1.慶事に捧げる領土権①
「アラーマ・ヴァーシャス、只今戻りました。ゼッツエル様には本来ご養生頂くところ、私の我がままを許して下さり感謝の念に堪えません」
「はは。久しぶりに顔を合わせるのに、そう深々と頭を下げられては見えないじゃないか。ここはしがない領主のしがない寝所だよ。権威も何もあったもんじゃない。堅苦しいことは抜きにして、そちらの……何かずっと呟いているお嬢さんを紹介してくれると嬉しいな」
この土地の領主であるゼッツエル・ダンダーシャ様の元に戻ったのはおおよそ一か月ぶりだが、相変わらずの気さくさに俺はどこかほっとした。とある情報を貰って赴いた魔術学校は領地に接する四つの国よりは肩の力を抜けると言ってもやはり、この方がいらっしゃるヴェンデランドほどではない。生来体が弱く、同年代の男性と比べると非常に線が細いのだが、それでも頼もしく思えるのがゼッツエル様の器量なのだろう。
だから……俺の隣でぶつぶつ呟いている怪物の卵ことリュッセリンナ・エンスナッツは助かったな。もし尊大で傲慢な気性の領主の前に立って同じことをしていたら、間違いなく不興を買うところだった。
「彼女はリュッセリンナ・エンスナッツと言います。私がレンダール公国の魔術学校から引き抜いた逸材……のはずですが、しばらく自由に魔術の訓練が出来なかったせいでちょっとおかしくなっているのかも……」
そう言いながら彼女の肩を優しく叩くと、リュッセリンナはハッとした表情になって勢いよく頭を下げた。
「も、申し訳ありません。この近くの魔力の濃度が気になっていまして……領主様の前で大変失礼な事を……」
「おや、早速仕事に取り掛かっているなんて勤勉だね。そういう事なら余計に形式的なことに時間を取らせて悪かった。君の隣にいるアラーマは私の右腕でこの領地のことは何でも知っているから、気になったことは全て聞くと良い」
「ありがとうございます。浅学非才の身ですが、これから頑張ります!」
あまり話が長くなるとゼッツエル様の体調が悪くなってしまうこともある。俺はリュッセリンナを連れて寝所から出ると、先ほど彼女が述べたことについて聞いてみた。
「魔力の濃度が気になるって言ってたけど、どんな感じでどの辺りが気になってるんだ?」
その答えはすでに彼女が行動で示していた。じっと、食い入るようにじっと窓から近くに生えている木を見つめている。
「あの木の一か所だけ、魔力の濃度が薄いんです。あれ?今その場所が移動しました。これは……人の形?」
「……なるほど、流石は怪物の卵。腕の立つ密偵すら感知できるなんて。久々に負けたな、ノナ!」
木に向かってその名を呼んだが、言葉を掛けた相手はとっくに窓から飛び込んできて俺の背後に立っていた。
残念なことに現在ヴェンデランドで腕が立つ、と紹介できるのは密偵であるこのノナと衛兵長のラゲルダさんだけだ。もう一人は領地から離れているし、リュッセリンナさんはまだ怪物の卵だ。とは言え孵化させるまではその片鱗すら見えないと思っていたのだが、今の段階であのノナの隠密を見破るなんてとんでもない才覚だ。
これは孵化をこの眼で見るのが一層楽しみになってきたな。
などと悦に浸っていると、黒い頭巾と赤い外套を身に纏う密偵が不満顔を見せて来た。
「別に、勝ち負けじゃない。だから負けてない」
俺にそう言った後で、小柄なリュッセリンナさんよりも更に小さい少女が新入りに向かって口を開く。
「負けてない!」
「あ……はい。勿論、勝ち負けなんかじゃないです。あの、私、リュッセリンナ・エンスナッツと言います。この館に来るまで私を見ていたのも、あなただったんですね」
更なる追い打ちに、びくん、とノナが体を震わせたのは屈辱か悲しみか。
「まけ、負けてない!リュッセリンナァ!新入りなら先輩をたてるんだよぉ!あたし、負けてないよね?」
「負けてませんよ。大丈夫、大丈夫です」
先輩が初対面の新入りによしよしと頭を撫でられてやがる。それでいいのか、先輩?
