5.演奏旅行家①
沈み行く夕日にチェロの音を届ける。
演奏旅行家と言われている男は、いつもの日課を始める前にひとつ息を吐いた。
これからそれを使って奏でるのは弔いのための音だ。長く、深く、心に根を張る癒えない悲しみの音だ。
彼は自分と言う存在が今この世界で孤独であると知っていた。自身の生みの親はその本懐を遂げたものの永遠に続く牢獄に自ら囚われ、兄姉たちはすでに一つを除いて壊れるか狂いはてた。
そして自分は役目を果たせず最後まで醜く動き続けている不良品なのだと、誰に言われるでもなく自覚している。
だから自分が椅子に腰を掛けるとき、周りに誰がいるかなど気にしたことはない。優美な伴奏や拍手を送る観客がいたとしても、彼ではなくそれに与えられるものなのだから。
――それが弓に力を籠めると、深く静かな音が流れ始める。
音楽は一時の昂揚と慰めを彼に与えてくれるが、悲しみと疲労はそれが弦から弓を離せばすぐにやってくる。いつも傍で待ち構えている罰の様に。
それでも彼は夕日に向けて落ちついたメロディーを捧げる。
もはや誰のためのものかも分からない音楽を捧げる。
「……上手くいくと良いのですが」
演奏旅行家はそれが一曲引き終わると、それの腕を外して白いテーブルクロスの上に置き、机の上にある古びたカンテラを見つめた。
長年探し求め続け最近ようやく手にした魂をその中に捕らえられると言うアーティファクトは、演奏旅行家の言葉に答えることなくただ鈍い光を放っただけだった。
「ええ、それはもう大変なことになっておりますよ。ヴェンデランドの天才魔術師が、リファル王国とバーチバール国の鼻を明かしてやったという噂をこの辺りで知らない者はおりません。ヘラマン大祭司も、奇蹟の如き瞬間を見られて感動した、と大層お喜びでした」
「お喜び頂けたのならこの上なく光栄なことでございます。また、大祭司様には感謝しかございません。かの二国が交わした条約を履行したのは大祭司様のご威光あってのことですから」
「それは、勿論。ヘラマン大祭司は今回の件で並々ならぬ労力を費やされましたからな。そして我々ラクレグム教国がリファル王国とバーチバール国のヴェンデランドへの進駐に非難を唱えたことも、当然お忘れではありますまい?」
うぐっ!和やかな空気だったのに唐突にこちらの痛いところ突きやがって。
第一、ヘラマン大祭司を呼んだのはリファル王国だろうが。感謝してないわけじゃないけど、勿論、なんてちょっと図々しいんじゃないか?
俺はラクレグム教国からやって来た特使と会話を交えながら心の中で毒づいていた。
それにしても二国との決闘から二週間が経ったがリュッセリンナさんの噂はかなり広まっているらしいな。ラクレグム教国からの特使だけでなく、ヴェンデランドを訪れた商人や旅人の口からリュッセリンナさんの名前が出てくることもある。
ただまぁ、ちょっとやり過ぎてしまったことは否めない。リファル王国もバーチバール国もあれ以降かなり殺気立っている。いくらリュッセリンナさんが怪物と言っても大国一つを相手どることは出来ないし、怪物がいるってだけで当然警戒は強くなる。
だから簡単にヴェンデランドに手出しできないようにもっと人材を集めないと。
「では本題に入りましょうか。すでにヘラマン大祭司から聞いていると思いますが、"演奏旅行家"をこのヴェンデランドに滞在させてほしいのです」
「高名な音楽家が見るような名所も、受け入れられるような宿場も、安全を保証出来る兵士もこの領地にはないと思うのですが……なぜ、かの音楽家はこの領地に目を向けて下さったのでしょうか?」
「申し訳ありませんが、我々にも分からないのです。ただ、ヴェンデランドでしばらく静養したいとだけ申されましたので」
……正直面倒くさそうなことになる予感しかないけど、断ることは出来ないだろうなぁ。
ラクレグム教国はヴェンデランドに接する四大国の中でまだ比較的穏健派の国で、一番友好を保っておきたい相手でもあるし借りもある。
「分かりました。ところで、"演奏旅行家"がヴェンデランドに滞在されている間の警護などはどうされるのですか?」
「こちらから警護や身の回りの世話などを行う人員を七名派遣します。"演奏旅行家"の静養中にあなた方に求めるのは、周辺警備の人員を増やすことと"演奏旅行家"が求めた時にその相手することだけです。聖十位騎士ルードヴェッタ卿が総責任者になる予定ですので、滞在中に何かあれば彼を尋ねて下さい」
「……もし、"演奏旅行家"に何かあった場合の責任は……」
