駆引き
スタートから、1時間が経過した。
その30分前には、遂にIZUMOがトップに立ち、2~5位までフェラーリが続く。この間、ポルシェ勢はセカンドグループへと移動した。元より総合優勝は狙ってなかったポルシェだが、この富士を切っ掛けに、総合優勝を意識するように。
そして翌年、ポルシェは史実よりも遥かに早くプロトタイプへと参戦してくる。但し、最終戦直後、それも予定にない方針変更だったため、熟成の関係もあり、投入は第2戦、デイトナ24時間からである。このため、開幕戦のセブリング12時間は欠場することに。
その第一弾がポルシェの歴史に残る傑作の一つ、ポルシェ909と910である。尚、その違いはオープンとクーペであることだけで、エンジンなどメカニズムは全く同じだ。
因みに史実では909はヒル・クライム用に開発されたが、ドライバーから素性の良さを評価されたことに気を良くして、急遽耐久レーサーとして改設計した。
また、共にエンジンは史実と異なり、空冷2リッターボクサー8気筒ではなく、空冷2.4リッターボクサー6気筒を搭載している。そして、スーパーチャージャーの代わりに自然吸気としつつ、ルーカス製インジェクションを採用していた。
なので、出力はかなり譲るものの、僅か430㎏の軽量と、空冷及びインジェクション特有の鋭いレスポンスによる加速力を武器に、IZUMO及びフェラーリのライバルとして立ちはだかることに。
そして、ドライバーの間では、更に後に登場する歴史的最高傑作とされる917よりも評価は高いという。
因みに、噂では二台ともフェルナンド・ピエヒが何から何まで全て一人で設計したと漏れ伝わる。加えて、設計図そのものは、何とたった一日で描き上げたとも。
「そろそろだな。ピットインの指示を出せ」
耕平は、予定通りピットインのサインを出させる。無線で指示することも出来るが、耐久レースの場合、スタートから2時間が最も集中力が要求されるため、ドライバーの集中力を乱して思わぬ大惨事を招かないためにも、古典的なピットサインに拘る。それに、富士は実は世界でも屈指のピットサインが見やすいサーキットでもある。無論、それは設計段階から織り込んでいたからこそだ。
実は、ここまで細かく人間工学的要素に基いて設計されたサーキットは、後でもそんなに多くない。
それにしても、何故スタートから2時間が重要なことを耕平は知っているのか。
実は、洋平が行った、あのアマチュアレースが大いに関係しており、参加ドライバーには何とIZUMOのメカニックもいた。
結果はビリだったが、実は脳波を測定していたのだ。そのデータから、最初の2時間が最も重要だと判断したのと、これまでの耐久レースに於ける事故の記録を見て、スタートから2時間が最も多いことからも、耕平はこの2時間が勝負だと考えたのであった。
因みにモータースポーツの歴史上空前の大惨事としても特筆される、1955年ルマン24時間の大惨事も、発生時刻は18時28分であり、スタートからおよそ2時間半。薄暮だったという特殊事情もあるものの、耕平の予想はほぼ裏付けられていると言えよう。
「おっ、そろそろか」
風也は、ピットサインを見て頃合いを確認し、その準備に入る。実は、ピットに入る前はクールダウンするよう命じられており、意図的にラップタイムを落す。
当初、マシンには時計を積むことも考えたのだが、耕平曰く、レーシングマシンでは、少しでも気を散らす要素は減らしたいと主張、それに、ドライバーは感覚で分かるので問題ないと言って見送った経緯がある。
現代のF1もそうだが、耐久ではピットワークがそれ以上に勝敗を左右する。まさにチーム力が大いに試されるのが耐久だ。
その気配には当然フェラーリのドライバーもピットも気付いており、監督は大急ぎで無線で伝える。
「次の周でIZUMOがピットに入る。従って、こっちも一旦ピットインだ」
それを聞いたロレンツォは、まだまだ余裕だぜと言い掛けたが、実はその声がコメンダ・ドーレだと分かって、これは従うしかないと思った。
やがて、IZUMOが、更に程なくフェラーリ4台も相次いでピットに入って来た。
一回ピットインすると、最低3分は出られない。この間、FIAの計測員がストップウォッチを睨んでいる。
ピットインしている間、タウリンの補給、更にカウルを開けてメカ周りの確認を行うが、3分もあれば急がなくとも十分だった。当然問題はない。因みに元よりクールダウンしていたが、エンジンカウルを開けることで、オーバーヒートを回避することが出来る。
実は、耐久ではスタートから2時間まで、1時間毎にピットインした方が、エンジンへの負荷が少ないことまで掴んでいたのだ。
更に、これは風也対策でもあった。彼女は前半飛ばしに飛ばすと同時に、脱水症を避けるため、前半を担当しつつ、最初の2時間までは1時間毎にピットインした方がいいということが分かっていた。
当然、フェラーリでもこの間3分を掛けて隅々までチェックしている。さすがに最強チームだけあり、スタッフは素早くも余裕綽々の様子。そして、ロレンツォは、あることに気付いた。
「そういや、耐久はスタートから2時間がイチバンキツいんだよな。そういうことか」
そして、ドアを開けてスタッフを呼び、耳打ちする。
「恐らく次は1時間後にピットインする筈だ。そのつもりで準備してくれ」
それは、互いの駆引きの始まりでもあった。
これまで経験したことのない6時間レースの中で、ロレンツォは富士特有の事情にも気付いていた。標高が高いこのサーキットでは、通常の戦術は通用しないことをである。その上、サーキットの形状が予想以上にドライバーにもマシンにもハードであり、作戦会議でのコメンダ・ドーレの主張は、図らずも的中していた。
何しろレースは、基本的に地元勢が本質的には圧倒的に有利なのである。それは、開催地が日本であり、且つ相手がまだモータースポーツ後進国のチームであってもその法則は変わらない。
程なく3分が経過し、IZUMOとフェラーリは共に悠然とピットアウトしていく。その一方、観客席では、スタートからまだ1時間だというのに、一体何があったのかと混乱が見られた。
確かにロレンツォの勘は当たっていた。しかし、皮肉にもこのことがフェラーリに思わぬ事態を招くのである……




