気が付けば……
波乱の終幕となった富士6時間レースであったが、朗報もあった。
それは、気が付けば日本勢が勝利したことであり、IZUMOの総合優勝を筆頭に、プリンスR381が4位、更にR380の2台も5、6位とフィニッシュ。更にホンダのS600も8位に入賞したことで、日本勢が二輪のみならず四輪でも世界で戦えることが証明されたのだ。
因みに耐久選手権では、原則10位までポイントがつくため、IZUMOが20ポイント、プリンスが10、8、6ポイントをゲットし、ホンダも3ポイントをゲットした。
これは余談だが、耐久レースでは走る時間によってもポイントが異なっており、12時間だとこの倍、更に24時間の場合、6時間の三倍である。
1位からそれぞれ、24時間を基準にすると、60、48、36、30、24、18、12、9、6、3ポイントだ。
更にルマンの場合、特別ルールが適用されており、12位までポイントがつくのと、それぞれ70、56、42、36、30、24、20、16、10、8、6、2ポイントとなる。
その上年間開催数が今回の富士を含めても8レースしかないことから、一戦一戦がまさに真剣勝負であり、F1のようにどのレースでは勝利し、どのレースでは着実にポイントを稼ぐという戦術は使えない。
何しろ一戦落したばかりにタイトルを逃すことが少なくないのが耐久の恐ろしさだ。
そして、ルマンを制すれば、やはり後半を非常に優位に戦えることは間違いないため、当然どのチームもルマンに照準を絞って来る。
また、開催スケジュールも巧妙で、ルマンは基本的に4戦目であり、後半戦が消化試合にならないよう配慮されていた。
つまり、ルマンを制すれば後半戦を優位に戦えるとはいえ、後半戦を落せばやはりタイトルに赤信号が灯るようになっているのだ。
これまでのところ、ルマンを制したチームがタイトルを逃した例はないものの、油断はならない。
「さて、一つの峠は越した訳だが、課題は山積みだな」
耕平は、デビューウィンを素直に喜べなかった。
確かにデビュー戦を見事に勝利で飾り、世界に衝撃を与えたIZUMOであったが、工場でマシンを分解調査してみたところ、至る所に見たこともない疲労の痕跡が確認されており、特にヤバかったのがサスペンションだった。
富士での超高速バトルに6時間曝され続けた結果、特にリアサスはストラットが折れる寸前だった。これは後に検証したところ、思った以上に剛性が高いのが原因であることが判明した。
このため、ストラットは、ジュラルミンではなく鍛造アルミへと変更されることになる。
他は元より耐久性には自信があったため、疲労といっても許容範囲であったが、世界と戦うことが如何に想像を絶することであるかを思い知らされた一戦ともなった。
「そして、やはり最大の課題は……」
そう、ドライバーのペース配分である。まさか、渦海の体質がアダとなるなど、全くの予想外であり、後半を戦う上でキモとなる彼女はどう対策すべきなのか。
因みに富士の医療ブースに担ぎ込まれた際のカルテは、特別に広島の永崎病院へと送致していたのだが、いかんせん未知の事態である。
来年3月には、セブリング12時間のため、アメリカに飛ばねばならず、馴致などを考えると、2月には現地入りしたかったことから、今年一杯には結論が出ないと非常に不利な戦いを強いられることになる。
その渦海も、現在永崎病院にて検査入院中であった。
「とにかく、彼女次第だな」
尚、この時代、山陰と山陽を結ぶアクセスは事実上国道54号線しかなく、赤名峠越えは難所でトンネルは工事中、その上舗装工事が始まるのはまだ2年も先、完了するのは10年も先のことであり、そこまで向かうのに片道8時間は必要であった。
このアクセスの悪さもまた、世界で戦うには不利な要素だとみて間違いない。今思えば、よくこんな情勢下で世界へ打って出ようなどと考えていたものだ。
「早く結論が出ないものか」
と、そんな時である。
まるで、急かすかのように社長室の黒電話が鳴り響いた。耕平は、これが朗報であることを願いつつ、受話器を取る。
「はい。こちら出雲産業でございます」
それは、永崎病院からの一報であった。それを聞いた耕平は、複雑な表情になる。
「わ、分かりました。それでは、すぐに参ります」
既に漆黒の帳が降りようとしていた中、耕平は愛車のクラウンに乗り、広島へと向かう。行先は勿論永崎病院である……




