予行演習 その2
コースインした風也は、まず流しながらコースの感触を確かめていく。
「うわあ、見た目に反して難しいわ」
それが、風也の抱いた偽らざる印象であった。それも、まだバンクに飛び込んだばかりで、である。実際、レーサーはそのコースの性格を、1コーナーで把握できるという。
無論、その呟きは、ヘルメットに装着された無線機からピットにも伝わっていた。SSDを通じて供給されたのと同じタイプである。
因みに富士スピードウェイは、通常の場合、ブレーキングポイントはコース半ばのヘアピンしかなく、ここが事実上シケインも兼ねており、且つそれ以外は踏みっ放しか、アクセルコントロールのみで通過するという、実はトンデモなコースだ。
ザンドヴォールトや、或いは後に落成するエステルライヒリンクのように、途中にそういうセクションがあるサーキットは存在するが、テクニカル要素を詰め込んだサーキットで全体がそういうレイアウトなのは、恐らく富士だけである。
その意味でも、様々な政治的経緯が誕生の歴史に絡んでいるのも手伝い、異質なサーキットであると言わざるをえない。
「いい、これ、いいよ!!」
この時、バンクに突入して強烈な縦Gに見舞われていたのだが、これまで経験したことのないコースに風也はそんなことも忘れ楽しんでいた。
レンガを敷き詰め間にセルフレベリングコンクリートを流し込んだ上で固まるまで型紙で塞ぎ、その上で大理石と同じく荒磨き程度まで研磨して仕上げたバンクは意外にもコントロール性も高く、更にこの時のスピードは300㎞/hを優に超えていた。
因みに建物に使われることも多い大理石だが、磨きには三段階あり、壁や天井は最上級の本磨き仕上だが、床は中磨き、坂など傾斜部は荒磨きまでと決められている。
因みに荒磨きでも普通の道路と比べ滑りやすいが、バンクでヘタにグリップする方が逆に危険なのだ。バンクではハイスピードがグリップの代わりと言っても過言ではない。
バンクは途中徐々に絞り込まれるように径が変わるため、意外と細かなハンドル操作が要求され、そのためにコントロール性を高めて安全性を確保していた。
因みに同様の工法で仕上げられているアブスだが、バンクの磨きが足りない。それが後に死のバンクと言われる程の数々の大惨事の原因としか思えない。
一応コースの俯瞰図で分かってはいたことだったが、この下見で、バンクはやはりアウト側の一本しか走行ラインがないことが、改めて確認された。
バンクの様子はピットからも見えるため、その走りを見た耕平曰く、
「こりゃあ、WMEが開催されたら誰が本命になるかなんて予測もつかんな」
尤も、それが現実になろうとは、この時誰一人思ってなかったが。
バンクが終わるとカーブの向きが変わるため、境目がS字となっており、バンクでスピードに乗せ損ねると、S字にまで響くことになる。
その上、意外と切り返しは忙しく、更にこの間広いコース幅を目一杯活かすようにアクセルのみでコントロールしなければならない。
このS字を、軽やかなドリフトで抜けて行く。
「俯瞰と違って、思った以上にスピードが出るわね。こりゃ慣れが必要だわ」
風也がそう言うのは何故か。
実は、レーサーはカーブを見ると本能的にブレーキを踏み込みたくなるのが普通の反応なのだ。尤も、それはレーサーに限った話ではないのだが。
しかし、富士では文字通りコース幅を目一杯使ってスピードに乗せる走りが要求されるのである。単純そうな見た目に反し、その点が実に巧妙に作られていたのだ。
だが、富士は一つだけ救いをコース半ばに設けてあった。
「これよこれ。ここで一息つけるのよね」
それは、コースのほぼ後半に位置するヘアピンである。このヘアピンも面白い構造になっており、この世界では、入り口と出口をわざと絞り込み、頂部をわざと拡げている。
なので、俯瞰で見るとヘアピンというよりは楔に近い。後にデルタゾーンの異名がつけられることに。
こうすることで、アウト寄りの走行しかできないから、マシンはイヤでも減速を強いられ、富士に於ける最終コーナーと並ぶ数少ないオーバーテイクポイントとなる。
四輪ドリフトでアウトから被せるように抜き去るか、さもなくばスライドで強引にインへ突っ込むアウトインアウトか。実は、富士はドリフトが得意なレーサーにとって有利なコースなのである。
次の高速セクションを考えると、ヘアピンでは立ち上がりが重視されるのは必然で、進入スピードをある程度犠牲にするか、それともオーバーテイクのチャンスと見做してアウトインアウトのラインで突っ込んでいくか。大いなる駆引きの場となろう。
「それにしても、単純なコースの割にしんどいわ」
ヘアピンを抜けると、最後は緩い高速カーブだが、バンクがないことを除けば1コーナーとそっくりであった。
ここも、マシンの優位性を活かして前半で抜き去るか、或いは急速に絞り込まれる最終コーナーまで待つか、判断が問われるであろう。尤も、最終コーナーでは目一杯スピードを乗せないと立ち上がりが苦しく、ホームストレートでスリップストリームに入られ逆転のリスクもある。
二周したところでいよいよ本スピードに入っていく。バンクに入る頃に、超音速現象によって、マシンの通過音がピットに響き渡る。
だが、ここで風也は流しの時とは全く異なる、このコースの本性を目の当たりにすることになる。
