9.演奏旅行家⑤
「これは……!」
ダンジョンの地下一階に降りてすぐにルードヴェッタ卿はそう言葉にした。
リュッセリンナさんが禍々しい気配がするって言っていた意味を俺はここで理解した。一階上とはランクが二段階くらい違う魔物たちと人形が激突していたのだ。
「コボルトにファイヤーエレメント!中級者より少しレベルの低いダンジョンによく出てくる魔物だね。僕たちの脅威ではないけど、それはあの人形にとっても同じらしい」
"演奏旅行家"の人形はコボルトの棍棒を片手で受け止め、もう一方の手で皮鎧ごと魔物の腹を貫く。そのまま息絶えた魔物を盾にしてファイヤーエレメントの火の魔術を防ぎながら加速していくと、腕を火の精霊に向かって突き出した。
俺は一瞬自分の目を疑ってしまった。目を疑うって言葉は俺の中で結構重い言葉だ。だからそれだけ、不気味に膨らんだ人形の腕から放たれた水の魔術が衝撃的だったんだ。
「あれは、一階で私が使ったウォーターカッター!?……偶然?それにあの俊敏な動きと魔術を扱える人形なんて、相当の才能と腕がないと作れもしませんし扱えもしません!」
「一階の人形とは別格だね。あれを"演奏旅行家"が操っているならありがたいんだけど……」
はやいっ!
聖十位騎士は言うなり人形の懐に飛び込んだ。そして彼が振り上げた長剣は、一階で見た時にはなかった白く眩い光を纏っている。
「はあっ!!」
人形が声と共に一撃で切り裂かれる。あの白い光はラクレグム神の加護か?一階で見せた長剣の一撃よりも確実に重く鋭かったし、切れ味も上がっていた。
「まぁ、そうだよね。これも自律型の人形だ」
この辺りで俺の心持ちと頭は完全に切り替わった。ダンジョンに地下が出来たことを心の奥で代理領主として喜んでいたんだけど、もうそんな暢気なことを考えている状況じゃない。
あの人形と一対一で戦って俺に勝ち目はあるか?いや、ない。間違いなく無様に負けることだろう。その相手を聖騎士は当たり前のように一撃で切り払い、知っていたかのように自律型だと言った。
ノナとラゲルダさんに申し訳ないけど……やっぱり大国の精鋭はレベルが違う。リュッセリンナさんが来てくれる前のヴェンデランドなら、この数字付き聖騎士一人で制圧出来たのかもしれない。リアラさんがいても、結果を変えられるかどうか……。
「地下一階へ続く階段があった以上、地下二階以降の階段もあるかもしれない。一階よりも少し速度を落としつつ、出来るだけ急ごう」
聖騎士の動きも凄かったけど、その配下もなかなかのものだった。聖魔術によるアンデット系の魔物への浄化、魔力の盾による防御の的確さは流石の一言だ。もう一人の魔術師はなんだか顔に生気がなくて絶不調だったけど、それはまぁご愁傷様ですとしか言い様がない。
うちのリュッセリンナさんが圧倒的な才能の差を今も見せつけているからだ。
彼女の巨大な火球の一撃、二撃、三撃によって魔物の大群がオーバーキルされると、その絶不調の魔術師が心ここにあらずと言った様子で呟く。
「あの威力の火球を杖もなく無詠唱で連打もできるってどんな出鱈目な存在なのよ。あんなの腕に覚えのある魔術師が十数名集まってようやく真似できるレベルでしょ!?それに彼女はまだ全然全力って感じじゃないし、三大魔術革命に真っ向から喧嘩売ってるし、魔力の底も見えないし、意味わかんないぃぃ……あぁ、お家帰って早く悪酔いしたい。何もしてないのに疲れた……」
個人の強さに大して興味がないノナでさえも、隠密状態を見破られたらかなり傷ついてたもんな。おなじ分野の怪物を見たその衝撃たるやどんなものなのか想像できない。それでも俺たちに付いて来ているのだから、彼女は多分仕事意識は高いのだろう。
地下三階に続く階段は呆気なく見つかった。地下二階に降りる階段からそう離れていなかったし、その階段を守っている人形もいなかった。
なーんかキナ臭い。追手が来ることなんて分かっているはずなのに、それに備えている様子がまるでない。ダンジョンにいる人形だって、こちらから仕掛けない限りは魔物しか襲わない。
……誘いこまれてないか?どうしてあの衛兵たちは生かされていた?どうして人形に鍵を渡して地下二階に続く階段の仕掛けを元に戻さなかった?どうして人形は襲ってこない?できないのか?やらなかったのか?ならその理由はなんだ?
