激走の果て
互いにトラブルを抱えたまま、ゴールまで30分を切った。
だが、ここに来て何とフェラーリに次々とトラブルが発生。特に悲惨だったのは、250Pで戦うワークスだった。
一台は何と最終コーナーで前輪がバースト、コントロール不能に陥りタイヤバリアに突っ込んだ。もう一台はその巻き添えでクラッシュ。
フェラーリにとっては、57年ミレミリアのトラウマを抉られるような光景であったが、ドライバーが無事なのが救いであった。
更にもう一台は、よりによってバンクに入ったところでエンジンブロー。バンクのイン側に減速しドライバーはマシンを降りたのだが、直後に炎上。コースマーシャルが大急ぎで消火にあたると同時に、ドライバーを安全な場所まで誘導する。
後に判明したことだが、2時間後に更に2時間走り続けて慣らしを行うべきところ、IZUMOに追随する作戦で慣らしがきちんと済んでなかったことにより、クランクシャフトが捩じ切れて一部のピストンがシリンダーヘッドを貫通したのが原因であった。
これも曲がりなりにもスピードが落ちる上、待避場所も豊富だったバンク入口だったのが救いであったと言える。もしもホームストレートで発生していたら、大惨事では済まなかった。最悪の場合、あのミレミリアの大惨事も含め、フェラーリの名声にどれだけの瑕が及んでいたか知れない。
これによって、コース上に残るフェラーリは2台となる。更に、その2台に、何とIZUMOが猛烈な追い上げで食らいついてきたのだ。
「おいおいマジかよ。あのIZUMOが来てやがるじゃねえか!!」
それは、先頭を走るルドからも見えており、マシントラブルを抱えている中でさすがに焦りが募る。この時、フェラーリ、特に275Pでは、タコメーターの針が今度は安定しなくなっていた。
少なくともマシン自体に異常はないのだが、一体何が。
それは、クランクシャフトが最早捩じ切れる寸前の兆候だったのである。設計予想を超える摩擦抵抗の減少によって、想定以上の回転負荷が加わり、クランクシャフトには限界を超えるダメージが加わり続けた結果であった。
このままだと、最悪の場合クランクシャフトの拘束を解かれたピストンが、シリンダーヘッドを突き破り、マシンが炎上する可能性がある。
そもそも12気筒エンジンは、クランクシャフトが長くならざるを得ず、まさに特有の持病だった。
それでもフェラーリが12気筒エンジンに拘ったのは、過給機付エンジンと比べ燃費が良く頑丈であり、当時は車体へのダメージも考慮すると、気筒辺りの爆発力が小さく、且つダブル完全バランスでもあった12気筒が最善の選択肢だったのである。
実際、60年代頃までは、フェラーリ以外にもしばしば12気筒エンジンが見られたのは、このためなのだ。絶対的性能だけが理由ではない。
特に戦前、耐久レースではエンジンの振動に由来する車体へのダメージから、燃料タンクが漏れる事故も日常茶飯事だった。
その対策として、ガムや石鹸で隙間を埋めるという荒療治も普通に行われていた。今だったら危険すぎて技術者が卒倒しかねない光景だ。
そんな恐ろしいシロモノでレースをしていたのだから、ドライバーも関係者も超人的な勇気の持主と言わざるを得ない。
そんな、戦前からのレース事情を知り尽くしていたエンツォが、車体へのダメージを考慮して12気筒エンジンに拘るのは当然であろう。
因みに当人自身もレーサーとして、こうした恐ろしい経験をしているだけに猶更と言える。
フェラーリが創業時から12気筒に拘ったのは、決して根拠のない話ではなかったのだ。そして、少なくとも正しい選択であったことも事実である。
だからこそ、これまで数々の栄光を手にしてきたのだが、今度は皮肉にもその12気筒が、フェラーリを栄光から遠ざけようとしていたのである。
「な、何が起こってるんだ……」
次々と入って来るフェラーリに相次ぐトラブルの情報は、エンツォにしてみれば最早お通夜状態であったろう。
だが、猛然と追い上げるIZUMOとて、渦海にトラブルが生じているのだから、この対決は最早実質互角の勝負だった。
渦海は最早顔は真っ赤に紅潮し、レーシングスーツの下は汗でベッタリ。最早脱水症状寸前の状態であった。それでも彼女の足は、決してアクセルを緩めようとはしない。
ここまで来ると、最早完全にプライドだけで走っているようなものだった。
そんな状態で時計の針は午後4時を指し、遂に6時間が経過。コントロールタワーからファイナルラップを表すZ旗が振られる。尚、これは日本独自のローカルルールであったが、非常に分かりやすいとの声を受け、翌年のWMEから採用されることに。
嘗ては日本海海戦で『皇国ノ興廃コノ一戦ニ在リ』を表すために用いられ、以降日本海軍で大規模な海戦の度に使われてきたのだが、同時に激励を意味する旗ともなり、それが国内レースでファイナルラップに使われるようになったのも、一種の激励である。
そのZ旗を見た渦海は、スリップストリームに入ったまま、バンクへ突入していく。
「おいおい、コーナーでスリップストリームに入るだなんて、自殺行為じゃないか」
一部レースに詳しい観客が、その走りに激しく動揺する。だが、IZUMOはそれが可能なのだ。理由は簡単で、その空力設計が可能としているのである。
そう、アップフォースとダウンフォースを釣り合わせることで、理論上静止状態であるため、相手の後流が激しく吹き付けても安定が失われないのだ。