「うおおっ!!な、何なのよコレ!!」
その様子は当然無線を通じてピットにも伝わっていたのだが、大丈夫なのかとおもいたくなる。 その上、ここは標高600m近く。富士山で言えば2合目が間近であり、地上と比べると空気は薄い。それによる疲労までもが風也を直撃していた。
この時、風也は深呼吸して何とか対処していた。後に判明したことだが、このマシンは暑さ対策として車内が0.9気圧になるようにしているのだが、富士では逆に1.2気圧に設定しなければならないのだ。
しかし、車内の気圧が上昇すると走行抵抗になることや、富士6時間は前半の方が重要なため、ラスト2時間に限り使うことが決められることに。
また、1.2気圧の世界に1時間以上いると、鼓膜を始め様々な器官に異常が生じかねないため、ドライバーの交代についても再検討せざるをえなくなった。
やがて、本スピードで二周してマシンが戻って来たのだが、何故かヨレヨレ。もしや、マシンに何かあったか!?そう思いたくなる程であった。
しかし、実際に問題があったのは、風也の方であった。
ドアが開けられず、結果、メカニックに手伝ってもらわねば、降りることも儘ならなかった。完全にヘロヘロになってしまっている。
「お、お、おい、どうした!?」
「こ、このコース、ヤバいなんてもんじゃないわ……」
「えええ~~~~~~っ!?」
後に判明したことだが、風也は0.9気圧の車内で脱水症に陥ったのであった。要は高山病の一歩手前である。0.9気圧と言えば、高度1000mにいるのとほぼ同じ。その高度でハードトレーニングをすればどうなるかは明白だ。
今だったら気圧を調整可能な部屋でトレーニング出来るが、当時は高地トレーニングなんて存在しない。今なら常識だが、徐々に身体を慣らすという方法も確立されてなかった時代である。
だが、耕平には思い当たるフシがあった。何しろ学生時代は何かと多趣味だった男であり、留学期間中にはアルプスに登ったこともある。
「あの時友人は、高山は徐々に身体を慣らしていくことが肝要だと言ってたな」
結局、後に仁八をツテに広島のとある病院からアドバイスを受けることになるのだが、簡単な方法として、風呂場で徐々に湯温を上げていく方法で似たようなことが可能だと伝えられた。特に、日本の檜風呂は効果も高いという。山陰には当時、そんな風呂を持つ家はザラにあった。
富士では予想もしなかった課題に直面し、マシンもフタを開けてみれば、特に過給機に深刻なトラブルが発見されることになる。それは、過給機のケースに金属疲労の兆候が発見され、もう一周していたら爆発して周囲にプラズマを撒き散らし、どんな大惨事になっていたか知れなかった。
原因は、限りなく1気圧以下の世界で過給機を10万回転以上で動作させたことで、乾燥した空気を吸い込み続け想定以上のプラズマが発生し、そのプラズマによってダメージを受けてしまった。
ただ、幸いにしてそれ以外はダメージもなかった。
対策としては、アーシングの強化であり、といっても単に静電気として捨てるのは勿体ないため、レギュレーションでスポーツカーという建前上スターターモーターを装備せねばならないことを逆手に取り、そのモーターにキャパシターを接続してそこへ吸わせ、立ち上がり時にスターターモーターに加速アシストをさせることと、更に前輪にもモーターを搭載し、立ち上がり時に同じく前輪を駆動することでドリフト時の安定性向上を図ることにした。
今風に言えば、マイルドハイブリッドの導入である。
今では二人もかなり慣れているとはいえ、対策後もオーバーステアはかなりのレベルだったのだ。
これによって車重が40㎏増加するが、安全には変えられない。その上、それで増加しても尚参加マシンの中では最軽量だったのだが。
しかし、そのままではバランスが崩れるため、図面を睨みながら総合的なバランスの再検討が行われ、最終的に重量増加は30㎏に抑えられた。
尚、技術陣からは、前後の重量配分についても見直すべきではとの意見も上がったのだが、総合的なバランスが良ければそれは問題ではないと一蹴している。
それが原因ならともかく、前後を弄ることで寧ろバランスが崩れる方が恐いとのこと。耕平には確信があった。その昔、仁八と同じくアマチュアレーサーをしていたこともあり、その時の経験から、ヘタに前後の重量配分を弄る方が危険だということをである。
因みにこのマシンの前後の重量配分は、何と前35後65と、かのポルシェ911並だ。改良前は前30後70だった。そりゃ中海でスピンもするだろう。
予想外の課題に直面するハメになったとはいえ、富士での予行演習そのものには価値があった。これによって、マシンの性能及び設計方針の正しさを確認できたと共に、問題点が一気に洗い出されたのだから。
耕平に言わせれば、技術者にとって最大の課題は、如何に問題点を洗い出すかであり、それさえ出来れば後は簡単だというのが持論だった。
尤も、問題点を洗い出せても、そこから解決策を考え出すのがまた一苦労なのだが、そう言ってのける辺り、実は出雲産業は並の企業でないことが窺える。ある意味宍戸重工と並ぶ異能集団だ。
予行演習で得た収穫は予想以上であり、様々な対策を事前に打てたことは、まさに塞翁が馬だったと言えよう……