まぁノナ自身が最も誇っているのが隠密能力だ。その自信を根幹からへし折られたのだから、こうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。
「えー、それでノナ。例の件に関してはどうだ?もう生まれたか?男、女どっちだった?」
「……一週間前に男の子が生まれた。領主様がすぐに祝辞を送ったけど、向こうは領主か領主代理が駐屯地に直接出向くべきだと言ってきてる」
「了解。じゃあ、段取り通りにいこう」
領地を離れる前にゼッツエル様とノナには計画を伝えているから、後はリュッセリンナさんに同じことを話すだけだ。
そう思っていたのだが、ノナは冴えない顔をしたまま段取りがひっくり返ることを言った。
「もう一つの方でも、女の子が生まれた」
「え……バーチバル国の元首の?それは青天の霹靂だな」
「ちなみに子供が生まれた日も、現在第三位継承者だと言うことも、領主か領主代理に出向くよう求めてきた日もリファル王国と一緒。流石はもともと同じ国だっただけはある」
仲良し、と皮肉気にノナは薄く笑ったが俺は溜息をついた。
「マジかー……」
そしてゆっくりと唇の両端が吊り上がりそうになるのをこらえた。
好機きたれりってやつだ。そう考えているのは向こうも一緒なんだろうけどな。
「リュッセリンナさん。悪いけど、これからすぐに行かなきゃならない場所がある。だから一緒について来てくれ。この領地のことは歩きながら話させて貰いたい」
「はい、分かりました」
バーチバール国とリファル王国はこの領地と接する四つの国の内の二つだ。北西のバーチバール国、南西のリファル王国……もともとこの二国はリファル帝国として一つの国だったのだが、おおよよ三十年前に既得権益を守ろうとする軍部と王政の強化を進める女帝が衝突し、離反した軍部がバーチバール国の独立を宣言した。
だからこの二国はとにかく仲が悪く、何かと張り合っている。例えばリファル王国がヴェンデランドの安全保障を表向きに宣言しつつヴェンデランドの境界線の近くに駐屯地を設営し始めると、バーチバール国も同じような行動を取った。バーチバール国が侵略戦争に対する抑止力のためという名目で兵士の一部をヴェンデランドに進駐させると、リファル王国も同じく兵士を進駐させる。
あれがこれまで経験してきた中で一番の危機だった。大国がじゃれ合うだけでこっちは神経を尖らせないといけないって言うのに、この地で戦争するなんてもってのほかだ。他の二国からの抗議がなかったら、独立だの併合だの言う前にこの土地が何もない焼け野原になっていたかもしれない。
そんなことを掻い摘まみながらリュッセリンナさんに話し終えると、彼女は眉を顰めて見せる。
「馬車の中でも聞きましたけど、本当にどこかの国に占領されかねない状況なんですね」
「まぁ占領や併合に意欲的なのは今のところこの二国だけではあるんだ。他の二国の厄介具合は方向性が違ってて、それはまた別の機会に説明するよ」
「分かりました。それで、いま私たちが向かっている先は駐屯地なんですよね?どちらの国へ先に出向くんですか?」
そう質問して来るってことは、リュッセリンナさんは順番の大切さを理解してるんだな。魔術学校に通う貴族の子弟は多いから、そこで色々と叩きこまされたのかもしれない。
そう。バーチバール国とリファル王国の仲は最悪だ。同じ日に国の最大権力者の継承者が生まれたとなれば、どちらに先に祝辞を述べたかは重要視される。ゼッツエル様はそれを考えて同時に祝辞が届くようにしていただろうけど、直接出向くとなるとそれは出来ないし求められていない。
つまり二国は態度を示せと言ってきている。どちらの国を尊重するのか、はっきりしろと暗に伝えてきている。
「それに関しては定石通りに行くしかない。どっちにしろどちらかの不興は買うし、これからも長く付き合っていかないといけない相手だ。後に回された方に、納得できる理由が多い方が良い」
「となると、リファル王国が先ですか?」
俺が頷いたところで、少し小高い丘の上からリファル王国の駐屯地が遠くに見えて来た。立派な砦、とまではいかないがちゃんと軽い防壁や物資が用意されているし、そこに駐屯している兵士に攻められればうちの領地は占領されてしまうだろう。
