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IZUMO対フェラーリ 前哨戦 後編

「何なんだこのマシンは。うるせええ!!」


 ルドをして、それは経験したのことのない轟音であった。

 無論、IZUMOのマシン特有のサウンドであり、実際エンジンそのものは静かなのだが、それ故にスーパーチャージャーの脈動を相殺する要素が実質ないため、モロに衝撃波が発散されており、それが轟音の正体である。

 この時、恐らくブロワーの回転数は、最低でも10万は下らない。ルーツ式の常識を遥かに超えていた。戦前、ルーツ式はレースで大いに使われていたが、その時で恐らく3万回転に達するかどうかであろう。


 スリップストリーム状態のまま、バンクに突入する二台。ルドもバンクでの追い抜きはリスクが大きいと判断しており、我慢はしていたが、それでも小刻みに揺さぶりを掛ける。


「左右に落ち着きなく映ってる様子からして、これは宣戦布告と判断してもいいのかしら」

 渦海は、バックミラーを見ながら意外な程冷静であった。実は、渦海も普段は大人しそうに見えて、内面で静かに闘争心を燃やすタイプ。

 あまり表情にも出ないが、本音は熱く燃え滾っていた。何しろ久々のレースである。燃えるなという方が無理だ。


 そして、バンクを出たところで、予想通り仕掛けて来た。


 インを強引に突く。だが……

「おいおいウソだろ。ドリフトしてるのに抜けない!?」

 ルドは、典型的なグリップ走行を得意とするレーサーであり、F1に出場した経験や、これまでの常識から、ドリフトではタイムが落ちる筈だと考えていた。

 実際、彼の判断自体は間違ってはいない。というのも、この世界では早くも四輪を中心にラジアルタイヤ及びスリックタイヤの普及がジャンル問わず始まっていたからである。

 四輪の場合、ラジアルタイヤだとグリップ走行の方がタイムが出るのだ。理由は簡単で、ラジアルタイヤはカーカスの構造上左右方向の踏ん張りは弱い。ドリフトに持ち込んだ場合、間違いなく外へ振られるエネルギーの方が勝って前進しようとする妨げになる。

 それが、ドリフトではタイムが出ない最大の原因だ。


 そんなラジアルタイヤが何故早く普及したのか。それは、史実と異なり世界で初めてラジアルタイヤを世に送り出したミシュランが、ラジアルタイヤ特有の問題解決に早く成功したからである。

 史実では1948年までその登場を待たねばならないのだが、こちらでは1939年、生産上の問題が解決されたことで、いよいよ生産開始にGOサインが出た。

 しかし、その僅か一か月後に第二次世界大戦が勃発。だが、そんな最中にあってもミシュランは疎開先で細々と研究開発を継続していた。

 そして、1944年、何とパリ解放の翌日には早くも生産を開始したのである。そして、実はレース用タイヤに限って言えば、ラジアルの方が生産は楽なのだ。信じられないかもしれないが、事実である。

 というのも市販車とレーシングカーではカーカスへの要求も当然異なるのだが、レース用のカーカスはラジアルとの相性が抜群だった。言い換えれば、ラジアルの方がレース用はコストが安い。それがミシュランが早くもラジアルをレースに供給した理由である。


 因みにフェラーリは長い間グッドイヤーのユーザーだったのだが、これはフェラーリが市場としてアメリカを重視していた政治的理由からであったのだが、グッドイヤーも戦前から研究はしており、ミシュランに後れること5年後の49年にレース用にラジアルタイヤを販売し、現在に至っている。

 こうした理由から、四輪では戦後になるとドリフトは一気に廃れていった。


「クソッ、どうなってやがんだ。コーナー毎に引き離されやがる!!」

 ルドは、悪夢を見ているようだった。ロレンツォはともかく、ドリフトであそこまで速いレーサーを見たことがない。

 元よりドリフトの方が有利なコースとはいえ、それでもヘアピンなどで差を縮めてくるのはさすがという他なかったが。


 因みにヘアピンでは史実よりエッジがキツいため、グリップ走行だとかなりのタイムロスになるのだが、そこはルドも心得ていたようで、不本意だと思いつつパワースライドして差を縮めていた。

