顔
カウンター席しかないバーでオカルトが好きな常連客の3人がエリア51の真偽について話をしていたが、議論が尽きたのか、みな次第に口数が少なくなってきた。
常連客の一人、40代くらいで身なりの良いスーツ姿、皆から”先生”と呼ばれる男が、バーの女性マスターを見ると、真剣な顔つきでカウンター内に置かれている小型のテレビを見ている。
どうやらニュースを見ているようだ。
客との会話に困らないように時事には詳しくなくてはならない、それが、マスターの接客業への哲学だと前に聞いたことがある。
傍から見ると仕事中にテレビを見るのはどうかと思われるかもしれないが、店にいるのはいつもの常連三人ならば何の問題もないだろう。
今日はもう一人見慣れない客もいる。茶髪でがっちりとした体格をしたその客は、カウンターの隅で一人でスマホを見ながら淡々とハイボールを飲んでいる。マスターが何をしているかなどまるで気にはしていないだろう。
常連の中で1番若い、皆から”坊ちゃん”と呼ばれる男が、どんなニュースをやっているのかとマスターに聞くと、マスターは小型テレビをこちら側に向けてカウンターの上に置いた。
音が出ていないテレビの画面には、強盗殺人の容疑で逮捕された男が、太々しい態度で警察車両に乗せられるシーンが映し出される。
男の顔がアップになると、その顔はニヤついているように見える。
テロップで、逮捕された容疑者の男は容疑を否認している、と出たところでニュースは終わった。
それを見た坊ちゃんは、こいつは絶対にやっている、間違いないと断言した。
決めつけは良くないと先生は坊ちゃんを嗜める。
すると一人でハイボールを飲んでいた茶髪の男が突然「そうだ、そいつはやっている。しかも一人や二人ではない」と言った。
それを聞いた先生は反論した。
「この事件は、たしか被害者は1人だったはずですが」
先生はカバンに入れていた朝の新聞を取り出して広げた。すると、やはりそこには被害者は女性一人と書かれている。
マスターもうんうんとカウンターの中で頷いている。
すると、茶葉の男はフンっと鼻で笑うと、こちらに視線だけを向けて答えた。
「今回はね」
「今回...?今回とはどういう意味ですか」
だが、茶髪の男はその問いには答えずに「そろそろ行かないと」と、立ち上がった。
「ママ、ここはいい店だね、また来るよ」と言い、ポケットからお札を取り出しテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます。ぜひまたお立ち寄りください。ただ次からは私のことは"ママ”とは呼ばないでくださいね」
お札を受け取り、おつりを数えながらマスターは茶髪の男に笑顔でやんわりと言った。
茶髪の男がマスターの言葉に困惑していると、常連客の一人、派手な青色の服を着けた年齢不詳で皆から”ミセス”と呼ばれる女が、茶髪の男に助け舟を出す。
「みんなは"マスター"って呼んでるのよ。次からは気をつけてね」
茶髪の男はすぐに意味を理解したのか、頷いた。
「そうか、悪かった。じゃあマスター、また来るよ」
お釣りを受け取ると、茶髪の男は店を出て行った。
「今回はってどういう意味だったのかな」
ミセスが皆に尋ねるように言うが、その場にいる誰にもその意味はわからない。
マスターが、もしかしたらこの犯人の男と知り合いなのかもと言うが、流石にそれはないだろうという皆の反応だった。殺人犯のニュースを見ていたら、その関係者がそばに居るなんて偶然はさすがにありえようもない。それに当人はもう出て行ってしまったので、それを今更確認することもできなかった。
茶髪の男は、とんだ置き土産を残していったもんだと、その場に残された四人は苦笑した。ただ話題が尽きていた場に新しい話題が出来たのは確かだった。
後日、警察の捜査の結果、容疑者の男には余罪が多数あることが分かってきた。
