洗礼
早速コースインしていくIZUMO。
因みに当時からセブリング・レースウェイでは、所謂ピットロードが設けられており、出口は1コーナーを過ぎた合流点にあって、非常に長い。
尚、当時多くのサーキットでは、ピットロードは設けられておらず、ホームストレートから直接入っていくのが主流であった。
このため、アメリカのサーキットにはやや違和感もあった。その上、大掛かりな整備はパドックで行うことが厳命されていたため、修理のためのピットインは、事実上のリタイアとなる。
パドックからガレージへ戻し、コースへ復帰するのは多大なロスとなるため、恐らく何かしらのトラブルを抱えたマシンを排除することで安全性を確保するのが目的ではと、監督の田中は推測していた。
耐久レースで大掛かりな整備になることは珍しくもないのだが、その容赦のなさが、アメリカ流と言えよう。
で、当時のセブリングは、1950年にオープンした時は元米陸軍航空隊の飛行場であった、セブリング・リージョナル空港の滑走路と誘導路を繋げるようにして造成された。
一周は8.366㎞。
その後1952年に一部をアスファルトにするなどの大規模な改修が行われており、この頃は現在と異なり、長いストレートと直角カーブで構成された比較的単純なレイアウトであり、1982年まで何度か小規模な改修はあったものの、基本的な構成はほぼ変わっていない。
それが大きく変わり始めるのは1987年頃からだが、理由は無論マシンの高性能化に対する安全性確保である。
特に、北側の三角セクション、最北の部分はストレートと直角カーブから、様々なカーブで構成されたテクニカルセクションへと変貌することに。
因みに、アメリカのサーキットのレイアウトは、基本的にスリリング且つ見ていても面白く、もっと評価されるべきであろう。
同時に、そこにはセブリング特有の問題が潜んでいた。それは、特に北側のほぼ三角形を構成しているセクションはアスファルトになっており、それ以外はコンクリートとなっていることだ。
また、嘗ての航空基地の名残として、コンクリート板で接合したバンピーな路面が、ドライバーを苦しめる。
『Risupekuto bumps』(バンプを敬え)という看板も掲げられている程だが、敢えてこういうラフな面を残しているのが、アメリカらしいと言えなくもない。
IZUMOにとって鬼門と言えるのは、北の三角セクションの筈で、アスファルトではドリフトは不利だ。グリップが低ければそれ程問題ないが、滑走路に使われるアスファルトのグリップは基本的に高い。
ドリフトコントロールを前提としているマシンにとって、アスファルトは車体に過大な負荷が掛かる。
こうした関係上、見た目に反して最適なセッティングは難しい。だが、足回りの調整が、勝敗を左右するカギとなるだろう。
12時間レースは、実は耐久では楽な方に入るレースなのだが、思った以上にクセツヨなサーキットであり、足回りに関するデータやノウハウをどれだけ持っているかが有利不利を分けるのは間違いない。
実は、耕平が早めにチームを送り出したのも、それが理由の一つだった。
そして、案の定というか、渦海は、早速Risupekuto bumpsの洗礼を受けていた。
「あううう、な、何このコース。お尻がメチャクチャ痛いんだけどお」
それでも傍目にはカッチリコントロールしており、その上排気口から黄色い光を発しているため、プレスの連中は大興奮。アメリカ人は特にこういう演出が大好きだ。なので、彼らが収めた写真には、ヤケにテール部分が多い。
その上、この時スーパーチャージャーから発する轟音が超音速現象を齎していたのだが、それについてもサプライズと思っているフシがあった。
何しろこの時、ジェット戦闘機のようなサウンドを響かせていたのである。
恐らく21世紀現在、このマシンは間違いなく走行自体が許可されない。何故って?超音速現象による弊害が明らかとなっているからである。
また、騒音とは本質的にプラズマ現象の一種でもあるため、騒音に関して上限値が設けられることだろう。はっきり言って、2020年代のF1マシンよりもうるさいのだから。
レース用マシンに騒音規制など、二輪じゃあるまいし無粋の極みだが、このマシンはその限度さえ超えているのだ。
ただ、日本では然して問題にならなかったのだが、いざ本番となると、このマシンの特性が、アメリカの地に於いて思わぬ問題を引き起こすことになるなど、予見できた者は日本側の関係者も含め、誰一人いなかった……