「当然、領地の安全を管理する領主の責任になります。ですが誤解しないで頂きたい。我々にとって"演奏旅行家"は唯一無二の存在なのです。彼を策略の駒にするつもりはございません」
「……畏まりました」
唯一無二?なーんか引っ掛かる言い方だなぁ。
"演奏旅行家"は確かに大陸で五指に入る音楽家だけど、プライドの高い大国が唯一無二なんて言い方をするのはなんか気味が悪い。音楽家ではないけど他の有名が芸術家も、この大陸一番の腕を持つと言われている彫刻家もラクレグム教国にはいるのに。
なんか、やっぱり気が進まないな。
なんて思っても拒否権はないわけで。結局話はそのまま纏まってしまった。
「何このガラクタの山……?」
館の一階の隅に積み上げられた古びた防具や錆びた武器の山を見つけて、俺は思わずそう言葉にした。かなり声量を抑えたつもりだったのだけど、俺の言葉に回答した声は少し遠くの、館の外から聞こえて来た。
「あの魔術師の嬢ちゃんが最近ダンジョンに入り浸ってんだよ!これはその戦果ってやつだ」
「ラゲルダさんもそれに付き合ってたんですか?」
「見回りをしていたところに押し付けられたんだ。うちには鍛冶師や甲冑師なんていねぇから解体も出来ないし、大体こんな防具や武器を解体してもボロの素材しか取れないし、どうしたもんかね」
館の入口が勢いよく開くと、そこから髭面の大男が入って来た。普段は村の近くにある詰め所にいる事が多い衛兵長のラゲルダ・ダグさんだ。衛兵長ならゼッツエル様の館の近くにいて欲しいもんだけど、何度言っても聞き入れてくれないから最近ではそれを切り出したこともない。
「この程度の質の武具じゃあ売り物にならないどころか引き取ってもくれませんからね。リュッセリンナさんには悪いですが、あとでこっそりダンジョン内に持っていきましょう。そしたらいつの間にか消えてますから」
どういう仕組みか分からないけど、そのダンジョンで獲得した物は、そのダンジョン内に放置するといつの間にか消えている。不要な物をいくらでも入れられるゴミ箱として使えたら最高なんだけど、残念ながらそこまではダンジョンも引き取ってくれないようだ。
「それしかねぇか。にしても嬢ちゃんは何であんな低レベルダンジョンをくまなく探索してんのかねぇ?もうとっくに調べ尽くしてんのに」
「彼女にしか分からない何かがあるのかもしれませんね。ほら、あのダンジョンには神が造った五つの人形と共に御神体が封印されてるって昔話があるじゃないですか」
「ああ……ヴェンデランド土着のリドール真教ってやつのか。でも眉唾だろ?」
「そうですけど、三百年前にもあのダンジョンがあったことは一番古い文献にも残ってますからね。そして古い物に曰くは付き物ですから」
「そう言うもんかねぇ」
大して興味なさそうに自らの顎を撫でたのは、ラゲルダさんの性格もあるけどヴェンデランド出身じゃないからだろう。俺もそうだ。
生贄を捧げなければいけないとか面倒くさい儀式をしなければならないだとかそんなことはないけど、一年に一度だけ行われる祭りにいまいち身が入らないのはあまり興味を持てないからだ。
館の書庫に眠ってある歴代の領主たちが残してきた大量の文献を読み漁れば、何か凄い事実や由来が出てくる可能性もあるけど生憎そんな時間はない。
「あ、そうだラゲルダさん。警備に関して相談したいことがあるんで十七時に会議室に来てもらっていいですか?」
「あ?今じゃ駄目なのか?」
「リュッセリンナさんやノナ、リアラさん……はまだ領地に帰って来てないんですよね。どこをほっつき歩いてるのやら。とにかく役職のある人、全員に伝えて意見を聞きたいことがあるんです」
「ほぉ?またなんかめんどくせぇ事態になってんだな?了解。それまで薪でも割って来るわ」
まさにいま警備って言葉が出て来たのに、薪を割って時間を潰すなんて言えるのはある意味流石としか言いようがない。
腕は立つし肝心なことは守ってくれるんだけど、気ままな人なんだよなぁ。才能ある人間ってのはそう言う人種が多いんだけどさ。
十日後に"演奏旅行家"が領地に静養しに来ることを伝え終わると、魔術師長リュッセリンナさん、密偵頭ノナ、衛兵長ラゲルダさんはそれぞれ違う反応を見せた。
「"演奏旅行家"の名前は私でも聞いたことがあります。そんな凄い大物が来るなんて緊張しますね。も、もしかしたら一曲くらい聞けたりするかも……!」
「面倒くさ。断って?」
