驚愕のSSD その3
いよいよ、ステージは夜となり、レースは佳境に入る。
実は、史実と異なりスタート時刻が逆なので、夜のルマンは勝負の夜でもあり、それ故観客は目が離せない。
その間、レース観戦は渦海たちや技術者に任せ、耕平は舞台裏を視察していた。実は、耐久レースはスプリントレース以上に裏から支えるサポート体制が欠かせない。
「ほう、どのチームもコックまで雇ってるし、ACOでは公式のレストランまで用意してるとは本当のようだな。さすがはグルメ大国の自動車倶楽部だけはある」
尚、関係者以外足を踏み入れることは許されないため、どのような物が提供されているかは匂いから想像するしかないのだが、耕平もフランス料理に対する知識は多少はあるため、それ程豪華な物は用意してはおるまいとは確信があった。
「それでもリッツとか、あの辺が支援してるのは確実だろうな」
ルマン24時間はフランスにとって、自国のメンツも掛かっているだけに、その辺は当然であろう。国家行事クラスのスポーツイベントの場合、食事の提供も最高級ホテルが行うのが慣例である。
その意味で、2021東京五輪の場合、冷凍食品も多数提供されたが概ね好評であったのは、この時代になると、日本の食のレベルが大衆クラスでさえ世界の度肝を抜く水準にあることを知らしめたと言えるが、これはどちらかというと例外だろう。
また、娯楽設備もそれなりに用意されていたが、この世界ではあまり客は多くない。一応参考程度に覗いてみたが、これは必要ないなと思った。
「こうしたデータは、帰ったら自動車メーカーにも伝えておかねばなるまい」
仁八が日本の二輪メーカーに対して啓蒙活動を怠らなかったように、耕平もまた、こうしたデータは業界内で共有する必要があると考えていた。彼もまた、日本人の欠点をよく分かっている一人である。
何しろ富士での開催が今年末である以上、業界内で情報を共有しなければ、日本の未来にも関わるからだ。最悪、これから続く世代にまで被害が及びかねない。
尚、後に開催される富士での耐久レースは6時間なのだが、耕平は、洋平のあの自信ある態度からして、24時間レースを企図していると考えていた。
因みに、日本では今日でも国際格式で24時間レースは開催されていない。国内耐久であるスーパー耐久で富士スピードウェイを舞台にしているのが唯一の24時間レースである。
そもそも高温多湿の上、夏場でも寒暖の差が激しい日本の山間部での24時間耐久は、さすがにキツい。電子制御への依存度が高い昨今、海外勢の場合、マシンの炎上が大いに懸念される。
恐らく国内でもECUなどに何らかの特別な対策が施されている筈だ。
その意味で、結果論ではあるが、6時間レースとなったのは正解と言えるだろう。と言っても、富士周辺の条件を考えると、実質24時間レースと変わらない厳しい条件下でのレースとなるのだが。
翌日の朝4時にはゴールのためか、観客の多くが手に汗握って興奮気味の様子で見つめている。また、ピットもこれまでになく張りつめており、彼らもまた興奮状態であることが窺える。何しろ後半の12時間が、最も駆引きが要求されるのだから当然だろう。
ルマンには魔物が潜んでいるとは、その後参戦する日本の関係者の格言であるが、この世界のルマンはそんなものではなかった。夜が明けると、いつの間にか消えていることは珍しくないからだ。
尚、ルマン24時間では、主催者から観客に向けて、必ず飲食物持参の告知があるのだが、これは第一回大会で予想を超える興奮状態に陥る観客が続出し、救急対応に追われたためで、それは極度の興奮による栄養失調が原因であることが明らかとなったためである。
これと似たような事例として、江戸時代の大江戸歌舞伎がそうであった。
というのも、役者と観客の一体感がハンパなく、誰もが興奮状態に陥り、冬場でも場内は湯気が立ち込めていたという伝説もある程だ。
このため、途中食べないともたないので、飲食物持ち込みが当然とされていた。かといって、音を立てるものは当然御法度な訳で、栄養価も高く音を立てずに済む物として、巻き寿司が大いに好まれた。
現在、巻き寿司やいなり寿司に、しばしば歌舞伎関連の名が使われているのは、その名残である。
