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いよいよレース開始

 一週間後、海外勢も走り込みで慣れて来たところで、いよいよ富士6時間レースが始まろうとしていた。


 尚、ホームストレート、ピットの向かいにはルマン式にマシンが並んでおり、これからドライバーがピット側に立ち準備に入るところだった。


 これからレースに入るドライバーには、ある物が支給されていた。それは、大正製薬からの標高が高い富士ならではの対策品である。

 その対策品とは、タウリンを高配合した栄養ドリンクなのだが、ゼリー状に加工されていた。

「あっ、これは案外イケるかも」

 風也のみならず、他のドライバーからも概ね好評だった。尚、対策品支給にあたり、当然FIAには申請しており、許可ももらっている。

 実はこの時代、アスリートの間でドーピングに対する概念はまだなかった。なので、ドーピング自体が体調管理に組み込まれていた時代でもある。

 しかし、結果主義と商業主義が重なった時、それは悲劇へと昇華してしまった。


 因みにドーピングの歴史自体は驚くほど古い。

 古代ギリシャ時代から興奮剤が既に用いられていたことが分かっているし、また、ドーピングによる悲劇も19世紀後半には既に発生していた。

 1928年には国際陸上競技連盟が興奮剤の使用禁止を通達するも、当時はドーピングの検査方法が確立されておらず、実効性は乏しかった。

 意外にもこの点で先鞭をつけていたのが日本だった。大正時代にまず競馬で競走馬への検査から導入されており、後のとある名伯楽がそれによって騎手時代に失格を言い渡された悲劇もある。

 そしてこの前年、ローマ五輪で遂に競技中の死亡事故が発生し、遂にドーピング対策に各競技団体は本腰を入れ始めていた。


 だが、大正製薬ではモータースポーツの場合、特定の条件下ではドライバー保護のため、更にレースの安全性向上のため、一定レベルのドーピングは不可欠だと考えていた。

 モータースポーツで問題となるのは競技中の集中力低下であり、加えて他のスポーツと異なり、それが大惨事に発展することも珍しくない。

 過剰な興奮作用は当然問題なのだが、極限の環境に長時間曝され続けるレーサーの場合は事情が異なる。寧ろ興奮剤によって平常心を保たなければ、レース自体が成り立たないのだ。

 当時、モータースポーツではまだドーピングは問題視されてなかったものの、前年のローマ五輪での悲劇でそれがモータースポーツへ波及することを見越していた日本政府は、早くから対策に乗り出していた。

 実は、河野洋平が完工を待たずに富士でこけら落としとなるアマチュアレースを開催したのもこのためで、その時の医療データをFIAに提出していたのだ。

 また、大正製薬は早くから海外でもデータ取りを行っており、その有効性がFIAに認められたのであった。それこそがタウリンなのである。尚、タウリンは玉ねぎに多く含まれており、レース前日の多量摂取も有効だ。


 因みに、モータースポーツに於いても当然禁止薬物はあり、ベータ遮断薬は日本では早くから禁止されている。海外ではアルコールだったが、後に一定量以下は除外となり、日本と同じくベータ遮断薬が禁止薬物となった。

 信じられないかもしれないが、飲酒運転による数々の悲劇を考えると、アルコールは以ての外と思うだろう。だが、モータースポーツではごく少量が平常心を保つのに有効として認められている。

 二輪や耐久レースでは認められていないようだが、F1を筆頭としたスプリントレースではほぼ容認だという。


 話を戻そう。


 ゼリー状にしてあるのは、実は長時間効力を持たせるためで、一回服用すると概ね3時間は持続する。

「おおっ、何だか気力が充実してきたわ」

 そう言って、風也はスタート地点に向かう。


「思った以上の効力ですね」

「確かにな。もっと早くから導入しとけばよかった」

 渦海と耕平も、大正製薬が対策に乗り出していたことは知っていたのだが、当初半信半疑だったのである。


 スタート地点に設置された時計は、現在午前9時55分。マシンが待機する向かい側には既にドライバーが整列しており、今のところまだレースモードのスイッチは入っていない。

 彼らは、かのニキ・ラウダが自伝で述べているように、脳内でスイッチを切り替えられるという。そうなると、もうレースのこと以外何も頭に入って来ないし、仮に視界にレース以外のことが映り込んでも無反応になるのだ。


 やがて、時計の針が一分、また一分と時を刻む度、周囲を包み込んでいた賑わいは、徐々に静寂へと入れ替わっていく。

 それは、洋の東西を問わないスタート前特有の現象でもあった。


 そして、時計の針が午前10時を指した瞬間、日章旗が振られると同時に、マシンへ駆け寄るドライバー。所謂ルマン式スタートだが、迫力はあったものの非常に危険であり、シートベルトをしないままスタートするケースが後を絶たなかった。

 風也もマシンに乗り込むが、実は極端に低い車高と高めの地上高が災いし、天地方向のスペースが非常に狭く、素早いスタートという点ではやや不利であった。

 その上、彼女は律儀にもきちんとシートベルトを締めてからエンジンをスタートさせるため、元よりグリッドが後方なのも手伝い、かなり後方からのスタートとなってしまった。

 この間、スタート地点には轟音が響き渡り、喧噪に包まれる。


 午前10時、富士の地に於いて、WMEにとって初の日本での耐久レースが、今始まった……

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