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前代未聞のエンジン

 漸く始まった、レース用マシンの開発。


「まずは、エンジンブロックだ」 

 耕平は、これが出来れば半分は成功だと考えていた。そこには、ある種の確信があったのだ。というのも、農業トラクターなどで培ったノウハウや走行データから、おおよそのパラメーターは心得ていたからである。


 これまで出雲で主流だったのは、主に三種類。いずれもディーゼルであったが、5リッター4気筒、3リッター4気筒、耕耘機用の1.5リッター3気筒である。


 その中で彼がベースとして選択したのは、1.5リッター3気筒であった。

「これを二基繋げれば、最強のエンジンになる」

 青写真で思い描いていたのは、3リッター水平対向6気筒。だが、厳密には180度V型6気筒である。


 その違いはというと、水平対向の場合、ピストンの動きが向かい合うようになるのに対し、V型は片方が上死点にある時、もう片方は下死点にある。

 クランクピン、即ち両バンクに於いて、ビッグエンドが独立しているか共有しているかの違いである。


 スムーズさで言えば、水平対向の方が望ましい。理屈上直列6気筒と同じ、完全バランスとなるから。だが、それだと思ったよりエンジンがコンパクトにならない上、6気筒だと1気筒辺りのパンチ力が大きくなるため、24時間戦う上でクランクシャフトがもたない可能性が高い。

 21世紀ならば問題ないだろうが、当時なら8気筒以上がベストだった。実は、レースではマルチシリンダーの方が耐久性が高い。

 当時の耐久マシンに於いては、直列なら6気筒より8気筒の方がベストだったし、フェラーリを筆頭に、一部のメーカーは12気筒を選択していた。

 12気筒ともなると、ダブル完全バランスとなるため、シャシーへの負荷も抑えられるからだ。


 だが、耕平は、農機でのノウハウから、6気筒が相応しいと考えていた。当時、更に大型のトラクターに対する需要が北海道を中心に発生しており、6リッター直列6気筒エンジンを搭載した仕様が、間もなく生産を開始予定だった。

 その過程で、思った以上に耐久性が高いことが分かっていたのである。超低回転で得たノウハウは、そのまま高回転エンジンにも活かせることを、耕平は理解していたのだ。


「だが、直6じゃあ意味がねえんだな」

 そんな耕平が、敢えて180個V型を選んだのは、やはり農機から得られたノウハウを活かすためであった。実は、3気筒は一次、二次振動はバランスするが、偶力がバランスしない。


 ここで、振動について説明すると、一次振動とは、回転に由来する振動であり、正面から見るとエンジンをそのまま回転させようとする作用のことで、二次振動とは、往復に由来する振動で、エンジンを上下方向に揺すろうとする作用である。

 それに対し、偶力振動とは、何とエンジンを左右方向に捩ろうとする作用だと思って構わない。業界用語ではみそすり運動と言うが、非常に厄介な振動であり、技術者は如何にこの偶力振動をどうにかするかで頭を悩ませてきた。

 内燃機関の歴史が始まって以降、今日まで永遠に付き纏う課題と言っても過言ではない。


 だが、長年の経験から、この偶力にも思わぬメリットがあることを、耕平は掴んでいた。それは、エンジンと変速機を素早く同調させる作用である。

 一般に、農機では大型トラクターを始め、変速機にシンクロ機構と呼ばれる回転を同調させるメカは搭載されていない。強大なトルクであっという間に摩耗する上、シンクロ機構が破壊された際、双方を強制停止させてブローに至る危険性があるからだ。

 なので、当時は特にシフトダウンにはダブルクラッチと言って、一旦ニュートラルに入れ、アクセルを吹かしてもう一回シフトチェンジするテクニックが農機のみならず乗用車でも必須だった。

 尤も、農機の場合、ほぼ1速のみだし、小型特殊自動車を筆頭に、農機は原則15㎞/hまでと決まっているので、その点で悩むことはなかった。なので、出雲でも変速機は大型でも3段しかなく、他は2段のみだ。


 しかし、農機に偶力振動は必須で、というのも、回転を双方で素早く同調させないと、あの独特の小回りができない。言わば、偶力振動がデファレンシャルの役目をも兼ねていたのだ。信じられないかもしれないが、事実である。

 他国はどうか知らないが、出雲のみならず、日本の農機メーカーの技術者の間では常識であった。


 この偶力振動を敢えて活かせば、素早いシフトチェンジが可能となるばかりか、これまでにないコーナリングが可能となる。そう考えていたのだ。

 そのため、パワーやトルク、スピードなどとの兼ね合いから6気筒を選択したのだが、敢えて偶力がバランスしないV6としたのである。

 

 だが、じゃあ何故180度とする必要があるのか。理由は単純で重心を低めるためである。しかも、耐久レースに出場するマシンは、フォーミュラカーではなくスポーツカーをベースとするため、空力に対する制約が事実上ない。それなら重心を極限まで下げられる180度は当然の選択と言えよう。

 因みにもう少し後になって、フェラーリも水平対向12気筒を搭載したレーシングカーや市販車を送り込んでくるが、厳密には180度V型であり、理論上ダブル完全バランスであるため、クランクピンを共有しても問題がなかったのと、水平対向だとエンジンが長くなり過ぎてしまうからだ。

 つまり、考えていることは同じだった。後にグラウンドエフェクトが常識となるまで、水平対向は、ハンドリングを向上させるのに有効な手段であり続けた。


 だが、180度V型でも6気筒は、恐らく歴史上前例がなかった筈である。そこに、耕平の緻密な計算があった。

 180度V型6気筒ならではのコンパクトさと加速性能、ハンドリング性能を併せ持ったマシンが、これによって誕生することになる。だからこそ、ルマンプロジェクトの成否は、このエンジンが完成するか否かに掛かっていたのだ。


