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ライド・インパクト

 山陰へアクセスする者は少なく、取り敢えず切符及び宿泊施設の手配は意外とすんなりと進んだ。


 しかし、ローカル列車で長時間揺られるのはなかなかの苦行であり、且つ周囲からの視線が痛い。無理もない。21世紀現在と異なり、昭和30年代当時、外国人を日本で見ることなど、大都市ですら滅多になかったことだ。


 因みに山陰は嘗て宿場町として大いに栄えた歴史を持つ。玉造温泉を始め、湯治の場所には事欠かなかったし、明治以前は大規模輸送というと水運が頼りであったため、潮流の関係で日本海への依存度は非常に高かった。太平洋側は漁業以外重視されておらず、一転して太平洋側に比重が移るのは、動力船が主流となる明治後半からである。

 

 その名残はこの時も残っており、関係者はエキゾチズムと共に、日本の宿を大いに堪能するのであった。この時日本は三年後に東京五輪が控えていたため、図らずも予行演習ともなり、全国の宿泊業に貴重なデータを齎すことになる。


 その頃、出雲産業本社では、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。

「とにかく、清掃は徹底するんだ。世界からお客様が来られるんだからな」


 事前に訪問の電話が入っていたこともあり、耕平も自ら社内清掃に精を出していた。因みに、工場内はまさに今風に言えば5Sは徹底していたが、事務棟は意外と杜撰であった。それが昭和30年代の製造業の実態でもある。

 だが、杜撰だった原因は、社員がズボラだった訳ではない。当時はまさに書類の山に埋もれるのが常であり、今のように電子データ化できないため、5Sが追い付かなかった。製造業で扱う書類は、殊の外多いのだ。

 当時の事務員の大変さは、察するに余りある。このため、現在と違い事務職は、高学歴層の間でもそんなに人気のある職種ではなかった。

 その上、当時は高度成長期真只中であり求人難もいいところで、事務職は中卒者にとり、数少ない駆け込み寺でもあった。製造職は当時、既に高卒でないと対応できなくなっていたのである。

 21世紀現在とは大違いであった。


 そんな出雲産業に、FIAが訪問してきたのは、翌日の昼だった。


 彼らにはお持て成しもそこそこに、早速工場へと案内した。そこでは、やはり手術室並に清潔な場所で、マシンが組み上げられていた。

 これには彼らも驚きであったという。何故なら欧米でもそれが当たり前だったのだが、日本にそれは期待していなかったのだ。しかし、根本から認識を改めることに。


 だが、耕平曰く、今日の夜にはスゴイ物が見られると、彼らにドヤ顔であった。


 その夜が程なく来た。案内された待避場では、既にマシンが待機しており、間近で眺める者も後を絶たなかった。

 マシンでは、メカニックが助手席側に何かセッティングをしているようだ。尚、谷田部でのテスト以降、カラーリングに変更があり、ドーサルフィンが赤に塗られていた。


 この時、出雲のマシンを近くで見た関係者の一人は、数十年後にこう証言している。

『本当に、美しいマシンだった。しかも、明らかに全てに於いてムダがない。そうしたマシンに出会えるのって、数えるほどしかないんだ。その意味では貴重な体験だったね』


 やがて、セッティングが終わると、耕平は訪問した一団に告げた。

「折角ですから、誰か同乗なされますか?」

 すると、一団の中で勇気ある一人が名乗り出た。

「それでは御言葉に甘えるとしよう」

 メカニックに案内されるまま、助手席へ。そして、ドライバー席に乗り込んで来たのは、渦海。その姿を見て絶句し、内心では、

(こ、こんな年端もいかないのが運転するというのか!?その上少女ではないか。あの時の映像は見間違いかと思ったが、本当だったとは)


 渦海はニコリと笑い、意外にもフランス語で話しかける。実は、渦海は英語のみならず、フランス語も堪能であった。

「Bienvenue chez Izumo Taxi (イズモタクシーへようこそ)」


 だが、それはライド・インパクトの始まりに過ぎない……


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