また、マシン自体は浮いていても、フェンダー内の乱気流がダウンフォースとなってタイヤを地面に押し付けているため、コントロールには何の支障もない。
それは同時に疲れにくさにも繋がっており、一時39℃まで上昇した可能性のある渦海をして、辛うじて操縦できたのである。尤も、さすがに自殺行為には違いなかったが。
更にもう一つ、IZUMOには決定的な切札があった。そう、ダンロップから供給されていたタイヤは、バイアス仕様であり、ラジアル仕様ではない。
バンクを抜けて唯一のブレーキングポイントであり、オーバーテイクポイントでもあるヘアピンに差し掛かる。
ルドは、相手が仕掛けてくるならここだと読んでいた。だが、
「うっそおお!?」
マシンを激しくスピンさせるのみで、相変わらずスリップストリームに入ったまま。ここでないとすれば、残るはもう、長い最終セクションしかない。
「ヤツめ、あそこでやる気かよ」
ルドは、まだ諦めていないことくらいお見通しだった。とはいえ、どう仕掛けてくるのかが全く分からない。もしもだが、この時相手がロレンツォだったら、ドリフトで仕掛けてくると読んでいただろう。そうなればヘアピンに勝機を見出すほかないが、最終セクションで抜き返されるのがオチだ。
この時のフェラーリには、トコトンツキがなかったとしか言いようがない。何しろあのようなトラブル自体が未知の領域で発生したものである以上、過失なんてある筈もないし、作戦自体は見事だった。
そして、ルドにしてみれば、出し抜くチャンスは最早最終セクションしかなく、ここを定石通りの非常に緩いアウトインアウトにて目一杯スピードを乗せていく。
しかし……これが実はとんだ誤判断であった。
最早息も絶え絶えの中、渦海は最後の気力を振り絞る。
「これで、どうだっ!!」
そして、アウトから被せるように仕掛け、四輪ドリフトでフェラーリを抜き去っていく。分からないながらも消去法でインから仕掛けてくると思っていただけに、意表を突かれてしまった。
「マレディツィオーネ!!(うわっ、クソッタレめ!!)」
最後の最後での逆転劇に、観客席は大興奮。そして、最終コーナー出口を見事に立ち上がると、ホームストレートを全速で駆け抜ける中、背後のフェラーリはついに音を上げてしまう。
何と、ゴール直前で爆発し、二台並んでチェッカーを受けるが、競技委員長やピットは大騒ぎ。無論、フェラーリはゴール直後に大慌てでマシンを止め、ルドは脱出。コースマーシャルが消火するも、なかなか消えない。
そして、競技委員長は直ちに赤旗を振るという前代未聞の事態となった。つまり、実質レースは終了であり、この時点で走っていた順位がそのままリザルトとして確定するという、波乱の終幕となった。
赤旗を確認すると、それ以降のマシンは急減速してピットへ戻っていった。それも、傍らでフェラーリが燃える中で。
このレースは生放送でもあり、お茶の間にてフェラーリがゴール直後に炎上するという大惨事を、全国の視聴者が目撃することにもなった。
結局、4台が出走して無事だったのは3位でゴールした1台だけであったが、後に調べたところ、クランクシャフトが捩じ切れる寸前だった。
ピットを前にして燃え上がるフェラーリに、耕平も唖然とする他なかったが、実はこちらもそれどころではなかった。
ウイニングランどころか、ゴール後に急減速してピットに入って来たIZUMOから、渦海が降りられなくなっており、風也やスタッフが担ぎ出す騒ぎとなっていた。
案の定、救出された渦海は、最早アヘ顔状態で意識朦朧。そもそもがレース自体女子にはキツいのもあるが、風也とは逆の体質が皮肉にも災いしてしまった。これはもう、直ちに医療ブース送りであり、表彰台どころではない。
ここまで来たら打つ手など、ビタミン注射して回復を待つ以外なかった。
その様子までもがバッチリ写真に撮られており、功は後で顰蹙を買ったが、同時に耐久レースの過酷さを象徴する一枚として、後世の語り草にもなる。
無論、この予想外の事態に、当然観戦していた日本政府関係者も大慌てだった。まさか、日本の地でフェラーリが燃えるなどシャレになっていない。
特に今回強引なまでの手法で開催に漕ぎつけていた洋平は、顔面蒼白だった。無論、彼に過失などある筈もなく、所謂レーシングアクシデントでしかないのだが、当時の国際社会に於ける日本の立場を考えると、政府関係者が大慌てとなるのは仕方がない。
結論から先に言うと、日本政府の心配は杞憂に終わるのだが。それどころか、FIAからは非常に素晴らしいレースであったと、来年以降もWMEの一戦として組み込まれることも決まるなど、少なくとも洋平の働きは報われたと言える。
そして、表彰式は渦海を欠いた中、WME史上初めて女子選手が表彰台の頂点に立ったことで、終幕の大惨事をある程度は和らげることに成功した。尤も、表彰台に立つドライバーの表情は複雑であったが。
尚、WMEでの表彰式は、シャンパンファイトではなくワイングラスにキスをするのが慣例であり、それは古き良き時代を伝えるため、21世紀現在でもこれは変わっていない。
こうして、日本初のWMEにして初の6時間レースは、FIAの思惑とは裏腹に様々な波乱を含んだレースとして、歴史に残るベストレースの一つとしても語り草となる……




