続々到着する欧州勢
開催まで一週間となった頃、欧州から名立たるチームが続々と富士で戦うために日本入りしており、その様子はテレビで、新聞で、或いはニュース映画で語られた。
この時代、日本は三年後に東京五輪を控えていたこともあり、こうした海外情報には非常に敏感であった。実際、特段関係がある訳でもないのに、
「これから先、世界からお客さんがたくさん来るんだから、きちんとしなさい」
と、親から諭された現在御年輩の方は少なくないだろう。
実際、国民的アニメ『サザエさん』に於いても昭和45年放送の大阪万博のエピソードにて、そうした当時の事情が反映されている。因みにサザエさんの放映開始は昭和44年だ。
そんな空気の中、WMEの最終戦が富士で開催されることは、今や全国レベルで知るところとなり、急遽放送が決まって富士には報道陣が大勢駆け付け、テレビ中継車などがパドックの一角に多数駐車していた。
その上、政府関係者を筆頭に、日本の所謂お偉いさんが観戦に招待されているのだ。
ここまでくると、最早国家的行事である。これまで耐久レースなど、一部のマニアしか注目していなかっただけに、予想外の事態であった。
パドックは、あっという間に総天然色状態となり、車検も多忙を極めた。WMGPの日本開催である程度の慣れはあったものの、二輪と異なり世界の名立たる自動車メーカーが勢ぞろいしているのだ。関係者の緊張は想像を絶していた。
21世紀現在、日本のメーカーが圧倒的な立場にいる時代しか知らない者には理解しがたいだろうが、この当時、日本に於いて、海外メーカーとは文字通り殿上人にも等しい存在であった。
日本人の舶来信仰は太古の昔からだが、こと自動車に限っては別格中の別格だったのである。そんな時代が。少なくとも90年代まで続くことになる。
池沢さとしの名著『サーキットの狼』や、その続編である『モデナ剣』には、当時のそうした事情が垣間見えるので、もしも古本屋で見たら手に取って見てみる価値はあると言えよう。
当時の日本勢は、こんな殿上人を相手に正面から戦いを挑んだのである。それは、あの戦争と焼野原を乗り越えて来た、恐れを知らぬ世代故の無謀さが為せる業であったとしか言いようがない。
報道陣による撮影も過熱し、急遽動員された警察官と悶着を起こす一幕も。尚、現在では警察官に加え、警備会社から警備員も多数派遣されるのが普通だが、当時警備員は銀行などが私的に雇用していた程度であり、私的な用心棒の位置付であった。
実を言うと、日本以外の国で警備会社というのは事実上存在しない。欧米などで見られる警備員の大半は、除隊した元軍人であることが多い。
日本に於いて警備企業が誕生するのはもう少し後のことだが、そもそも素人でも警備員が務まるのは、世界でも恐らく日本だけであろう。
やはりというか、報道陣が特に集って撮影を競っていたのは、フェラーリであった。それも無理のない話で、当時フェラーリなんて日本では神話にも等しい存在だった。
そのフェラーリに、真正面から挑もうとしている国産車がいることなど、この時点では誰も知らない。
外野の騒がしい様子は、パドックの最奥に詰めていた日本勢にも大いに聞こえていた。
「まったく、スゴイ喧噪だな。渋谷だってここまでじゃないぜ」
などと、その様子を半ば呆れ気味に見ていたのは、モーター月報に入社したばかりの新人、功であった。外野に対し、事実上内野とも言えるこちらは閑散としており、加えて誰もがこちらが恐縮する程快く紳士的に取材に応じてくれた。
また、参戦するマシンについても、間近で撮影させてくれた。この時点で、原稿用紙は100枚を超え、更に写真に至っては2000枚に上っていた。
だが、それにも関わらず、モーター月報からは原稿用紙やフィルムがじゃんじゃか送られてきていた。功一人で取材していたことを考えると、まさに圧し潰されそうになる程だが、それ以上に、カネは大丈夫なのか?と、功が心配した程であった。
何しろ全て当時貴重且つ高価なカラーフィルムである。
実は、日本勢を取材していたのは事実上功だけで、モーター月報による独占記事となったため、後には世界的にも貴重な資料となる。
ただ、総力取材した特別号は大赤字。だが、他紙に比べるとそれ程売れなかったことが皮肉にも日本勢の台頭と共にプレミアを呼ぶこととなり、何と10年後に再版となったばかりか、当時に印刷された特別号は、某鑑定番組に出典したところ、100万円を超えることに。
これが切っ掛けで更に高騰し、21世紀現在、何と1000万円でも買えない幻の書籍となっている。何しろ国産車及び日本のモータースポーツ黎明期の貴重な生き証人とも言える書だから無理もない。
実を言うと、日本のモータースポーツ黎明期は、当時それ程世間の関心がなかった所為もあるのかもしれないが、学術レベルでも謎が多い。
まるで、軍の機密事項並に資料が見当たらないのである。
功はまさに、そんな黎明期を知る数少ない生き証人でもあるのだが、当時の取材については、90歳近くになった今でも沈黙を守っている。彼曰く、『あの原稿と写真が全てですから』と。
外野の騒動をよそに、静寂の内野で功が特に惹かれた一台のマシンがあった。そう、IZUMOである。彼でさえ、その美しいシルエットに魅了されていた。
「スゴイな……一瞬金色のフェラーリかと思っちまう。これが日本のマシンだなんて信じられるかよ」
大学は法学部専攻であり、工学的な面は全くの素人であったが、そんな彼ですら、全てに於いて何処にもムダがないと感じる程であった。
スタイルにも一切の破綻がなく、それでいて最小限度の構成要素のみで形成されたシルエットは、比類がない。日本は古来よりミニマリズムが思想として存在するが、このマシンはその極致に思えた。
当時の国産車のデザインが、海外、特に欧米と比べるのさえ憚られる程の水準だっただけに、功にはこのマシンの存在自体が奇跡に映っていた。
孤高……それ以外に思い浮かぶ言葉がない。正直、あのフェラーリさえも凌ぐのではとさえ思いたくなる。
だが、功はそのマシンのメカニズムについてはまだ知らない。その正体を知った時、更なる驚きに見舞われるのだが、これは翌日の車検までお預けである。
その上、このマシンに乗るドライバーが誰なのかもまだ知らない。
外野では車検が混雑していたが、それもそうで、今回参戦するのは実に全クラス合わせ60台以上。そして、昼と夜とでは数値に誤差が生じることや、時刻による不公平をなくすため、夕刻には一旦終了となる。
今日、車検を終えたのは半分程であり、主にプライベーターだ。ワークス及び日本勢は明日の10時からの予定であった。
因みにこれでも耐久としてはやや少ない方で、ルマンに至っては80台を超える。それでも日本側にとっては、これ程の台数に対応した経験がなかったので、右往左往するのはやむを得ない。
プライベーターでは2000㏄以下が多く、全体のおよそ半数を占めるところに、プライベーターの財政事情が垣間見えるのは気のせいだろうか。
それでも、当時は小型のトランポと2、3人のスタッフだけでレースに挑まんとした気概あるレーサーやチームも少なくなかった。ある意味では大らかであり、いい時代でもある。
その様子を見た功は、
「確か、日本勢ではホンダがエスロク (S600)を出走させる予定だったな。しかも唯一の1000㏄以下だ。ヘタをすると、とんだレッドオーシャンになるぞ」
と、当日の様子を想像し、戦慄するのだった。ていうか、よくこんな小さいので参戦するよな、と。
様々な思惑が絡む中、明日は、いよいよ日本勢のお披露目である……