 尤も、ラジアルタイヤでのパワースライドはタイヤへの負担が大きく、パンクのリスクが高まるため、寒いこの時期でもハードコンパウンドが推奨である。


 最終コーナーに入った時、ルドはすっかり熱くなっていた。

「こうなったら、ここで抜き去らないと、コメンダドーレに顔向けができねえ!!」

 それも当然で、しがないレーサーだった自分を見出してくれたのが、エンツォ・フェラーリなのだ。尚、彼はかのタツィオ・ヌヴォラーリをレーサーの理想像として語っており、勇敢でどんな場面でも諦めないタイプこそが規範であったことも、ルドが強引に行く理由であった。


 長い四輪ドリフトでスムーズにコーナーを抜けて行くIZUMOに対し、フェラーリは強引にインを突いて急に径が絞られる最終コーナー出口で並びかける。

 ここも抜き所の一つで、ロレンツォの走りを見て彼は見抜いていたのだが、さすがとしか言いようがない。


 ホームストレートで立ち上がり、抜ける。筈だった。

「何っ!?」

 ルドが目にしたのは、突然回転する視界であった。そう、スピンしたのである。


「くっ!!」

 しかし、彼も然る者。突然のスピンにも慌てることなく、そのまま回転させて勢いが落ちるのを待った。その横を、他のテスト中のマシンが次々通り抜けていく。

 コース幅が広く、それ故回避は比較的容易な富士であるが、安全のためコースマーシャルはすぐさまイエローフラッグを振った。因みにこの時代、他の国だったらこの程度でイエローフラッグは有り得ない。

 21世紀現在だったら、最終コーナーを塞ぐように止まった場合、レッドフラッグも有り得る辺り、時代は大きく変わったものである。

 昔だったらコースの内なり外なりに芝生などにマシンをコースアウトさせてレースを続行していた筈だ。


 突然のスピン停車にフェラーリのスタッフが駆け寄り、大急ぎで撤収させる。尚、ルドは既にマシンを降りていた。

「何てこった。屈辱だぜ」

 落ち込んだ様子で戻って来るルドに、さすがのエンツォも慰みの言葉もなかった。そりゃそうだ、エンツォだって内心屈辱に思っていたのだから。


 と、数分後、IZUMOがピットに入ってきた。そして、ガレージに横付けしたところで、左のドアからもどかしそうに降りるドライバー。

 尚、IZUMOのマシンは地上高が100㎜と大きめの割に車高が990㎜しかなく、乗り降りは正直大変である。

 その様子をルドを始めとしたフェラーリの関係者が見つめていたのだが、あまりにも小柄なことに唖然としていた。だが、驚きはそれだけではない。

「なっ!?お、女の子!?」

 ヘルメットを脱いだところに表れたのは、レーサーとは思えぬ幼い顔立ちであった。西洋人から見れば、典型的な日本人形を思わせる。

 そんな渦海も、予定外のレースにつかれた表情を見せていた。

「ふう、いきなり世界最強の相手から洗礼を受けるとは思わなかったわ」

 と言いつつ、フェラーリの方をキッと見つめていた。


「マシンより、具合は大丈夫か!?」

 耕平は予想外の事態にマシンより彼女の方を気遣う。

「疲れた以外は問題ない。でも、これで貴重なデータが取れたかもしれない。その意味では、相手に感謝ね」

 それは、果たして皮肉であったかどうか。しかし、IZUMOにとって思わぬ実戦経験だったことは確かであろう。


「ヤタベの映像は、やはり本物かよ」

 ロレンツォは、IZUMOを睨みつけて苦苦しい思いを隠そうともしなかった。無理もない。冷静な彼をしても、あの映像は内心信じたくなかったのだ。何しろテストコースとはいえ最高速度は400㎞/h超である。

 それでも、彼を筆頭に、フェラーリの面々は思った。一体どんなハイメカニズムが使われているのかと。

 だが、まさかその正体が、古典的なメカニズムの塊であることなど、知る由もない。それが明らかとなるのは、翌年のルマンでの公開車検の時である。

 こんなマシンが、世界最強に立ちはだかって来たのかと。


 だが、フェラーリにしてみれば、悪夢に他ならない……

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