「ラクレグム教国の奴らに我が物顔で領土内を歩かれんのは癪だな。それに数字付き聖騎士も来るんだろ?警備に関してこっちの指示なんて聞いてくれんだろうし、逆に指示されるかもってって思うと更に苛立つぜ」
ノナの淡泊さと比べるとリュッセリンナさんのささやかな願いが可愛らしく聞こえる。一番化け物なのに、一番視点が一般人寄りなんだよな。とは言えノナの言葉に激しく共感してしまうのも確かだ。断れるなら断りたいんだよ、マジで。
そしてこの二人が個人的な気持ちを述べているのに対し、ラゲルダさんは自分の気持ちを吐露しつつも重要な点に言及した。
聖騎士。この称号を持つ者はラクレグム教国の中でも非常に少ない。特に今回来るのはたった十二人しかいないと言われる数字付きだ。
それだけラクレグム教国が"演奏旅行家"の安全に気を遣っていると言うことだろう。
もし、万が一があれば……間違いなく厄介事の火種になる。
ああ、本当に憂鬱だ。
「リュッセリンナさんを"演奏旅行家"の護衛として側につけさせてもらえたら安心なんだけど、多分断られるだろうしなぁ」
「うん。自分たちの力で対処できない他国の護衛を護衛対象の傍にいさせるわけない。うちみたいな 弱小勢力は大国の要求は断れないけど」
「ノナ、一言余計だぞ」
まぁ数字付き聖騎士なら一時的にリュッセリンナさんを食い止めることが出来るかもしれないけど、怪物が負けることはまずないだろう。
「ところでアラーマよぉ。まだどんくらい"演奏旅行家"とやらが滞在するのか聞いてねぇんだけど、そいつが一番衛兵長として気になるのはわかってんだろ?」
「……実は、わからないんです」
「はぁ!?」
「"演奏旅行家"が満足するまで、とだけ言われて……そのあいだ衛兵の皆さんには最大限の警戒を」
「おいおい。いつ帰るかも分からないのに、その間ずっと神経を尖らせとけってか?そりゃ無理だぞ。数字付き聖騎士も向こうにはいるんだから、こっちは適当に力の入れ所と抜き所を調整させてもらうぜ?」
……実際、過敏になり過ぎているかもしれない。"演奏旅行家"には強力な護衛がいる。ヴェンデランドにだって怪物がいる。
他国が陰謀を企てたとしてもこの状況で"演奏旅行家"に手出しできる者なんてそうそういるわけがないし、仮に陰謀が明るみになればラクレグム教国との関係も悪化してしまうのに、それでも何かを企む相手がいるのだろうか。
「そう……ですね。そこはラゲルダさんにお任せします」
「……なんか浮かねぇ顔だな。心配しなくても仕事は真面目にやるさ」
「あ、いえ。それを心配しているわけじゃないんです。ただ何となく胸騒ぎがして……」
俺がそう言うとノナとラゲルダが妙に緊張した顔をする。
「お前がそれを言うとたいっっっってい、ろくでもないことが起こんだよなぁ……」
「もうそう言う能力。言葉にすると不幸がやってくる」
おいおい、俺が自分から不幸を呼び寄せているわけでもないのに何でそんな疫病神みたいな反応をされなきゃいけないんだ?
胸騒ぎがする、なんて言葉を言う度に不幸が来るかどうか確かめるために今ここで連呼してもいいんだぞ?それで証明できたなら、四大国の領地に乗り込んで喉が枯れるまで胸騒ぎがするって言い続けてやる。
「とにかく、みんな気を引き締めるようにお願いします」
ノナとラゲルダさんが会議室を出て行き、リュッセリンナさんもそれに続こうとしたところで俺は彼女を呼び止めた。
「リュッセリンナさん、ちょっといいかな?」
「はい?何でしょう?」
新入り魔術師にしてすでにヴェンデランドの独立を守るための要である彼女は、きょとんとしながらも若干構えるように後ろに下がった。
心配しなくても、もうヴェンデランドの存亡を担わせるようなことは多分、当分、きっとしないからそう身構えないでほしい。
「最近ダンジョンに足しげく通っているようだけど、何かあるの?」
リュッセリンナさんは少しほっとしたように息を吐いてから答えてくれる。
「えっと、これははっきりとしているわけではなくて曖昧で感覚的なものなんですけど……あのダンジョンまだ下がありそうなんです」
「下って、ダンジョンに地下があるってこと?」
「はい。それも何だか不吉で悍ましい気配があって……それが気になって調べていたんです」
「何か見つけた?」
リュッセリンナさんは細い眉をひそめながら首を静かに横に振る。
「いいえ。あ、心配しなくても"演奏旅行家"さんが静養されている間は警備に勤めますよ?」
ふむ……嫌な気配ねぇ。
俺の胸騒ぎとその気配が関係なければいいんだけどな。
基本的にマイペースな投稿になってしまいますが、評価を頂ければ幸いです。