ワルキューレの舞 中編
スタートから4時間。
尚、セブリングではピットインは最低6回、且つ一回につき最低5分というルールが定められており、IZUMOは1時間後にピットインしていた。
それから間もなく4時間。ここでドライバーが交代する手筈になっていた。実は今回、スタートから4時間まで渦海がぶっ続けで乗っているのだ。
因みにこの時の順位は既に3位であった。
ここまでは比較的順調なのだが、セブリングはなかなかにハードなレースであり、寧ろ想定以上であった。というのも、田中の計算では、10位以内なら取り敢えず御の字と思っていたからだ。
尚、今回は平地でのレースのため、富士程気を遣う必要がないのは楽ではあった。アメリカの場合、次に同じフロリダで開催されるデイトナ24時間もそうだが、平地でのレースは少なくとも日本側の観点からすれば、苦心する要素は少ない。
尤も、次のデイトナでは、富士並のコースのハードさに翻弄されることになるのだが。
因みにここだけの話、IZUMOのマシンは、基本的に足回り及びコックピット内のセッティングが中心である。
エンジンはOHVなので弄る部分はそんなにないし、その上パワーバンドが広いので猶更。また、ミッションもパワーバンドの広さのためにギアはワイドレシオであり、1速辺りのカバーできる範囲が広いので、基本弄る必要がない。
これも耕平の深慮遠謀で、調整箇所が多い程、反って最適なセッティングを見出すのが困難となる。弄れば良いというものではないのだ。
ましてや四輪は構造も複雑であるため、弄る箇所は一つでも少なくしたかった。これは、メカニックのミスを防ぐことにもなるので、安全性も高まる。
FIAの計測員がストップウォッチと睨めっこの中、悠然と乗り込む風也。やがて5分が来たところで、マシンは静かにコースへ戻っていく。この時の風也も渦海と同じく、次は2時間後に一旦ピットストップに入るのだが、次は10分程ピットストップして、燃料補給を行う。
12時間レースなので、今回はいつもの70リッターではなく、100リッターのタンクに変更していた。といっても、タンクはゴム製なので、必要に応じて容量を膨らませるだけである。
その原理は何と、ゴム風船とほぼ同じ。と言っても通常の風船など当然使えない。蛇腹で段階的膨らませたり縮めたりしている。ベローズのような蛇腹構造だと静電気が溜まるので、ほぼ三段階式で、最大150リッターまで対応可能だ。
そして今回から富士での前例を受け、プレスがピットに入って撮影しており、IZUMOの様子も勿論熱心に撮影している。
無論、アメリカのメディア他、欧州のメディアもおり、東洋からの挑戦者にして、しかも女子レーサーである二人は、何処か神秘的な雰囲気も相俟って、特に熱心に撮影していた。
一方、交代した渦海は、次は4時間後まで出番はないので、その間シャワーを浴びたり、更に遅い昼食と相成る。
今回チームが用意してくれたのは、何と天ざるそばであった。尚、IZUMOに協力しているのは何と玉造温泉の板前である。
また、意外かもしれないが、当時アメリカでも蕎麦は比較的手に入り易かった。というのも、アメリカにはそば粉を使ったサラダが存在するのだ。アメリカはカナダと並んで蕎麦の栽培も盛んであり、それに天ぷらの素材も入手は難しくない。また、醤油も既に輸出されていたことから、みりんなどのダシくらいで、後はほぼ現地調達だ。
それにしても、外国の地で和食とは何と贅沢なことかと思うが、これはアメリカだけの話で、欧州ラウンドに入ると、そうはいかなくなる。
渦海は、アメリカの地でまさかの故国の食を、懐かしむかのように噛み締める。尚、パドックで啜る音が厳禁なのがちとつらかったが。
日本ブームの今でこそ蕎麦やうどん、ラーメンなど麺料理で啜ることはマナーとして認知されるようになってきたが、当時日本食は、マナーも含め見下げられたものであった。
その潮流が変わり始めるのは、2年後の東京五輪成功を待たなければならない。
昼食の後は、少しばかりだが仮眠を取る。体力温存のためには常識だ。また、思考もリフレッシュすることが出来る。耐久は、スプリントと異なりドライバーの自己管理は本当に大変だ。
本来ならピットから様子見していたいのだが、それは監督やスタッフの役目である。
風也に交代しても、元の周回数が多く、次のピットイン直前には遂にトップに立った。その時のゼッケンはスタート時のグリッドと同じ90であり、スコアボードのトップの位置に90のゼッケンが登場すると、誰もが色めき立った。
日本のマシンが、まさかアメリカの地でトップを走るなど、誰も予想していなかったのだ。面白いのが、そうなってくると、誰彼いうともなく、声援を送る者が出始めることである。
古き良きアメリカは、同時に人種差別でも全盛期であったが、実力ある者は認めるフェアな面も持ち合わせていた。でなければ、黒人がスターダムに上がれる筈もないだろう。
そこは、アメリカ流のケジメでもあった。
だが、観客席、ゴール付近に陣取って、差別を受ける側としてぼやいていた男が一人。
「ふう。日本からのプレスは撮影禁止ってか。富士の報復かもしれんな」
それは何と、モーター月報の功であった。開幕戦に於いて撮影に向かうのは当然のことだったのだが、アメリカの人種差別の壁に阻まれて撮影許可が降りなかったのである。
このため、観客席からマニアのフリをして8ミリフィルムで動画を撮影していたのだ。これは撮影終了後、日本へ送ってから編集してもらわねばならない。
だが、嘗てモーター月報は、海外にまで取材に行った実績もあり、コネが全くない訳ではない。この時功は知る由もなかったが、ピットで撮影した写真については、NBCから送ってもらう手筈になっていた。
編集長の父は、NBCの関係者と友人だったのだ。
しかし、今回は功にとって退屈な仕事になりそうだったのだが、ゴール直前、思わぬ特ダネに遭遇することになろうとは、この時知る由もなかった……




