードでは然程でもないが、200㎞/hを超えると重低音を伴う衝撃波を発散するようになる。

 ターボエンジンは、NAエンジンと比べるとそんなに煩く感じないかもしれないが、衝撃波としてのエネルギーは、実はNAエンジンよりも凄まじい。また、聴覚へのダメージも大である。


 しかし、田中から言わせると、やはり耕平は見通しが甘かった。

 宍道湖周辺でテストしていた時は、然程でもなかったのだが、実は宍道湖や周囲の自然が、衝撃波を軒並吸収していたために問題が表面化しなかったのである。

 だが、何故田中だけが看過していたのか。


 それは、戦前から航空機エンジンを研究していた中、当時から過給機の装着は当たり前で、その際に放つ衝撃波についてイヤという程知り尽くしていたのだ。

 信じられないかもしれないが、レシプロエンジン機でもあってもこれが起こり得るのである。ただ、航空機は空気が薄い場所を飛行するため、そういった衝撃波は弱い。

 そして、このマシンの過給機を設計したのは、皮肉にも田中なのであった。設計した当人も危惧しつつ、それでも世界で伍して戦うためには、仕方のない選択だった。


 なので、問題が表面化しないでくれと、希望的観測に縋っていたのだが、現実はやはり甘くなかった。そして、誰も聞いていないであろう、だが、重要な独白を口ずさんだ。

「これは……ツインルーツしかないな」


 田中の独白の意味は、次のデイトナ24時間で明らかとなる。更に、パドックでスタッフに命じた。

「おい、パドックで次のエンジン準備してくれ」

 スタッフも気心の知れた仲なので、その意味をすぐに汲み取った。やはり考えていることは同じだったのだ。

 尤も、そのエンジンを組み立てている様子は、他のチームも見ていたのだが、取り分け穴の明くかの如く注視していたのが、よりによってフェラーリだった。そして、IZUMOに対抗するためのヒントを得るのだ。


 それが、翌年の死闘の原因ともなるのだが、この頃は何処も機密管理について、それ程神経質ではなかった。寧ろ機密主義が招くリスクの方を警戒していたくらいだ。

 というのも、機密主義が不正行為だと因縁をつけられると非常に面倒だったのである。それに、技術というのはいずれその秘密が明らかとなる宿命にある以上、ある種の開き直りと暗黙の了解によって、モータースポーツは成り立っていることを、誰もが心得ていた。


 第一、IZUMOとて、誰もが見ていることは想定内であり、当時の日本の立場を考えれば、注目されるのは賞賛に他ならない。なので、組み上げているスタッフも、内心鼻は高かった。


 やがて、8時間目に再び渦海に交代し、そのままトップを独走。10時間目、風也に交代して最後のピットストップと共に、残りは2時間。

 この時、フロリダはサンシャインシティから通常大人の時間となっており、漆黒ならぬ金の帳が降りていた。


 IZUMOはセブリングでも至って快調であり、今のところトラブルの兆候はなく、独走状態は揺るぎない。一見するとつまらない光景だろう。しかし、日本からやって来たマシンがトップを独走している光景は、それだけで視聴者を釘付けにするには十分過ぎた。


 尚、金の帳とは、要はゴールデンタイムのことであり、大人の時間と言われる所以は、当時のアメリカでは、子供はもう寝る時間であったことを意味する。

 当時のアメリカで何より重視されたのは、一家団欒以上に、子供の健やかなる成長であった。


 日本もそれに倣ってか、7~80年代は、夜7時30分にはお風呂に入って8時には練るべしといったことが、子供向けの雑誌にはしばしば書かれていたものだ。

 それまでは、意外かもしれないが、夜9時頃が普通であった。というのも、子供も重要な働き手であることは戦後暫く変わることはなく、特に農村では子供も夜なべの手伝いは欠かせなかった。

 

 その意味で、8時に寝なさいというのは、実は生活にゆとりが出て来た証拠でもあるのだが、程なく本格化する受験戦争によって、有名無実と化していく。

 子供は本来最低7時間の睡眠時間が必要なのだが、そんなことをしていたら、大学どころか高校にさえ受からない地獄の始まりでもあった。

 当時は何だかんだで一秒でも多く勉強した者が受かる時代であったのは確かであり、四当五落は決して根拠のない話ではない。


 ただ、日本ではそこで済んだが、欧米の上流層や、経済成長著しい新興国では、それこそ二当三落状態だと漏れ伝わる。

 何でこうなったのかと言えば、経済成長によって富裕層に新たに加わった者のみならず、所得向上によって大学を狙える家庭が増えた結果だ。

 大学の定員は然程増えていないのに志願者が増えれば当然の帰結である。


 話を戻して、この時、セブリング12時間も終盤に差し掛かったのもあり、全米で多くの視聴者がその様子を視ていた。


 そして、夜になって、さしもの田中ですら予想もしなかった問題がセブリングに波乱を巻き起こす……

 

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