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車検で大騒ぎ

 翌日、残る半数、ワークス勢と日本勢の車検が始まった。


 まず、真先に車検に登場したのは、ポルシェ。当時、ポルシェもまた、世界の自動車業界にあっては新興勢力である。

 そんなポルシェが満を持して送り込んできたのが、906である。尚、他にも二年前からエントリーしている904もいる。

 因みに、いずれも登場時期が史実より遥かに早いが、ポルシェの技術力を考慮した場合、あり得ると解釈していただきたい。

 ワークスでは906が2台、904が3台であった。


 実は、ポルシェでエントリーしているプライベーターも多く、2000㏄以下のグループ1の約半数がほぼポルシェ356であった。尚、去年まではポルシェ550スパイダーも見られたが、さすがに設計年次が古くなっており、今年は見られない。

 因みにポルシェ550というと、あのジェームズ・ディーンが乗って事故死したことで知っている方もいるだろう。当時、アメリカには僅か4台しかなかったという。

 尚、設計年次としては356の方が古いのだが、扱いやすく、また設計自体に余裕があったために長い間活躍できたのである。

 実際、登場当初はフォルクスワーゲン・ビートルと同じ1100㏄のエンジンであったが、最終型では2000㏄となっており、それでも優れたバランスは殆ど崩れなかった。


 後に耐久の代名詞となるポルシェだが、その歴史と伝説は、遥か前から始まっていたと言えよう。


 これは余談だが、後にポルシェの代名詞ともなる911シリーズが登場するまで、意外にもポルシェはそんなに高価ではなかった。だからこそ多くのプライベーターにとって、ポルシェは必然の選択でもあった。


 車検場に姿を現したポルシェに係員も、そして許可を受けて撮影している報道陣も緊張しっ放し。それもそうで、当時日本に於いて、外国車というだけで既に雲上人にも等しかったのだから。

 尚、ポルシェの車重は概ね650㎏前後、プライベーターの356とかだと改造の度合いにもよるが、800㎏台が平均だった。


「どれもスゲエオーラを放ってやがるぜ」

 と、功は夢中でシャッターを押していた。外車は雲上の存在であったのは事実だが、それはブランドとかの名声のみならず、実態を伴っていたことも確かであり、当時の日本人から見て、外車にそれだけの価値があったことも紛れもない事実である。

 尚、車検時にはマシンのスペックを紹介するプレートも並行して置かれるのだが、どれもこれもDOHCやディスクブレーキといった最先端のメカニズムも当たり前に記述されており、それだけでも彼我の差は大きく、日本の関係者からはため息が出る。


 その様子を耕平も遠巻きに見ており、確かに最先端という点では譲ることは認めていた。それでも、自ら開発したマシンに対する自信は少しも揺らいでいない。


 やがて、真打登場とばかりに表れたのは、今回本命視されている優勝候補の筆頭、フェラーリの一団だ。尚、サテライトのモデナが275なのに対し、ワークスの3台は250で臨む。特に275はヘッドをDOHCに換装していた。

 尚、その違いは数字以上に実は顕著であり、スペックには決して表面化することのない細かな違いがある。

 イタリアというと何かと大雑把な印象を抱く人もいるかもしれないが、ことフェラーリに限ってそれは当て嵌まらない。


 息を呑むような美しいシルエット、そして、発散するオーラが段違いで、日本人の多くが遠慮がちであり、それは係員も例外ではなかった。

 まるで宝石を扱うかのような気遣いよう。

 その車重は概ね750㎏前後だった。12気筒エンジンを搭載している分、やはり重い。しかし、この12気筒に多くのライバルは敗れ去ったのだ。

 その意味で、当時のフェラーリの12気筒エンジンは、まさにダイヤモンドにも等しい。そして、フェラーリの関係者は悠然としていた。


「さすがは跳ね馬だ」

 功はフェラーリをあらゆる角度から隈なく撮影した。


 やがて、国産車、というか日本勢の番である。これがWMGPだったら、まさに滝の如くフラッシュを浴びるのだが、生憎四輪はまだそうではなかった。

 