それと同じくらいの規模の駐屯地が領地の近くにもう一つあるわけで。
ああ、本当に頭が痛くなってくる。
「ヴェンデランド領主代理であるアラーマ・ヴァーシャス殿とそのお供の方がお着きになられました。お通ししてもよろしいでしょうか?」
リファル王国の駐屯地に着いた俺とリュッセリンナさんは兵士の案内について行き、簡易的ながらも役割を立派に果たしている木製の建物の前で一旦立ち止まった。
返答にしばし間があるのはいつもの事だ。これは単純に俺を待っている相手が忙しいからだろうけど、この間すらも駆け引きに使っていそうな雰囲気を持った相手でもある。油断は禁物だ。
軽く衣服を整え、落ち着いて深く息を吸い終えると同時に建物の中から、お通ししろ、と聞こえて来た。そうして中に案内されて向かった先には、やはり何度も顔をつき合わせて来た想像通りの相手がいた。
「アラーマ殿、貴殿と最後に言葉を交わしたのは何時ごろだったでしょうか。互いに忙しい身ですから、こうして会うべき用事がある時には出来るだけ相手を待たせないようにしたいものですね」
そう言葉にした女性が椅子に座るとブロンドの長髪がさらりと揺れ、優美ながらどこか冷たくもある笑みが一層惹きたてられる。メガネの後ろに湛えた理知的な眼差しから、何度逃れたいと思ったことやら。
リファル王国第十二駐屯地隊長エノエ・マージャは、俺の訪問が遅いとご立腹らしい。
「申し訳ありません。貴国の慶事をその日のうちに祝福出来なかった己の至らなさに恥じ入るばかりです。こうして遅ればせながらも直接祝辞を述べさせて頂ける機会を下さったことを、心より感謝いたします」
そう言って俺が頭を下げるも、エノエは表情を一ミリも変えないまま滔々と話し始める。俺の謝罪をそのまま受け取る気はないようだ。
「我が国は、この駐屯地は、安全保障下にあるあなたたちの土地を他国の脅威から守るために並々ならぬ労力を費やしています。見返りを求めているわけでもなく、実際に行動を通してあなた方の助けとなっているのです。だと言うのに我が国の慶事にあなた方が送るものが飾り立てただけの空虚な言葉だけであるのならば、少々がっかりしたと言わざるを得ません。あなたがいま私に向けた謝罪のように」
まったく、いつも通りの恩着せがましさだ。とは言えまぁ、完全に否定しきることが出来ないのも事実だった。ただそれは魔物や魔獣の脅威が少なくなったと言うだけで、それよりも涎を垂らした大国の方が何千倍も恐ろしい。まだ獣に喰われる方が残る身と骨がある。
もっともこの展開はとっくに予想出来ている。向こうもそう思っているから、俺が何を差し出すのかと大口を開けて待っているのだ。
「勿論です、エノエ殿。言葉だけで終わらせるつもりはございません。私も領主様もこの慶事に相応しい贈り物とは何なのかと、ずっと考えておりまして」
大国の大口はとても躱しきれない。なら、予想に反する大きなものをぶち込んで窒息させるしかない。
「正直申し上げまして、リファル王国ほどの大国に我々が差し出せるものは一つしかありません。この土地の領土権の半分を、南半分を受け取って頂けましたら、これ以上ない喜びでございます」
ぴくり、とエノエの細い眉が反応した。流石に彼女もこの贈り物は予想していなかったようだ。
ヴェンデランドの南側には、我々にとっては重要な資産である低レベルダンジョンと小さな鉱山がある。それは大国にとってはさほど重要ではないが、そこを失う事はヴェンデランドの息の根が止まることと同義だ。
「……アラーマ殿、それが何を意味しているのか分かっていますか?そして私がどのような特殊魔術を得意としているのかも、当然分かっておいでですよね?」
「これでもエノエ殿とは数年のお付き合いになりますから、それはもう。ただ――」
更にもう一度相対する相手の眉が動く。唯一そこだけが、彼女の感情を滲ませている。
「貴国の王にあらせられるシュマール・リファル陛下は武勇に誉れ高い方。そのご威光にあやかり、領土権をかけた決闘を行いたいのです」
「決闘、ですか?」
