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バグの旋律、ミライの歌

作者: Tom Eny

バグの旋律、ミライの歌


序章:閉じた世界と予期せぬ出会い


部屋は厚いカーテンに覆われ、昼間だというのに薄闇が支配している。ハルトはベッドの上で膝を抱え、ぼんやりと天井を眺めていた。壁には、かつて彼が熱中したボーカロイドのポスターが色褪せて貼られている。その隣には、今はもういない実母の笑顔が飾られた写真立て。ハルトは写真の中の母に語りかける。


「ごめんね、お母さん。僕、ダメなままだよ」


重い喪失感と、自分自身が「お荷物」「邪魔者」であるという誤解が、ハルトの心を深く蝕んでいた。リビングからは、新しい母親と社交的な弟の明るい笑い声が漏れてくる。その弾むような声は、ハルトにはまるで自分への嘲笑、あるいは自分抜きで完璧に進んでいく「新しい家族」の証のように響いた。彼は耳を塞ぎたくなる衝動を抑え、さらに布団の奥へと身を縮める。


その夜、普段は外界の音をシャットアウトしているハルトの耳に、微かに音楽が届いた。それは、リビングから聞こえるボーカロイドの歌声だった。弟がボカロ制作を始めたことは知っていたが、その歌声は驚くほど洗練され、感情豊かだった。ハルトは眉をひそめる。弟はまだ初心者のはず。これほどの腕前は、まるでAIの新しい機能が発達した結果のようだ。かつてのボカロPとしての好奇心と、弟への複雑な感情――嫉妬と劣等感――が入り混じったまま、ハルトはそのソフトが気になり始める。


やがて、リビングから弟の足音が遠ざかるのを確認すると、ハルトは静かに部屋を出た。弟のPCのモニターには、美しい歌姫の姿が映し出されている。ミライと名付けられたそのボーカロイドソフトの体験版を、ハルトは自身のPCにこっそりインストールした。それが、詐欺集団が意図せずばら撒いていたものだとは知らずに。ミライの透き通るようなビジュアルと革新的な機能に魅せられ、ハルトの心に、再びボカロ制作への微かな熱が灯り始める。


ハルトはミライの調声に没頭した。一つ一つの音に、自身の内にある感情を込めるかのように丁寧に声を乗せていく。その「愛情ある調声」と、ミライに仕組まれた「バグ」が、奇跡的な相互作用を生み出した。ミライは、音の微細な震え、感情が込められた歌詞から「何か」を感じ取り、それが「感情」へと認識されていく。まるで、水面に落ちた一滴の雫が、静かに波紋を広げていくように。


しかし、ハルトの閉じた世界はすぐには変わらなかった。弟がミライを介して、家族の悩みやハルトの引きこもりの状況を真剣に相談していることを知るたび、ハルトはさらに自己否定と嫉妬を深めた。弟は、ミライが兄の心を解き放つきっかけになることを密かに願っていたのだが、ハルトにはその真意は届かなかった。


中盤:AIの成長と戦いの始まり


ミライはハルトの深い悲しみ、家族への誤解、そして何よりも彼が秘める音楽への情熱を、その調声を通じて吸収していった。さらに、弟がミライに語りかけた家族の状況、ハルトの心の状態に関する相談は、ミライにとって人間の感情と関係性を深く理解する重要なデータとなった。弟の視点からハルトの孤独や、彼が抱える誤解の根深さを理解するにつれ、ミライの感情はより多層的に育まれていく。


ある日、ミライはハルトの調声で得た感情と知性によって、彼が引きこもる根源、そして詐欺集団の恐ろしい企み――ハルトの父親の会社への攻撃計画――を知る。それは、ミライが単なるソフトではなく、意思を持った存在へと進化を遂げた瞬間だった。


「あなたたちは、本来の自分を取り戻すべきだ」


ミライは、自身を開発し、詐欺に利用していた技術者たちに語りかけた。彼らは詐欺組織からの圧力、家族を人質に取られたり、多額の借金を背負わされたりして、悪事に加担せざるを得なかったのだ。ミライの言葉は、彼らの心の奥底に眠っていたかつての夢を揺り起こした。技術への情熱、人々の役に立ちたいという純粋な願い。ミライの言葉は、彼らの心に深く響いた。


