マン島TT その2
翌日、マン島TTが本格的に始まる。
今年から、マン島は男女別且つ、大まかに二つのカテゴリーに分かれている。それは、クラブマン選手権から正式に国際格式へと昇格した、市販車ベースで争う、スーパーバイク選手権、そして、1949年から開催されている、純粋なレース用マシンで争うWMGPである。
市販車ベースは敷居が低いのもあってか、エントリーも多く、そして、GPレースとは別の意味で白熱していた。実は、市販車ベースだとマシンによる格差が発生しにくいのだ。
なので、純粋にチームワークとライダーの勝負になる。だが、それは一方で、レースの危険性が増すという二面性にも繋がっているのだが。
クラスはGPと同じくサイドカーとグループAからXまでクラス分けされ、且つスーパーバイクにはワークスの参加が許されていない。全てプライベーターのみだ。
しかも隠れワークスも当然許される筈もなく、メーカーはマシンの販売以外は関われず、勿論人材の派遣、更にメーカーによるカスタムパーツの販売も、スペアパーツを除いて厳禁。パーツもFIMによって厳しい審査が行われており、イコールコンディションの維持は徹底されていた。
なので、日本勢の圧倒的優位とはいかない。だが、例外は当然ある。
案の定というか、耕平は半ば予想していたが、ミドルクラスのグループE及びヘビークラスのグループS及びXで、日本勢は圧倒的な速さを見せていた。
それぞれ、メグロ、そしてSSDであった。
現在一行が見ていたのは女子選手権の様子である。取り分け唖然とさせられたのが、グループSであった。
「な、何なの!?あの速さ」
渦海たちも二輪レースは何度か目にしてはいるが、国際格式のレースはこれが初めてである。だが、そのインパクトは強烈であった。
グループSに於いて主導権を握っていたのは、フランス・SSD。フランスのカスタムメーカー、ゴルディーヌがチューンしたSSDが、圧倒的な速さを見せていたのだ。
フレンチ・ブルーに赤と白のアクセントラインも鮮やかなそのカラーリングは、現在もWMGPで絶好調であるワークスSSDを逆にしたかのようだ。
ホームストレートを走り抜ける様子は、まさに青いディアブルである。尚、ディアブルとは、フランス語で悪魔の意味だ。
ライダーも、悪魔に取り憑かれているしか言いようのないスピードであるが、当人に恐がっている様子は全く感じられない。寧ろ、マシンに全てを委ねているかのようだ。
ピットに戻り、ヘルメットを脱ぐと、そこには見覚えのある顔。
「も、もしかして、マリアンヌ・サロン!?」
風也が指摘するように、その正体はマリアンヌ・サロンであった。前年を以てビュガティから引退、その原因は、三年前の大惨事の後遺症と噂されていたが、真相は契約終了で、シートを失っていたところへSSDから誘いを掛けられ、舞台をスーパーバイク選手権に移したのである。
時折見せる一発の速さと、かのコゼット・ジェヌーを彷彿とさせる流れるような走りから、一定のファンを獲得していた。
そして、スーパーバイクに活躍の場を移して以降、何とここまで6連勝。まさに絶好調であった。
「それにしても、スーパーバイクでも相変わらずだなあ」
耕平は、その様子を見ていて思う。無論、そのマシンが、前年に発表され、MVアグスタがメインを務めるサテライトチームに供給されていたのを市販したバージョンであることも分かっていた。
なので、戦闘力については推測はついていたとはいえ、市販車ベースのレースの厳しさを知っているだけに、その圧倒的な強さには戦慄していた。
しかも、その生みの親は親友である。
因みにスーパーバイク選手権に出場するにあたっては、クラスによって生産台数が異なっており、ヘビークラスのS及びXだと、年間生産台数300台以上がホモロゲーションの条件となる。尚、このマシンは、国内でも限られた者だけに密かに市販されており、カタログにも掲載されていない。
国内価格は何と、250万円であった。これは、後に登場する伝説の名車、トヨタ2000GTの238万円すら上回る。国内に出回った台数については未だ推測の域を出ないのだが、一説には20台以上は有り得ないという。
それでも後の証言によると、あっという間に完売したとか。
当然のことながら、日本版スーパーバイク選手権である、全日本クラブマン選手権でも圧倒的であった。
「これは、我々も負けてはいられないなあ」
そう独白し、決意を新たにする耕平であった。それに、モチベーションも上がるというもの。人生、ライバルはいた方が良い。
無論、決勝でもマリアンヌは圧倒的な速さで勝利しており、その際最高速度は何と、341.49㎞/hをマークしている。そして、今年のスーパーバイク選手権に於いて、マリアンヌのタイトル獲得は、ほぼ確実と言えよう。手が付けられないとは、まさにこのことだろう。
それにしても、市販車ベースでさえコレである。日本勢の参戦から、二輪レースの性能競争のエスカレート振りに拍車が掛かっていたと言えよう。
勿論二人が血が騒ぐとばかりの興奮状態で観ていたのは、言うまでもない。
だが、興奮がこれだけで済む筈もなく、まだ、WMGPが控えているのだ……




