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ワルキューレの舞 前編

 星条旗が振られ、一斉にマシンに駆け寄るドライバー。


 この時、ホームストレートでは、ある一点を指してザワつく観客が少なくなかった。そう、IZUMOに乗り込むドライバー、渦海である。

 何しろ紅一点なのに加え、紅のスーツは目立つし、更にドライバーの中でも一際小さい。殆ど子供が乗り込むような感覚だったろう。


 日本人はチビだというのは当時のアメリカ人の間ではお約束というか枕詞に近かったが、それでもアレはないだろと思う観客は少なくなかったであろう。

 子供が乗るなんてマズいだろと。実はこう見えて、アメリカは子供の扱いには神経質なお国柄だ。

 ましてや日本のように、地方の小学生が夏休みに、一人で東京に遊びに行くとか、アメリカの親が聞いたら卒倒ものだと思われる。


 因みに、それを知ったのかどうかは定かではないが、その後、渦海のコメントは辛辣さを増すことになっていく。

 当時日本人のステレオタイプでもあった、メガネ出っ歯の出で立ちでコメントに応じようとしたこともあったが、結局は田中に止められている。さすがにそれはマズいと。

 当人にしてみれば自虐をネタにしたジョークであったが、どう考えてもアメリカに対する挑発である。


 やはりその辺が、戦前戦中に生まれ、戦争と戦後の混乱を乗り越えて来た、恐れを知らぬ世代であると言えなくもない。


 ルマン式スタートの中、やはりというか、少しでも早くスタートしようと、シートベルトを締めずに走り出すドライバーは後を絶たなかった。

 尚、フェラーリではこういう行為は許されていないため、出遅れがちとなる。また、IZUMOでも必ず着用しろと厳命されていた。

 前者では安全上の問題からだが、後者では別の理由もある。それは、シートベルトで固定していないと、そもそもマトモにコントロールできない。


 ホームストレートにエンジンの轟音が響き渡る中、次々とコースインしていく90台ものマシン。その中にあって、フェラーリは中団、IZUMOはビリからのスタートである。


 ピットで見守る田中だが、レースは始まったばかりであり、別段気にしていない。ゴールを迎える午後10時、チェッカーを受けられれば問題ないからだ。


 当時のセブリングのコースレイアウトは至極単純であり、多くのコーナーが直角だったのだが、寧ろIZUMOにとっては得意とも言えるコースであった。尚、セブリングは右回りである。ついでに言うと、何で敢えて右回りを強調しているのかというと、アメリカには左回りのコースが多い。


 スタートこそビリであったが、OHVの加速は速く、更にスーパーチャージャーと言っても通常の構造とは違う。エンジン負荷に打ち勝って回転するのに加え、動力源はトランスミッションから取っているため、オーバーレブ寸前まで過給する。

 実は、ルーツ式にせよ遠心式にせよ、更に言えば排気タービン式にせよ、過給時にはかなりの出力がコンプレッサーによって食われている。


 では何故スーパーチャージャーの場合、出力損失があんなにも大きいのか。出力が頭打ちになるのか。エンジンから動力を取る以上、クランクシャフトの回転負荷によって制約を受けるからである。

 やろうと思えば不可能ではないのだが、その場合、クランクシャフトが捩じ切れ最悪エンジンブローを覚悟せねばならない。

 そもそもクランクシャフトは頑丈そうに見えて、往復運動を回転運動に換える過程で想像を絶する負荷が掛かっており、見た目と比べそんなに丈夫な部品ではないことに留意すべきだろう。

 それがスーパーチャージャーが出力が頭打ちとならざるを得ない最大の理由である。


 それを防ぐため、事実上回転負荷による制約のないトランスミッションのプライマリーギヤから取っているのだが、いくら負荷に打ち勝って脈動やプラズマで自律的に回転を始めるといっても、コンプレッサーが駆動するだけで増加分の出力の大半が食われることに変わりはない。

 このため、実際の出力増加率は精々10~15%程度である。


 それでも過給機を装着した方がタイム的に有利なのは、吸気がエンジン回転に依存しないために安定することと、過給機を装着するのは理屈上エンジンを二基搭載しているのと同じなので、その分による上乗せが加速力向上に繋がるからである。回転の上がりが早いのは、そういうことなのだ。

 但し、この方式のスーパーチャージャーにも欠点があり、特にルーツ式の場合、エンジンから直接駆動するのに比べるとコントロール性がやや低下する。


 このため、過給機の回転がなかなか下がらないので、ディスクブレーキは絶対使えない。ドラムブレーキを用いるのは、瞬間的に制動可能な特性故で、そうしないとハンドリングに悪影響が出る。

