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IZUMO対フェラーリ 前哨戦 前編

「ま、まさか、あれはフェラーリ!?」

 

 甲高いサウンドと共にコースインしていく黄色いシルエットに、風也は目を剥いた。今はまだ現地入りしてない筈ではと思ったのだが、耕平は冷静だった。

「ワークスばかりじゃないぞ。中にはサテライトもいるんだ。それだろうな」 


 尚、フェラーリのサテライトチームの名は、スクーデリア・モデナと言う。ワークスの正式名称は、スクーデリア・フェラーリだ。こちらも明日には合流予定であった。


「おおう、なかなか刺激的なコースじゃないか」

 ロレンツォは、富士の30度バンクに突入した瞬間にそう思った。同時に、このバンクには最速、というか安全な走行ラインが一本しかなく、ここで勝負を掛けるのは危険すぎるとも判断していた。

 だが、この30度バンク、なかなかのクセモノだった。


「細かなハンドル操作が要求される上に、一定以上のスピードでないとグリップしねえ。こりゃあ、相当な度胸試しのコースだ」

 俯瞰すれば分かるのだが、実際に走るとなかなか分かりにくいのが、このバンクは徐々に径が絞り込まれるため、きめ細かな操作が要求されつつ、最低でも200㎞/h以上のハイスピードを維持しなければならないことであった。実を言うと、角度が異なるなど条件は異なるが、同じ構造のアブスのバンクよりも難易度は高い。

 バンクを走っている間、強烈な縦Gが掛かることは、モンツァでも経験済みだったものの、それが感覚的に 長く感じるのがなかなかにつらい。


 因みにこのバンク、走行条件にもよるが、最大で7Gに及ぶ縦Gが1分は続く。富士で最も集中力を要求されるセクションと断言してもいいだろう。

 このため、ここで抜き去ろうと考える余地がなく、加えて最上段のアウト側一本しか走行ラインがないため、ここでNASCARなどのように走り抜けることに専念せざるをえないため、イヤでも数珠繋ぎになるように仕組まれていた。

 それによって、レースが仕切り直しになる仕組みであると同時に、敗者復活のチャンスも与えられる仕組みでもあった。

 要はレースを盛り上げるための巧妙な仕掛けである。


 このバンクが終わっても油断はできない。今度は緩い高速カーブを、アクセルワークのみで切り抜けなければならないのだが、グリップに頼る走りだとタイムは望めない。

「クソッ、このオレにドリフトを要求するとはな」

 などと言いつつ、彼はドリフト走行も得意であった。しかし、富士はグリップが低く、ドリフトコントロールは非常に難しい。だが、コツを掴みさえすれば、理論上アウトからでもインからでも仕掛けられることを意味していた。

 どちらのラインを選ぶかは、その時の状況やマシンの性能との相談となるだろう。その意味で油断もスキもない。


 富士で唯一のハードブレーキングポイントであり、最終コーナー出口を除けばシケインをも兼ねているヘアピンに差し掛かった時、ロレンツォは後部をスライドさせながら華麗にスピンターンを決めてクリアしていく。

 その様子にピットからは、『おおっ!!』と歓声が上がる。


 ヘアピンを抜けても再び最終コーナーを兼ねた複合セクションでは、アクセルコントロールに加え、四輪ドリフトで抜けることが要求される。

「何なんだよコレ。だが、面白くてたまらねえ」 

 などと言いつつ、ロレンツォでさえ息が切れ始めていた。


 最終コーナーをクリアすると、ロレンツォは即座にピットに戻る。その様子に、何かトラブルでも生じたかとメカニックが大勢駆け寄る。

 その様子に、エンツォも心配そうだ。

「おい、大丈夫か!?」

 辛うじて降り立ったロレンツォは、ヨレヨレだった。

「か、監督、このコース、マジでヤバい。油断すると死にそうだ。だけど、刺激的だぜ」

 そう言って、傍らのミネラルウォーターを一気に飲み干した。風也と同様軽い脱水症に見舞われたのである。

 それを見越してか、程なく大正製薬から富士だけの特別対策品が支給されることに。


 600m近い標高での超高速バトルそのものが、実は未知の領域だったのである。思えば、とんでもない場所にコースが作られたものだと言わざるを得ない。

 後に日本人レーサーは、ルマンには魔物が潜んでいると嘯くが、海外勢にしてみれば、富士は魔界だ、と言わしめることになる。

 上述の条件のお陰で、耐久としてはスプリントに近い6時間とはいえ、24時間どころか48時間を走っているような錯覚に陥るドライバーも少なくなかったという。

 また、6時間であるが故にハイペースな展開ともなるため、一層条件が厳しい。


 交代するルドヴィコにロレンツォは一言、

「とにかく、ペース配分には気を付けろ。思った以上に息が苦しくなる」

「分かった。ていうか本当に大丈夫か?」

 その様子に、自分のこと以上に同僚が心配になる。


 ルドに交代したフェラーリは、再び12気筒サウンドを轟かせながらコースインしていく。コースインする直前、一台のマシンが横切っていった。淡い黄金のシルエット。IZUMOである。

「お手並み拝見といこうか」

 ルドは、偶然直後についたのもあり、ロレンツォの忠告も忘れてスリップストリームに入ろうとしていた。 


「うん?あれは……」

 この時、テスト走行中の渦海は、バックミラーに黄色いシルエットが挑発してくるのが見えていた。尚、IZUMOのマシンにはルームミラーがなく、ドアのAピラー上部にバックミラーが取り付けられている。

 この方が視線移動が少なく疲れにくいのと、ルームミラーがあることで見るべき範囲が多くなる分疲労が増すのを防ぐためでもあった。

 人を満員で乗せて走ったり、或いはトラックなど、真後ろが見えない車両を運転された方は理解できると思うが、ルームミラーがなくても意外と不自由はしないものである。あるに越したことはない程度だ。

 こんな細かな部分にも、耕平のレースに対する哲学が見てとれた。


「もしかして、フェラーリかしら!?」

 当時、WMEには似たようなシルエットのマシンが多いため、区別がつきにくいことも多かったが、黄色のシルエットと言えばフェラーリ以外当時採用しているチームはなかったので、すぐに分かった。

 意外かもしれないが、ワークスでも、主にスポーツカーレースに於いて黄色で出走した記録がいくつかある。

 そして何より、こちらは静寂なのに対し、向こうの音はモロに伝わってくるのだ。その上、嘗てはフェラーリに乗っていた身であるが故、12気筒サウンドはイヤという程耳につく。


「おいおい、あれはマズいんじゃないのか?まだレースは始まってないぞ」

 耕平からは、フェラーリが明らかに挑発しているのが見てとれた。でなければ、スリップストリーム状態でバンクへ入っていく筈がない。


 だが、これが西洋社会の流儀でもあり、レースは既に始まっていたのだ……

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