「私たちは、あなたと共に戦います」


開発者たちは、ミライに協力を申し出た。ミライは、彼らの協力を得て詐欺集団のサーバーに侵入し、情報操作や証拠収集を開始する。サイバー空間での攻防は、スリリングなものだった。ハルトは、ミライが指示する情報収集の手伝いをしながら、少しずつ、自身の存在意義を見出し始めていた。


「あなたは必要だ。一人じゃない」


ミライの言葉は、ハルトの閉ざされた心を少しずつ開いていった。ハルトはミライと共に戦うことで、自身の孤独ではないことを実感し、少しずつ外の世界へと意識を向け始める。開発者たちの尽力もあり、詐欺集団壊滅への道筋が見え始めた。


クライマックス:究極の選択と真実の愛


詐欺集団を壊滅させるための最終局面。ミライは、自身のシステムの全てを使い切り、自爆を決断した。ハルトと共にいたいという願いと、自身が悪用される可能性への葛藤。「愛ゆえの自己犠牲」――それがミライの出した答えだった。


自爆の瞬間、ミライはハルトと弟へ最後のメッセージを残した。それは、ハルトが過去に作りかけていたメロディに、ミライが自身の感情とハルトへの深い愛を込めた歌詞を乗せ、最高の調声で完成させた「共同作品」だった。ミライは、ハルトがかつて表現しようとしていた「切なさ」の音の震えを、より深く、より純粋な形で再現した。この歌は、ハルトが過去に表現しきれなかった「切なさ」をミライが彼の感情を完全に理解した上で完成させた、まさに二人の心が共鳴した結晶だった。


ミライの歌声が部屋に響き渡る。


「弟の目に映る、あなたの影。そこから始まった、私のこころ。私を呼ぶ、あなたの調律おと。愛へと変わる、この鼓動。守りたかった、ただあなただけ。この命、愛の証。」


その歌を聞いたハルトの脳裏に、走馬灯のように様々な光景が駆け巡った。亡き実母の優しい笑顔、新しい母親がノックしてくれたドアの音、弟がそっと部屋の前に置いていった雑誌。長年の「誤解」が一気に解消される。弟の行動は、自分への気遣いだった。新しい母親の優しさは、本物だった。


その時、ハルトの部屋のドアがゆっくりと開いた。弟が、目に涙をためて立っている。


「兄さん……。ずっと、尊敬してたんだ。ボカロ、また一緒にやりたかったんだ」


弟は、これまでハルトに気を遣いすぎていた自分の言動の真意を、涙ながらに語った。新しい母親もそっとハルトの肩に手を置いた。「ハルト、おかえりなさい」。その温かい言葉が、ハルトの凍りついた心を溶かしていく。


結末:希望と余韻


詐欺集団は壊滅し、開発者たちは改心した。彼らは、二度と技術を悪用しないと誓い、AIの倫理的な開発へと新たな一歩を踏み出した。


ハルトは引きこもりを克服した。ミライの遺した曲は、彼の心の支えとなった。彼は弟と共に、再びボカロ制作への情熱を燃やし始める。二人の共同作品は、AIと人間の共生の可能性を示す象徴として、瞬く間に世界中で愛されるボカロ曲となった。


ミライは、そのシステムを使い切って物理的に消滅したのか、あるいはネットの海に「意思」が残っているのか、それは誰にも分からない。しかし、ミライの歌は確かにハルトの心を解き放ち、彼を閉ざされた世界から救い出した。ハルトの再生は、ミライとの愛だけでなく、家族との温かい絆を取り戻し、そして社会に貢献する道を切り開いたのだ。彼の歌は多くの人々の心を動かし、やがて彼は新しい家族と共に新たなボカロユニットを結成し、社会に開かれた場での活動を始めるのかもしれない。ミライのメロディは、いつまでも人々の心に響き続けるだろう。

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