波乱の後半戦 その2
IZUMOのマシンが最後のピットイン。無論、フェラーリも同じくピットイン。
「やはりな」
ロレンツォの予想は的中した。
だが、一つだけ予想が外れた。こちらは3分が経過し、ピットアウトして一気にトップグループを形成する中、IZUMOではまだ動く気配がない。
実はこの時、最後のピットインは予め5分と決めており、更に車内が1.2気圧になるよう調整していた。更に、渦海は最後の補給である。
ゴールまであと1時間というところで、あまりにも不可解な行動だと誰もが思ったことだろう。実際、傍目にはここで2分のロスはさすがに痛い。
だが、IZUMOに特段慌てている様子はない。
やがて、5分が経過してマシンは予定通りピットアウトしていく。遠ざかるマシンを見つめる耕平。
「我々は、予め決められた通りミッションをこなしたんだ。これでもしも5位に終わるなら、それは仕方がない」
耕平は、耐久レースはどんなことがあってもペースを乱さないことが肝要だと心得ていた。ましてや自分たちは新参者であり、ロクなデータすらない中で世界に打って出るのは、あまりにも無謀でしかない。
コースインした時、6番手を走るプリンスR381が通過していったが、周回数では4周以上の差があるため、リタイアしない限りは5位確定である。
だが、この時フェラーリ。特にスクーデリア・モデナの275Pには、既に異変が兆していた。
「おかしいな。回転が下がらねえ」
こんな異変は、勿論前代未聞だった。普通ならトラブルが兆せば回転が上がらない筈である。一体何が起こっていたのか。
それは、フェラーリが採用していた12気筒エンジンの特性に由来している。実は、12気筒エンジンはなるべく稼働時間を長く取らないといけないのだ。IZUMOが採用していた6気筒とは真逆である。
尚、最初の2時間で1時間毎に計2回ピットインしたのは別段問題ない。だが、問題はその後であった。IZUMOに追随する作戦で、その後1時間後に入ってしまった。
これが一体何を招くのか。実は、12気筒エンジンの場合、そこから2時間回すべきだった。というのも、12気筒は所謂こなれてくるのに最低でも2時間は回す必要がある。そうしないと、部品同士のすり合わせが上手くいかない。
耕平は、島根でのテストでこうした問題も全て洗い出していたのだ。
その結果、すり合わせが不完全なまま、皮肉にも摩擦抵抗が設計予想を超えて軽くなってしまっていたのである。
素人目には摩擦抵抗が減るのって大歓迎だと思うだろう。だが、設計時にはある程度摩擦抵抗も織り込み済みであり、これより抵抗が増加するのはまだしも、減少すると各部に反って予想外の負荷が掛かることになるのだ。
ルドは、未知の現象に戸惑い、無線で指示を仰ぐ。
「何故かアクセルを戻してもすぐに回転が下がらない。こりゃどうしたものか」
それを聞いたピット側も、戸惑いを隠せない。無論、その様子はIZUMOにも伝わっていた。
「あの様子だと、何かトラブルが生じたな」
耕平は、もしかしたらフェラーリ特有の問題が発生したのではと考えていた。
「それなら寧ろペースをキープしたまま走る方が、ゴール出来る可能性は高いんだが、恐らく下げるよう指示するのは確実だろうな」
エンジニアの常識に照らし合わせれば、それは至極当然の判断である。この時、万一の大惨事発生の可能性を考えると、耕平としては敵に塩を送りたい気分だったが、それは相手のプライドを傷つける恐れもあったばかりか、それが原因で最悪の場合、国際社会に於ける日本の立場に影を落とす危険性もあったため、黙って見守るしかなかった。
だが、マイペースで走る渦海にも、異変が生じていた。
「あ、熱い……」
あまりにも熱すぎて渦海はレーシングスーツのファスナーを降ろして走っていた。これは本来危険行為だ。というのも、レーシングスーツはピッチリ装着してこそ機能するように作られており、それによって各部の動きに思わぬ支障を来す恐れがある。
この時、渦海には一体何が起きていたのか。
後に分かったことだが、まず、渦海の場合、補給は3時間毎が適性であること。あの栄養ドリンクの影響により、心臓が異常昂進して体温が急上昇していた。頭が一時ボンヤリして危なかったと証言しているため、一時的とはいえ39℃前後まで上昇した可能性があった。もう少しでこちらも大惨事になるところだったのだ。
そして、ゴール1時間前ということで、車内を1.2気圧になるよう調整したことまでもがアダとなってしまった。
気圧が上昇すると内部の温度も上昇するのである。元よりIZUMO流の安全対策が、皮肉にも渦海を追い詰める原因となったのだ。
だが、この気圧対策は変更できないため、渦海の場合、栄養補給のタイミングを再考するしかなかった。
ここだけの話、渦海はスレンダーな風也と比べ、明らかにムチプリであり、女子としてもやや厚めの皮下脂肪の影響もあるのではと医療関係者は後に推測している。
尚、皮下脂肪が厚いと、意外と高山病を発症しにくい。だからこそペースが上がるのに加え、駆引きも激しくなる後半に渦海を担当させたのだが、まさかこういう形で問題が発生することは、全くの予想外だった。
それでも懸命に追う。
果たして、富士6時間に於いて、勝利の女神が微笑むのはどちらなのか……




