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異次元

 最初のピットインを終え、順調に周回を重ねるIZUMOとフェラーリ。


 この間もトップは譲らず。しかし、フェラーリを引き離すのもまた容易ではなかった。

「さすがはフェラーリ。このマシンも相当な性能なんだけどなあ。やはり甘くはないか」

 などと言いつつ、実は冷静な風也も相当なものなのだが。普通、トップグループを走り、且つ相手が迫って来てると、そのプレッシャーはハンパない。トップグループを走るというのは、そのくらい大変なのである。


 傍らで見ている観客は、国産マシンが、あのフェラーリと互角以上に渡り合っている光景に総立ちで大興奮。誰もが熱狂していた。

 実は、日本勢は唯一プロトタイプからエントリーするIZUMOに対し、本能的に良い顔はしていなかった。しかし、谷田部事件からその戦闘力についてはおおよそは類推しており、なかなか歯が立たない海外勢に対し、一矢報いるための切札として容認していた。


 だが、その戦闘力の高さは、想像を遥かに超えていた。そもそも現在昭和36年。あの戦争からまだ16年に過ぎない。確かに二輪メーカーがWMGPを制してはいるが、四輪は二輪とは比べ物にならない程に複雑な要素が絡んでくるだけに、二輪のように甘い世界ではない。

 それが分かっていたからこそ、内心はいつしかはと思いつつ、海外勢に追いつくのはいつの日になるだろうかと半ば自虐的になるのもやむを得ないと言えよう。


 だからこそ、現実に展開している光景には信じ難いものがあった。その上、ハンドルを握るのは女性なのも拍車を掛ける。

 バンク以外ではドリフトを駆使して隙を与えず、そのライン取りも見事という他ない。


「ヤツめ、このコースを知り尽くしてやがる」

 ロレンツォにも、さすがに焦りが兆していた。何しろプレッシャーを掛けても動じる様子がないし、マシン自体の次元が違うことにも気付き始めていた。

 それもそうで、これまでの空力概念とは全く異なっているのである。何しろ、ダウンフォースの重要性に徐々に気付き始めていたその頃、アップフォースとダウンフォースを釣り合わせることで、理論上静止状態と同等の環境としつつ、それが慣性を邪魔しないため、思うままにマシンを振り回せるなんて発想自体が最早異次元だ。


 尚、アップフォース/ダウンフォース比で、ダウンフォースが2%上回っている1.02がベストだとされているが、1.05までなら、ダウンフォースを増やすことで扱いやすくなるという考えもある。

 1.02はベストである反面操縦性がシビアなのだ。そして、1.02から1.05の範囲で、どう解釈するかをその後技術者は問われることに。


 そのことに気付き始めたフェラーリやポルシェでは、翌年そのスタイルをガラリと変えてくることになるのだ。そして、他のチームも追随していくことになる。

 但し、この概念はオープンホイールであるフォーミュラカーやインディーカーでは適用できなくもないが、非常に厳密な工作精度を要求されるため、時期尚早であることもフェラーリは知ることに。

 とはいえ、フォーミュラカーにも影響を与えたのは確かで、その概念の応用を試みて、フェラーリはF1でも一定の成果を収めることになる。これはさすがの耕平にとっても予想外だった。

 

 これは余談だが、後にフェラーリの救世主となるニキ・ラウダは、史実ではコメンダ・ドーレをして『ヌヴォラーリではなくバルツィを率いれてしまった』と言わしめるのだが、そのラウダは自在に振り回せることに泣いて喜び、史実と異なりヌヴォラーリと化すことに。

 尚、コメンダ・ドーレの上述の言葉は、実はボロクソに言っているのと何ら変わりない。


 レース開始から2時間。フェラーリのピットでは、IZUMOが予想通りピットサインを出してきたのを確認すると、即座に無線でロレンツォに呼びかける。

『ロレンツォ、IZUMOはピットインのサインを提示してきた。次の周回で入れ』

 それを聞いて、自分の予想が間違ってなかったことを確信した。案の定、ホームストレートを通過し、バンクに突入する辺りから、急に挙動が大人しくなる。


 それにしても、何故IZUMOのマシンはピットに入る前の周でクールダウンを行うのか。実は、IZUMOのマシンには一つだけ克服のしようがない問題があった。

 それは、OHVは熱がこもり易いのである。その上ターンフローとなれば猶更だ。この構造のためにヘッド周りが非常にコンパクトである代償として、熱が逃げにくいのだ。

 尤も、対策は施しており、オーバーヒートになる心配はない。だが、ピットインした時、エンジン周りを確かめるメカニックが危険に曝されかねない。そもそもレースではジャンル如何に関わらず、これを無視してはならないのだ。


 クールダウンしないままピットインすると、内部で乱気流が発生していてその摩擦熱もあり、カウルを開けると推定で800℃以上の高温の空気が一気に噴き出しかねない。

 ましてやルーツ式過給機を装着している場合、そうならざるをえない。自然吸気ならそこまで熱くならないのだ。

 それは、あの空力概念の宿命でもある。釣り合っているということは、理屈上静止状態と同じであるために、エンジンルーム内の熱気は基本的に抜けない。

 尤も、エンジンルーム内の熱気は、ある程度籠っていた方がオーバーヒートしにくいというメリットもあるのだが。

 耕平は設計段階でそれを見越しており、更に実験でも確かめられたことから、ピットイン前のクールダウンが必須であることを認識していた。


 因みにフォーミュラマシンはダウンフォース重視の設計であるため、内部の熱気は比較的早く抜けるのでその点は比較的安全だ。また、二輪でもそれ程問題にはならない。

 まさに弁慶の泣き所にも等しいが、耐久ならではの規定であるピットインルールを活用すれば、それは大した問題ではなかった。


 やがて、IZUMOのマシンがピットインしてきた。すかさずフェラーリの4台も後を追うようにピットインしてくる。


 だが、これが実はフェラーリにとって致命的な事態となるのである……

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