そして、今回の殺人以外にもあと数人は殺していることが分かった。
意外な展開に世間はこの事件の話題で持ち切りだった。
テレビのニュースや新聞は連日この事件を報じていたし、ネットでも盛んにこの話題が取り上げられていた。
その日はバーには、常連客は先生以外にはまだ誰も来ていなかった。
別に待ち合わせをしているわけではないので、そのような日もある。だが大抵は帰りにこの店に寄るので、二人もいずれ来るだろう。
先生はマスターと2人でアメリカの大統領選挙の話をしている。マスターは若い女性の大統領候補に勝ってほしいと熱弁していた。その時、店の入り口のドアが開く音がする。常連のどちらかが来たのかと先生は振り向くと、そこにはこの前の茶髪の若い男が立っていた。
店に入ってきた茶髪の男は、先生の方を見て軽く会釈をした後、前と同じ席に座る。
マスターが「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えると、茶髪の男も微笑みで応じた。
茶髪の男は、ハイボールを注文すると、ズボンのポケットからすぐにスマホを取り出し画面を触り操作を始めた。
それを見た先生は少し躊躇しながらも、遠慮がちに話しかけた。
「少しお話してもよろしいですか」
茶髪の男は、それが最初自分に向けて発せられた言葉だと分からなかったみたいだったが、少しの間のあとに先生の方に顔を向けると目が合ったため、自分に発せられた言葉であることを理解したみたいだった。
「ああ、大丈夫」
茶髪の男はそうぶっきらぼうに答えると、操作していたスマホを机の上に置いた。
先生は、どう大丈夫なのか分からなかったが、スマホを机に置いたのを見て話していいのだと理解した。
「この前にここに来られた際の事を覚えていますか」
「ああ」
「あなたは、強盗殺人で逮捕されたあの男が複数の人を殺しているような事を言っていましたよね。あの時はまだ一人への殺人容疑での逮捕でしたが、その後あなたが言われた通り複数の人を殺している事が判明しました」
先生はそこで一旦話すのを止めた。
そして、それまでは淡々とした様子で話していたが、そこからは少し声色を変えてあえて強い口調で茶髪の男に言った。
「なぜです。なぜあの犯人が複数の人を殺したシリアルキラーであることがあの時点であなたにわかったのですか」
茶髪の男は、目の前に今マスターが置いたばかりのハイボールが入ったグラスを手に取ると、それをゆっくりと飲んだ。それはまるで、味ではなく胃から全身にアルコールがじっくりと染みわたっていく感覚を味わっているようだった。
先生は続けて、今度は少しだけ低い声で聞いた。
「もしかして犯人の背後に多数の殺された人の霊が見えたとかではないですか」
それを聞いた茶髪の男は、急にゲラゲラと下卑た笑い声をあげはじめた。それは人を馬鹿にしたような笑い方で不快な感じを受けたが、先生は敢えてそれを無視した。
やがて次の言葉を待っている先生の様子に気付いたのか茶髪の男は笑うのをやめた。
「悪い、突然変なことを言うから可笑しくて。でも違う、そんなんじゃない。まぁ、でも変な話には違わないが」
要領の得ない返答に困惑する先生の様子に、茶髪の男は今後は苦笑した。
「悪いね、説明が下手で。あんたが言うようなものは見えないけど、他のものは見える」
「他のものとは」
先生が即座に聞き返す。
「顔だよ。そいつの顔を見れば人を殺しているかわかるんだよ」
先生はマスターと顔を見合わせた。顔を見ればわかるとはどういうことだろう。マスターも意味がわからないのか困ったような表情を浮かべている。この茶髪の男の言うことはわからないことが多すぎる。根気強く一つまた一つと聞き出していくしかない。
「顔でどうして殺しているかわかるのですか」
「人を殺した人間の顔は普通の人とは違って見える。多くの人を殺したヤツの顔なんかは、もはや人間の顔とは思えないような酷い顔をしてるよ」