そう言えば、日本に於いて鍋料理が大いに洗練発達をみるのは江戸時代とされているのだが、恐らく大江戸歌舞伎と無関係ではないだろう。静かにいただけて、且つ栄養補給にも好都合なのは、巻き寿司と共通している。但し、シメの麺類は御法度だった筈だ。
明治に入り、オペラなどの西洋歌劇が日本でも上演されるようになると、飲食物持ち込み禁止となるものの、それを論ってそれまでの日本では飲食物持ち込みが当たり前だったことをしたり顔で批判する者がいるが、それは日本特有の事情を知らないか、或いは日本を意図的に貶めたい意志でもあるかのどちらかで、無教養振りを自慢する行為でしかない。
因みに、現在の歌舞伎役者からすれば、場内が一体となって興奮するような演技は、まさに至高の悦びであろうと思われる。
この世界のルマン24時間は、まさに大江戸歌舞伎と同じだったのだ。
やがて、夜が明け始める頃、徐々に勢力状態が明らかとなってきた。そして、驚くべき光景を目にすることになる。
何と、SSDのマシンが未だに1-2にいたのだ。トップはフェラーリなのは変わらずだが、この時スコアボードは驚愕すべき数値を示していた。
「おいおいマジかよ、350周超えてるじゃねえか!!」
因みにこの世界で350周を突破するのは、今から4年後である。理論上400周に迫ってもおかしくなかったが、ドライバーの疲労や、マシンの状態を考えると、24時間全開とはいかない。ましてや夜間はどうしてもタイムが下がる。それでも驚異的には違いなかった。
そして、朝4時を少し過ぎて、今年のルマンはゴールを迎えた。最後は二台並んでフィニッシュ。結局、SSDが最初から最後まで逃げ切りリードしたのであった。
フェラーリがゴールしたのは、それから1分後。尚、優勝したのはベルギーのオリヴィエ・ジャンドビアン/アメリカのフィル・ヒル組である。どちらもF1経験もあり、今年、フィル・ヒルはF1に於いてアメリカ人初のワールドチャンピオンにもなる。
これは余談だが、フィル・ヒルには別の意味で驚異的な記録が存在する。それは、引退までの20年以上に及ぶキャリアの中、ただの一度も負傷したことがない。無事これ名馬なりを地で行くレーサーでもあった。
今年、完走したのは2割程度というサバイバルレースとなったのだが、これは、SSDのハイペースに焦ったのも原因と推測される。
降り立った福沢及び漆原は、浮谷、生沢と円陣を組んで喜びを分かち合う。ワイルドカードなので、記録には残っても結果としては記録されないし、表彰台に上がる資格もない。
だが、それでもフェラーリさえも圧倒したことは、紛れもない事実として関係者及び観客の記憶に焼き付いた。
日本からの初参戦にしてこの結果は、インパクトとしては十分過ぎた。
その様子を見ていた洋平は、
「これで、開催は決定だな」
にしても、彼ですら戸惑いを隠せないようだった。そりゃそうだろう、日本から参戦したマシンが、ルマンに於いて世界を相手に終始リードしてみせたのだから。
同時に、この時の走行データは、間違いなく日本の自動車産業にとって貴重な財産となる筈だ。
一方、今年表彰台を独占したフェラーリは、何故か心から勝利を喜べなかった。特に、監督らしき人物は、未だSSDのピットを睨み続けている。不快だ、というより、何だよアレは、という顔である。
だが、フェラーリはともかく、他のチームから抗議が殺到し、SSDによるルマン参戦は、これが最初で最後なり、お蔵入りとなってしまった。
日本の戦後の立場もあろうが、やはりシングルシーター且つリバーストライクだったのが邪道だというのが最大の理由であった、
しかし、それは想定内であり、アピールそのものは予想を遥かに超えた大成功と言ってよかった。
その成果を誇るかのように、ルマンを出禁になったマシンとして、現在はSSDミュージアムに展示されている。
「はああ~、観ていて疲れた~」
「だよねえ、ていうかお腹すいてしょうがないわあ」
二人は何と、食事さえも忘れて無我夢中で見ていたのだった。
こうして、一行のルマン観戦は、予想を超えた、山盛りのデータを手土産として終わりを迎える……




