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モーター月報の新人

「やれやれ、相変わらずの人使いの荒さと来たもんだ」


 そう言って、富士スピードウェイに、一人の男が現れた。


 彼の名は、進藤功 (しんどう いさお)。東京出身の当時24歳。この年、広島大学を卒業して老舗モーター月報に就職したばかりの新人であった。尚、20年後にモーター月報編集長となり、世界的な産業誌へと飛躍させる大物である。

 こう見えて、実は東京大空襲を運よく生き残った経歴の持主であり、あの時、沿岸部ではなく内陸部に逃げたことが、運命の分かれ道となった。というのも、同級生は家族共々沿岸部に逃げたのである。それが今生の別れとなってしまった。

 東京大空襲では、内陸部に逃げた者には生存者が多かった。


 因みに、後に伝説のお笑いグループ、ドリフターズを率いることになるいかりや長介も、内陸に逃げて生き延びており、しばしばドリフ大爆笑のバカ兄弟コントで、B29による恐怖体験をネタにしていたことを知る者も多いだろう。

 更に余談ながら、沿岸部に逃げた者でも5階建てくらいの鉄筋コンクリート造の高層階に避難した者は助かることが多かったという。何故なら沿岸部に逃げた犠牲者の大半が、焼死ではなく酸欠による窒息死であり、主に三階以上、推定で高さにして5m以上は酸欠になりにくかったからである。


 何処か飄々としてはいたが、壮絶な経験の持主であり、戦後の混乱と焼野原を乗り越えた、恐れを知らぬ世代の一人でもあった。


 その後、程なく逃げた疎開先で終戦となるも、10年程機械技術者であった父と共に一家で奥多摩に逼塞していた。しかし、父の名声を産業界は放っておかず、同期が消息を発見したことにより、とある大手重工業に部長として再就職が決まると共に再び都会へ戻ることに。


 尚、そんな東京出身の彼が広大なのは、東大を二度受験して失敗し、他の東京の大学も軒並全滅。滑り止めであった広大に合格したからであった。

 この時代、大学を十数校受験したという方は少なくない。そのくらいしないと合格は覚束なかったのである。


 これは余談だが、昭和30年代当時、大学に入るのは今以上に難しかった時代であり、東京の大学を狙える程であれば、地方の大学入学は比較的容易だった。このため、当時地方の大学に東京出身者は意外と多かった。

 だが、結果論ではあるが、これは決して悪いことではなく、この時に築いた人脈が卒業後に役立ったという声は少なくないし、地方にしても東京と繋がりが持てるのでメリットは多大であった。


 大正時代、上流層の同人誌として始まったモーター月報は、戦後の混乱期などを経て、高度成長期に入る頃には、とある地方に本社を構える一企業へと成長していた。

 そして、普通は何かしらの出版社を名乗るところを、そのままモーター月報を社号としたのである。

 

 普通、日本初の耐久レースという大仕事に、入社したばかりの新人を当てるというのは、普通の会社なら有り得ないのだが、元より人手不足もあるものの、モーター月報では寧ろ新人にこそこうした大仕事を積極的に割り振っていた。

 ただ、彼一人であり、ベテランによるフォローがないのが心細い。だが、編集長は平然としたものだったのを思い出す。

『心配いらん。思うままに、取材して来い』

 一歩間違えれば上司として、経営者として無責任極まりないが、それで成り立っていたのがモーター月報なのである。因みにモーター月報に於いて、編集長とは社長と同義だ。

 そもそもが同人誌から出発しているので、そのノリが伝統として受け継がれているのかもしれない。


 ただ、これには裏事情もあり、本来ならWMGPの取材で一躍名を挙げた羽矢と拳のコンビが向かうべきところ、羽矢は今年娘が生まれたばかりで一年産休に入っており、拳も一年育休に入れと編集長に命じられていた。


 これも余談だが、モーター月報の入社時期は、他の日本企業が慣例的に軒並4月なのに対し、10月である。というのも、春は閑散期であり、企画や出張取材に追われるため、さすがの新人にとっても荷が重いのと、自動車関連、特にモータースポーツは秋が最も忙しいからである。

 そういう忙しい時期にこそ新人の鍛え甲斐がある。モーター月報とはそう考えるのだ。


 そして、功にお鉢が回って来たのである。


「さて、ああは言われたものの、一体何処からどのように取材したらいいのやら」

 それは、功にとって最初の試練に他ならない。ここを乗り越えられるかどうかが、モーター月報にその後も勤め続けられるかどうかの分水嶺なのである。

 その意味では、モーター月報はかなり厳しい会社と言えなくもない。


 パドックやピット周辺をうろうろするが、取材対象になかなか接触できず、功は戸惑っていた。この時の功は、間違いなく迷子になった子供のの心境である。後に彼も、『本当に心細くて帰りたくて仕方なかったですね』と、編集長に就任した時語っている。

 

 そんな時であった。


「よお、功じゃないか」

 と、威勢よく後ろから声を掛けてくる者が。功にはその声に覚えがあった。振り返るとそこには、

「よ、洋平じゃないか。どうしてここに!?」

「どうしてって、今オレはこの富士を運営するFISCOを任されていてね」

 実は、功と洋平は高校時代の同期である。当時から洋平は何かと親分肌で、功も困った時には度々助けてもらった。


 そして、功の心境を見透かしたかのように、洋平は笑った。

「もしかして、初めての取材をいきなり一人でやらされて、何を取材していいか分からず困っているといったところだろ」

 図星である。

「何でそこまで分かるんだよ」

「おいおい、オレもモーター月報のファンなんだぞ。社風くらいは知ってるし、お前がそのモーター月報に就職したって風の便りに聞いてたからな」

 洋平は、ならばと自分が案内役を買って出た。

「それなら今回参戦する日本勢の取材に行くのが礼儀ってもんだ。彼らは奥にいるからな、案内しよう」


 洋平に案内されたそこは特別区画であり、本来関係者以外は立入禁止だった。しかし、洋平とて功とは長い付き合いであり、彼は信用の置ける人物であることは、洋平が一番分かっていた。自分の信用を担保にして案内したのである。

 しかし、まさかの内幕の取材に、功は心臓が張り裂けそうであった。特に、唯一プロダクションクラスから出走するIZUMOのマシンを見た時は、谷田部でのエピソードも知っていただけに心臓が止まりそうになった程だ。


 そして、功は何かが覚醒するのを感じた。


 その後、無我夢中で写真を撮り、関係者からコメントを取った。


 こうして、彼は一夜にして、一人前の編集者へと成長したのである……

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