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FIA来日

 谷田部で予想を遥かに上回る高性能を確認した数日後、水面下では地殻変動にも等しい動きがあった。


 FIAの関係者が、密かに来日したのである。この時代、世界のモータースポーツ統括団体の一つであるFIAが来日したとなれば間違いなく大騒ぎとなっていただろう。

 だが、それを見越して非公式で訪問したのである。理由は当然、日本の視察である。


 今年耐久レース開催が決定している舞台である富士スピードウェイは無論だが、それ以上に関心を寄せていたのが、実は出雲産業を訪れることにしていた。寧ろこちらの方が本命だった。

 その理由は、あの時耕平たちは知る由もなかったのだが、偶然にもFIAの関係者がいたのである。そして、その時の走りは当然映像に記録されており (谷田部には映像を記録するための部屋も当然ある)、それを見た関係者は、文字通り開いた口が塞がらなかった。

 まさか、日本の地で400㎞/h超えなど誰が予想したであろう。それどころか、レーシングマシンは漸く300㎞/hが標準となった時代である。

 それに、公式には記録されないが、SSDが圧倒的な速さでルマンを制した件もある。


 WMGPでは日本勢の強さは相変わらずだったのもあり、今や世界のモータースポーツに於いて、日本は台風の目だったのだ。


 しかし、ほんの数年前まで、日本は後進国扱いであり、いくら驚異的なスピードで復興を遂げたといっても、所詮は三等国でしかなかった。戦争での敗戦とは、斯くも国際社会に於いて、不利な立場に立たされるのだ。

 だが、皮肉を言えば、それ故に日本には腰を据えて技術開発に邁進する時間が与えられたと言えなくもない。黒船来航以降のおよそ100年、日本にとっては、実は初めて与えられた、自分だけの時間だった。

 もしも世界から警戒の目で見られていたら、軍需産業が引き続きリードする偏った産業体制が続くことになり、民需産業の発展が大いに阻害されたことは確実である。


 当時の欧米からすれば、日本は市場としての魅力もないに等しかった。だが、今は違う。日本から400㎞/hを超えるマシンが出現したとあっては、さすがに無視する訳にはいかない。

 FIAは政治的介入を嫌う反面、自動車業界による利害が錯綜する組織でもあり、同時に世界の自動車市場の動向に最も敏感な組織でもある。

 それ故、谷田部での一件から、日本の自動車産業が将来台頭することを予見し、危機感を抱いたとしては不思議はないだろう。何しろ二輪にしても、僅か三年で潮目が変わっているのだ。自動車でも再現されない保障などない。

 それが来日の最大の背景である。


 東京のとあるホテルに宿泊した一行は、会議室を借りて、改めて映像を検分していた。


「それにしても、信じられん……」

「オーバルコースなので、確認できるのはスピードだけですが、それでも驚異的な性能ですな」

「安定した様子からして、恐らくハンドリングもかなりのレベルなのは間違いないかと」

 その上、ドライブしているのは、明らかに少女である。オーバルコースを長時間走ることの意味を、彼らも分かっている以上、少女でもあれだけの走りが出来るとなれば、彼女たちの腕前も相当なものだが、それ以上にマシンの戦闘力が桁違いであることを証明していたと言えよう。

 それが生まれたのが、よりによって、欧州ではなく、アメリカでもなく、日本なのである。

「フェラーリにだって、これ程のマシンはいない」

「これは、今年の富士の戦績次第だが、来年のルマン参戦及び、WME参戦も認めない訳にはいかないだろう」


 それは、東京のとあるホテルに於ける、歴史的瞬間であった。


 だが、その理由は、日本の自動車産業を認めたからではない。機先を制して叩き潰してやろうという思惑が見え見えだった。そこが西洋社会の恐ろしいところだ。

 WMGPでの轍を踏む訳にはいかない。何しろ、ここで日本の自動車産業の台頭を許してしまった場合、それによる影響は二輪の比ではないのだ。

 自動車産業は、航空機産業とは比べ物にならないくらい裾野が広く、そして政商とならざるをえない、政治と無関係ではいられない産業なのである。


 1985年(昭和60年)、アメリカが日本に輸出面で大幅な譲歩を迫り、圧力を掛けたプラザ合意は、日本が屈したのではない、実はアメリカの焦りに他ならない。そのくらい自動車産業を脅かされるのは大変なことなのだ。

 恐らく当時のアメリカが、もしも日本との間で産業体制の付け替えを提案した場合、日本に航空機産業を譲渡したに違いないと、作者は推測している。


「それにしても、これだけのマシンを生み出したのは一体何処の自動車メーカーなのか、確認は取れているのか?」

 それに対し、偶然にもその場に居合わせた関係者は、言葉を濁した。

「まさか、分からないとでも言うんじゃないだろうな?」

「じ、実は、大変申上げにくいのですが、それを作り上げたのは、片田舎にある農機メーカーなのです」

 その事実に、会議室では素っ頓狂な声が上がり、外で客を案内していたボーイも何事かと狼狽した程だった。


 だが、彼らも冷静だった。

「そのメーカーの名は?そして、何処にあるというのだ!?」

「メーカーの名は、イズモ産業。そして、本社及び工場は、シマネにあります。しかし、問題なのは、そこへ行く手段が非常に限られていることでございまして。情報では宿泊などは申し分ないのですが」


 因みに当時、山陰へアクセス出来る交通手段は、非常に限られていた。自動車で行くにしても遠いし、鉄道にしても、直通は京都しかないし、乗り換え覚悟なら岡山、或いは広島からしかない。 

 東京-大社間に『いずも』という優等列車があるにはあったが、便数が少なく、出雲空港はまだ開港していない (開港は1966年)。

 因みに、現在でも出雲空港は国内線が主流であり、国際線は韓国、ベトナムしか直行便がない。このため、日本ブームの昨今でも、交通アクセスの制約から、訪れる外国人は非常に少ない。


「それでも構わん!!これ程のマシンを生み出したメーカーを訪ねない訳にはいくまい。今からでも切符を手配し、且つそこへ電話を入れるんだ!!」

「わ、分かりましたああ!!」

「あ、念のためだが、宿泊場所の確保も忘れないように」


 こうして、全く与り知らぬところで、事態は風雲急を告げるのであった…… 

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