茶髪の男は淡々と語る。
「それはあなたにはそう見えるということですか」
「そうだ」
先生はオカルトが好きなのが乗じて様々なそういった話を今まで聞いてきたが、こんな話は初めて聞いた。ますます興味が湧いてきた先生はさらに質問を続ける。
「具体的にはどんな顔に見えるのですか」
「説明しづらいが、顔が歪んだ感じに見える。例えばこう、なんて言ったらいいんだ、顔の中心が盛り上がって両側に引っ張られたような感じ」
たしかにそのような顔に見えるのならば普通の人とは違うことには気づくかもしれない。だが、なぜそのように見えるのか、そしてこの茶髪の男はそのように見える人間が人殺しであることがわかったのか。疑問は尽きない。
「どうしてあなたにはそう見えるのですか」
「そんなこと俺にわかるわけないだろう。小さいころに気づいたときには、もうそう見えてたから生まれつきだろ」
茶髪の男は少しウンザリした顔をしはじめた。質問攻めに徐々に嫌気がさしてきているのがありありと分かる。先生はこれが最後の質問と前置きし茶髪の男に尋ねた。
「その歪んだ顔に見える人間が人殺しであるということを初めて理解したときがあったと思うのですが、それはどういったきっかけですか」
今まで質問にはすぐに返答していた茶髪の男だが、この質問に対してはすぐに答えようとしなかった。
いつの間にか空になっていたグラスを口に向けて傾け、わずかに残っていたハイボールと氷を口の中に流し入れる。
マスターがお替わりはと尋ねるが首を振って断った。
先生はじっと茶髪の男の返答を待っている。
やがて茶髪の男は先生の方を見るとニッと不敵な笑いを向けた。
「いいよ、教えてやるよ。俺自身の顔がその歪んだ顔になったからだよ」
歪んだ顔になったということは、自分の顔が歪んだ顔に見えるということだろうか。ならば茶髪の男は人を殺したことがあるということになる。この茶髪の男はいったい誰を殺したというのだろう。
「俺の親父はクソみたいな奴でよ。気に入らないことがあると殴る蹴るは当たり前、ひどい時にはほんとうに殺されるんじゃないかと思って、おふくろと妹と3人でずっと怯えて生きていたよ。俺が中2のときにまた親父の暴力が始まった。だがその日はいつまで経っても暴力は終わらなかった。隣でおふくろと妹が腫れた顔から血を流してグッタリしていて、遂に今日俺たちは親父に殺されるんだと思ったよ。そのときに俺は突然思いついちゃったんだよ。殺されるくらいなら先にこっちが殺してしまえばいいんじゃないかって。そう思ったらあとは簡単だった。台所にあった包丁を持ってきて、それで親父を滅多刺しよ」
あまりに衝撃的な話に先生もマスターも絶句してしまう。だが饒舌になった茶髪の男は話を続けた。
「返り血をベッタリと浴びた俺は洗面台に行ってその血を洗い流した。そしてすべての返り血を洗い流したあとに洗面台の鏡で見た俺の顔は歪んで見えた。そのときになぜ顔が歪んで見えるやつがいるのかの理由を俺は知ったというわけだ」
マスターは驚きのあまり茶髪の男を見たまま口元に手を当てて身動き一つしない。
先生もあまりの話には驚きを隠せずに、額には冷や汗か浮かび、全身には鳥肌が立っていた。それでも辛うじて茶髪の男に聞いた。
「それは......本当の話なのですか」
茶髪の男は能面のような表情をしてしばらく黙っていたが、急に立ち上がると突然ゲラゲラと笑い始めた。
「冗談に決まっているだろ、こんな話。なにを本気にしてるの」
そう言ってカウンターにお札を置くと、マスターに向かって「ごちそうさま」と言った。そして会計を済ませると茶髪の男は店を出ようとした。だが、店のドアを開けた瞬間にこちらを振り返って再び言った。
「冗談だよ」
だが、そう言った茶髪の男の顔は、先生には酷く歪んだ顔のように見えた気がした。