 その日から、耕平は腹心の部下にして社内で最高レベルの職人でもあった三人と共に、密かに倉庫の片隅に設置されていた実験室の奥で、エンジンブロックの製作を始めた。

 当初、その図面を見た部下は、こんなエンジン何に使うのかと訝り、その上これまでのアルミブロックではなく、本来ならフレームに用いる筈の超ジュラルミンを、エンジンブロックに使うという常識を超えた発想に、社長は大丈夫かと心配した程だ。


 しかし、社長は、というか耕平は本気だったし、戦前からの長い付き合いである以上、何か大きなプロジェクトを密かに開始したのであろうとは考えていた。

 因みに彼らにとって、ジュラルミンをエンジンブロックに加工することなど訳はない。何しろ世界にたった三人しかいない、ジュラルミン職人である。

 だが、それがまさか、ルマン制覇などという野心極まる目標であることなど、知る由もなかった。


 加工方法については機密だが、ヒントを言えば、硬い物は柔らかい物で切削する。


 しかし、それでも水準を満たすエンジンブロックは、なかなか完成しなかった。そもそもがこんなエンジンブロックなど存在しないのだから当然と言えよう。

 それでも社長の熱意に絆される内、彼らも夢中になって加工していた。それも、文字通り寝食を忘れて。ヘタをすると、帰宅が明け方になるどころか、一週間缶詰になることもザラだった。

 このため、家族ばかりか労組も心配した程だ。何しろ一か月での残業が300時間を超えていたのだから。しかし、それは無意味な残業ではなかった。だからこそ耐え抜いたし、周囲も黙認したのである。


 その苦労が漸く実り始めたのは、製作開始から、実に3か月後のことだった。

「や、やっとだな」

「ええ。本当に出来るとは思いもしませんでしたね」

「おいおいナニ言ってるんだ。お前たちだから出来ると確信してたよ」


 そして、超々ジュラルミンのピストン、ジュラルミン製のコンロッド、超ジュラルミン製の組立式クランクシャフト、ジュラルミン製のシリンダーヘッド、そして、超ジュラルミン製のバルブなどが組み込まれていく。

「まずは回転試験だ」

 そして、組み上がったエンジンをモーターで回す。これから24時間連続で回転させ、何が起こるのかを検証するのだ。

 だが、耕平は確信していた。このエンジンの耐久性の高さを。


 翌日夜遅く、24時間回転し続けたエンジンの分解調査が行われた。すると、どの部分にも疲労の跡は事実上なく、実権は大成功だった。


 実に100個近いジュラルミンブロックを加工して作り上げられたエンジンは、ひとまず第一段階をクリアしたと言えよう。

 そのエンジンは、180度V型にして、何とターンフロー、そして、ハイカムOHVであった。

 OHVは高回転化には不利であり、レースの世界ではDOHC、最低でもSOHCが常識であった中、敢えてOHVを採用したのだが、その理由は、農機での経験から、アクセルレスポンスが非常に速く、偶力振動に対しても相性が良く、回転同調性能が高いこと、何より、低回転から吹け上るため、加速性が高くパワーバンドが広いこと、ヘッド周りがコンパクトになるためシリンダーヘッドが軽量化可能なことから、全体に軽量化できるのでその分ハンドリング性能が更に向上するといったメリットを選んだのだ。


 OHVはその構造上、7000回転以上になるとバルブサージングと呼ばれる高回転化を妨げる現象が発生するのだが、ハイカムにしたのと、バルブサージングの原因が、プッシュロッドの耐久性及び重量にあることを突き止めていた耕平は、超々ジュラルミンを採用し、更に二酸化処理を施すことで、表面に靭性を与えてバルブサージングを吸収したことで、何と13000回転まで問題なく回った。

 無論、バルブ周りに破壊の兆候は一切見られなかった。


 加えて、当時エンジンブロックは、所謂シリンダーライナーを別部品として組み込むウェットライナーが主流だった時代、選んだのはドライライナー。

 エンジンブロックに、直接シリンダーライナーを切削して刻むのだ。これを選んだ理由は、軽量コンパクトに纏まるのと、ウェットライナー最大の欠点、所詮は別部品として組み込んでいるため、膨張収縮を繰り返す過程でシリンダーライナーが外れてヘッドやガスケットを破壊する問題から逃れられること、そして、冷却性能が高いことであった。


 しかし、これは当然問題もあった。

 それは、エンジンブロックが強靭でないと、ピストンを破壊するリスク、更に、エンジンブロックへ切削加工を行うことによって、本体へ余計なダメージが及ぶリスクである。

 また、エンジンブロックは膨張収縮するため、それも考慮に入れて加工する必要がある。

 加えて、ドライライナーはライナー部分にプラズマ溶射が必須なのだが、本体へのダメージの懸念を考えると非常に難しい。

 だが、ジュラルミンブロックは、それすら必要としない。実は、特性の異なる素材を張り付けることもリスクなのである。この業界に生きる技術者なら大半が心得ているだろう。

 余計な付加物は、出来ればない方が望ましいのだ。

 その意味では、究極のシンプルエンジンと言えるかもしれない。

 

 前代未聞のエンジン誕生の瞬間であった。


「や、やったな!!」

「ええ。これは間違いなくいけますよ!!」


 こうして、エンジンブロックは、見事開発に成功した訳だが、これによって半分は完成したといっても、ここからは亀のような歩みになることを、彼らはまだ知らない……


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