 最初に登場したのは、今大会最小排気量でのエントリーとなるホンダのS600。もしもこれがホンダにとってレース初挑戦であったなら、周囲から爆笑が起こったに違いない。だが、二輪で圧倒的な強さを見せつけているだけに、そうした笑い声は何処からも聞こえてこない。

 寧ろ固唾を呑んで見守るといったところか。

 その車重は、ワークス体制で臨んでいるのもあるためか、大幅に手が加えられており、出力は57馬力から80馬力へ、車重はクーペ仕様の715㎏を、何と600㎏まで削っていた。

 ただ、純粋なレーシングカーではないので、どうしても車重は重い。加えて今回6時間しかない中で4回且つ一回につき3分以上のピットストップを義務付けられているため、最初から結果は期待してなかった。


 次はプリンス勢。被せる車体を変更したR380に加え、オープン仕様のR381もエントリーしており、並々ならぬ気合が窺える。

 尚、どれもエンジンは2000㏄しかなく、加えてスーパーチャージャーも搭載していない。なので、スペック上は大幅に見劣りがしたのだが、技術陣は全く動じていなかった。

 それを感じ取っていたからだろうか、海外勢もプリンスには注目していた。


 ここまでどれも大きさが4mを切っており、今のレーシングマシンと比べると、本当に小さい。因みにフェラーリPシリーズでさえ、その全長は4.2mしかない。


 最後に姿を現したのは、あのIZUMOのマシンだった。その異様なシルエットに、誰もが息を呑む。

「フェラーリに似てはいるが、何かが違う」

 だが、プレートが置かれた瞬間、周囲からどっと爆笑が起こった。

「おいおい、OHVだってよ。356だってSOHCだってのに」

「しかもブレーキはドラムだって!?死ぬぜ」

「その上金色とかよお、ハリボテにも程があるだろ」

 など、罵詈雑言と嘲笑の嵐だった。


 尚、その全長は4570㎜、全幅は1930㎜と、当時としては大柄だった。しかし、一部の関係者は、車重を見て唖然としていた。

「車重が480㎏!?あの大きさで?ウソだろ」

 だが、そのどよめきは、実際に検測したところで更に大きくなる。

「ま、マジで480㎏!?」

 これは勿論、プロトタイプクラスでは最軽量だった。因みに出力などのスペックはこの時非公表だったのだが、実はフェラーリと遜色ないどころか、寧ろ優っていたのだ。何しろ400馬力を遥かに超えていたのである。実はこれ以上上げることも可能だったのだが、耕平は、総合的な観点からこれで十分と判断していた。


 しかし、OHVであることなどから、実際には公開できない程低性能なのだと勘繰る者が少なくなかった。それじゃあ何のために出場しているのかという話になるのだが、差別的な優越感に囚われると、そうしたことがしばしば見えなくなる。尤も、それこそが一番ヤバいのだが。

 レース本番に於いて、彼らは大いに戦慄することになる。


 周囲の嘲笑とは裏腹に、遠巻きに見ていたフェラーリの関係者は寧ろ戦慄していた。特に、ロレンツォとルドヴィコの二人はその恐ろしさを目の当たりにしていたので猶更だろう。正直、ドリフトで引き離されるのは衝撃以外の何物でもなかった。

「オレたち、まさか日本で怪物を相手にするハメになるとは思わなかったな」

「ああ。怪物を相手にするのは神話だけで勘弁して欲しいぜ」

 無論、弱気な発言とは裏腹に、内心考えていることは全く違う。あの怪物をどうやって攻略すべきかと冷静に考えていた。それはスタッフは無論、コメンダ・ドーレも同じだ。


 当時、欧州にあって比較的親日だったイタリアとて日本人への優越感は無論あった。だが、それと現実は全く違う。あの時、確かに侮り難い相手に遭遇した以上、冷静に事を構えるのは当然だろう。

 一体弱点は何なのか。素人考えならドライバーが女の子二人という点だと考えるだろう。だが、プロの世界でそんな見え透いた弱点など、相手が看過する筈もない以上、それを弱点とは見做していなかった。

 さすがにフェラーリはそこまでバカじゃない。


 ここでネタバラシ的な発言をして申し訳ないが、富士に於いてそれが露わとなることはなかった……

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