 ディスクブレーキだと、マシンはコーナリングせずにコースアウトしようとするか、それで尚コーナリングするなら、かなりのスピードダウンを強いられ、レースにならない。


 言い方を変えれば、このマシンはドリフトでしかコントロールできない。ある意味、IZUMOが持つ致命的な欠点と言えるかもしれない。

 その意味では、ダウンフォースとアップフォースを釣り合わせ、且つダウンフォース+1.02は操縦性も神経質なのも手伝い、乗りこなすのは非常に難しい。

 因みにダウンフォースはレースでなら+1.05までなら増やすことで扱いやすさが増すのと、市販車の場合、セダンやミニバンくらいなら+1.10、大型車なら+1.20までなら扱いやすさと燃費を両立できる。


 実は、釣り合わせた空力特性は、理論上静止状態と同じため、走行抵抗は大きく、IZUMIOの燃費は空力的には最悪でもある。Cd値は風洞試験では0.24なのだが、実際には静止状態である1に限りなく近い。

 尚、静止状態の時、Cd値は理論上0だが、一方で最も空気抵抗の大きい状態、1でもある。

 但し、厳密には、表面積から計算して割り出されるCd値とは異なるので、そこは注意して欲しい。

 それでも70リッターしか搭載していないのは、バランスの関係に加え、OHVは基本的に低燃費だからという救いがあるからだ。

 また、ドリフトマシンであるが故、タイヤのグリップに依存していないのもある。バイアスタイヤだし、且つハードコンパウンドを基本としている。


 こういった、総合的なバランスで成り立っているマシンなのだ。それが、後に伝説を残すことになる最大の秘密である。


 もしもこの先、GTシリーズにバーチャルマシンとして登場した場合、プレイヤーはその神経質さやドラムブレーキ特有の特性に戸惑い、発狂するかもしれない……

 だが、同時に乗りこなせた場合、間違いなく無敵を誇るだろう。


 話を戻して、スタートから30分、予想通り有力チームは徐々にトップグループへと顔を出し始める。チームモデナの黄色いフェラーリは、既に2位に上がっており、トップを走るポルシェ904を抜き去るのも時間の問題であった。

 この時代、フェラーリとセブリングの相性は抜群だったし、観客もプレスも今年の勝利、そしてフェラーリの7連勝を疑っていなかった。


 だが、この時観客の一部はフェラーリではなく別のマシンに注目していた。


 それは勿論、日本からのチャレンジャー、IZUMOであった。


 フェラーリと比べても一際低く古典的なティアドロップのシルエット。走り去った後に響き渡る轟音。それだけでもファンタスティックであったが、コーナリングが異次元すぎた。

 アウトからドリフト特有の悲鳴を響かせながら悠然と抜き去り、その上ドライバーはすり抜けるように次々とマシンを躱していく。


 その走りに観客は目を見開き、一部はサングラスを上げて、もしかして幻覚ではと戸惑う。アメリカ人らしい反応だった。

 更に、北側のセクションでは、長いストレートで有り得ないような加速を見せてゴボウ抜き。恐らく現在のWECのハイブリッドマシンより速い。とにかく加速力がハンパなかった。

 一部の観客は、まるでドラッグレーサーだと証言している。因みに現在の最速のドラッグレーサーは、僅か1秒で100マイル(161㎞/h)に到達するが、その際の強烈な縦Gで失神するドライバーもいる。

 

 さすがにそこまでではなかったが、IZUMOの加速時の縦Gが強烈なことは事実で、最大で9Gに達することもある。その上ドリフト時は横Gも瞬間的に最大7Gに達することもあるが、それは一瞬なので、女の子でも何とか耐えられるのだ。

 そして、あることに気付いてザワつく観客も。


「そういえば、あの金色のイズモに乗ってるのって、女の子だったよね」

「確かそうだったな」

 そして、改めて気付いて、ウッソオオ!!となる。その上、IZUMOのシルエットは、何処からでも目立った。


 また、最北セクションの観客席はシケイン状になっている場所にあるため、立ち上がりからここまでの加速の様子がドラッグレーサーどころかロケットのように見えていた筈だ。

 その上、事実上のシケインを、ショートカットするように走り抜けていく。このため、観客から見れば、殆ど止まることを知らないかのように見えたことだろう。

 そして、その走りはそれでいて美しく、まるでセブリングを舞っているかのようだったと証言する観客も。それは後に、特有のサウンドと相俟って、ワルキューレの舞と呼ばれることに。


 こういうのをアメリカでは、クレイジーと言う。それはこの場合、間違いなく賞賛である。


 だが、観客は絶賛ものだろうが、抜かれるドライバーは堪ったものではなかった。というのも、突然現れるマシンに狼狽する者が少なくなく、一歩間違えれば進路妨害に見えなくもなかった。映像を見れば問題はないのだが、原因は、IZUMOの異次元のハンドリングにあり、それが可能だったのは、上述のように理論上静止状態の空力と、瞬時に制動可能なドラムブレーキ、そして、レスポンスの早いハイカムOHVとスーパーチャージャーのためである。


 その様子に、場内アナウンスもだが、プレスセンターまでもが大騒ぎとなっていた。


 フロリダのハリケーンシーズンは、6月から11月頃だが、IZUMOはここ、セブリングに於いて、季節外れのハリケーンを巻き起こしていた……

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