「ええ。慶事に名誉を捧げることは、そう珍しくもございません。本来であればヴェンデランド内でその代表者を決める武闘大会でも開催すべきなのですが、なにぶん領土には戦士と呼べる者が少なく、また小さな領地の小さな武闘大会に名誉などあるはずもなく。ならば失礼を承知で貴国の戦士と決闘を行わせて頂き、あなた方が勝者となったあかつきには名誉と領土権の両方を贈り物として受け取って頂きたいのです」
「……はぁ。相変わらず適当なことをベラベラと。何を考えてるか分かんないのよ、この胡散臭い男」
小さめではあったが、明らかに聞こえる声で言いやがったな。
こっちだってこんな胡散臭い口調で話したくないんだよ。上手くへりくだりたいだけなのに、何故か胡散臭くなってしまうんだよ。
「では仮にあなた方が勝者となった場合なにを求めるのですか?」
「本来求められる立場ではないと分かっています。ですがもし希望を言わせて頂けるのなら、この駐屯地から一名人員をお借りしたいのです」
「人員を?どれくらいの期間ですか?」
「期間はエノエ殿がお決めになって下さい。一時間でも、一年でも。私にはこれ以上を求めることは出来ませんから」
エノエは考え込むようなポーズをとったが、もう答えは決まっているようなもんだ。だって向こうは基本的に損をしないのだから。
勝てば領土権を得られ、負けても人員が一名減るだけ。その一名にしても諜報員をおおやけに送り込む絶好の機会だ。リファル王国とバーチバール国がヴェンデランドに進駐したあの出来事以降、他の二大国や周辺国の目が厳しくなっている。二国ともほとぼりが冷めるまでは、うちの領土に無断で人を派遣しにくくなっている。
もちろん密偵や間者は暗躍しているけど、それはノナたちが色々と妨害しているから思う様な成果は得られていないだろう。
「一つ、条件を付けさせて下さい。あなた方の決闘者は、今ヴェンデランドに所属している者以外からは選べないと」
そこは当然潰してくるだろうな。大金をはたいて外部から一流の戦士を呼ばれたら、負ける確率が高くなる。
俺はエノエがそうしたように考え込んでみせたが、形だけの演技はもう見破られているだろう。
「同じ条件……あなた方の決闘者も、現在この駐屯地に所属している者以外から選べないのであれば、お受けいたします」
「求められる立場ではない、と言いながらそのような条件は付けようとするのですね」
「決闘とは、正々堂々とした公平性が求められるものですから。シュマール・リファル陛下に捧げるためのものであれば、特に」
「はん、白々しい。あなた方が最低限の出費で済ませようと画策しているのは分かっていますよ」
今度はあからさまに聞こえる声で言いやがった。くそぅ、こっち方が力関係が強いなら、滅茶苦茶言い返してやるのに。
とは言えその言葉はもう取り繕う意味がないと言う合図でもある。エノエはこの贈り物を受け取ると決めたのだ。今ここでこの話を流したら、俺たちがバーチバール国にこの話を持ち掛けると分かりきっているのだから。
「それでは最後にもう一つだけ。私の契約魔術に署名する人物はあなたではなく、ゼッツエル殿でお願いします。もし契約魔術に違反すればどのような目に遭うか、アラーマ殿は分かっていますね?」
「……承知しました。ただゼッツエル様は近頃体調が優れないものでして、少しお時間を頂ければ、と」
別に契約を破る気はないけれど、出来ればこれだけは回避したかった。でもゼッツエル様はもうご自身で覚悟を決められている。ヴェンデランドの独立を守るためなら、自分の身など惜しくはないと決意されている。
「いえ、明日わたしの方からゼッツエル殿をお尋ねいたしますので、その手続きと言づてをお願いします。明日は間違いなく、ゼッツエル殿のお加減が優れていると信じていますから」
「……分かりました。そう、伝えておきます」
まったく、こっちが息をつく間を与えないつもりだな、この冷徹女。
それでも今からすぐ、とまでは言わなかったのは最後の良心なのか、考える時間が欲しかったのか。
多分、前者ではないだろうなぁ。
それ以外にはもう用件はないですから帰って結構、と言いたげな冷淡な表情を見れば誰だってそう思うだろうな。
基本的にマイペースな投稿になってしまいますが、評価を頂ければ幸いです。