他にも色々と疑問は尽きないけど、やはり答えを得るには"演奏旅行家"を見つけるしかない。
念のため二手に分かれて地下二階全体を探索した後で、俺たちは地下三階に続く階段の前に集合した。
「行こう。出来るだけ、気を引き締めて」
俺の懸念と似たようなものをルードヴェッタ卿も抱えているのだろう。地下二階に降りてから口数が一気に減っている。
彼の言葉がけ通り、俺たちは用心したまま地下三階に降りてまたしても人形と魔物が争う光景を――いや、それだけではない。
一人の青年が、争いの喧噪の中で静かに佇んでいた。関節に継ぎ目もないし、足元にあるランプの微かな灯りが照らす彼の表情は沈んでいる。側にチェロが置かれているし、もしかするとあれが"演奏旅行家"の本体か?しかし、思ったよりもかなり若い。二十年前にラクレグム教国と取引したって言ってたから、もっと歳を重ねていると思ってたんだけど。
「……"演奏旅行家"か?」
ルードヴェッタ卿が尋ねると、男はゆっくりと首を小さく縦に振る。別に攻撃的でも威圧的な動作でもないのに、俺はそれだけで体が重くなったように感じてしまった。
何だろう。石像が動いた様な、錆びた城門が動いた様な……いや、かび臭く分厚い歴史書が動いている様な異様な威圧感があったのだ。
「"演奏旅行家"……そう呼ばれていた人形を操っていた者です。あれは私が制作した人形の中でも最高傑作に位置するものの一つ。出来れば、彼をいつまでも演じ続けていたかった……。しかし罪とは過去から追いかけて来るもので、私の足どりは歳月によって重みを増して行くばかり。そして今日、その罪が私の肩を掴んでいるのです」
……なに言ってんだ?いまいち何が言いたいのか分からない。
それに何より、こいつは本物か?こうやって煙に巻くようなことを言って隙を作ろうとか思ってんじゃないだろうか。
ラクレグム教国に所属している"演奏旅行家"相手にこの眼を使うわけにはいかなかった。もし俺がしていることがばれたら、敵対行為だと見なされても仕方がないからな。けど、いま目の前にいる存在を本物かどうか確かめるのはいいはずだ。
俺は右眼に意識を集中させ、見開いた。
――オーラが全くない!色も、形もない。のに、何で俺は眼を離せない?何だか見ているだけで気持ちが悪くなっているのに、どうしてもっとその姿を頭の中に鮮明に記憶しておきたくなっているんだ!?
まずい、口よ動け!
「ッ――ルードヴェッタ卿!そいつは人形です!」
言うやいなや、ルードヴェッタ卿は二階の人形相手にそうしたように"演奏旅行家"を操っていたと言う男の懐に一瞬で踏み込み、光を放つ長剣を振り下ろした。そこまで俺を信じてくれている理由は正直俺自身にさえも分からないけど、今の一撃が俺の言葉を本当だと証明してくれるはず……!
「それは二階で見ましたよ。爪先程度の奇蹟しか借り受けていないのに、ここまで脅威的だとは思いませんでしたがね」
「ちっ……!」
だが、ルードヴェッタ卿の一撃は突然間に入り込んで来た新たな人形が盾になり、その片腕を奪っただけに留まってしまう。それでは、と卿が再び剣を振り下ろそうとする前に大量の人形が一気に押し寄せて来た。流石にその数に圧し潰されては敵わないと卿が距離を取ったところで、青年は俺たちに深々と頭を下げて見せる。
「申し訳ありません。しかし私に敵意はないのです。この人形たちをここに並べているのは示威行為ではなく、目的を果たすために私自身を守る必要があるだけのこと。あなた方に攻撃を仕掛けようとは思っていません。そして」
青年は少しだけ興味深そうに俺を見つめてから言った。
「私は彼が言った通り人形です。しかし私を操る本体がいると言うわけではないのです。いえ、こう言った方が分かりやすいでしょうか。私はこの領地の伝説に語られる、神が造った五体の人形の内の一体なのです」
「なにっ……!?」
ルードヴェッタ卿の驚愕は、俺の反応そのままでもある。
神が造った人形だって……?本当にそんなものが存在していたなんて。
「実際のところ、神ではなく神が生み出した上位存在が造った人形なのですがね。どちらにしても私のような錆びついた愚者には過ぎた創造主でしょう」
「それが真実なら驚きだけど、ただの里帰りにしては騒ぎすぎじゃないかな?あなたの行いは、ラクレグム教国にもヴェンデランドにも多大な迷惑をかけている」
「残念ながら愚か者には帰るべき場所も、迎えてくれる親も兄妹もいないのです。こうやって騒がなければ、警戒されていたルードヴェッタ卿と天才魔術師の隙をついてここまで来ることも、そしてあなた方が私を追ってここまで来ることもなかった……ラクレグム教国とヴェンデランドの皆様には本当に申し訳ありません。しかし、私は目的を果たすために躊躇わないと決めたのです」
「目的?」
そう問われた人形は脅威は無いと弁明するように、ゆっくりと懐から古びた何かを取り出して見せた。
あれはカンテラか?かなり小さめのものだけど、あれを取り出したことになんの意味があるんだ?
その疑問は本人の口からすぐに語られた。
「これは"生無きものの仮宿"と言うアーティファクトです。その名の通り生のないもの、例えば空気、火、魔術、貨幣と言ったものを一時的にこの中に収容することができるものです。私の目的はこの中に兄妹たちの……いえ、もはや僅かな希望の残された一体の魂を回収することなのです」
「魂に生が無いと?それはラクレグム教の解釈に反するね。僕を挑発しているのかな?」
びりっと空気が悲鳴を上げた気がした。信仰心に厚い聖騎士を怒らせるなんて俺は絶対に嫌だ。でも魂が生きているのかって聞かれると正直分からない。生きている相手から魂を奪えるのか?奪えるとしたら、肉体は徐々に死ぬんじゃないか?なら、肉体が死んだあと奪った魂はどうなるんだ?そのカンテラの中に残るのか消えるのか?
こんなことを疑問に思ってるなんて知ったらルードヴェッタ卿は怒るんだろうな。でも俺に分かるのは、この眼に映るものが真実ってだけだ。
「そうではありません。人の魂と我々五体の人形の魂では性質が違います。我々の魂は、魔術で作られた疑似的なものなのです。ラクレグム教の教えを否定する意図は全くありません」
「その言葉を信じるとしても、あなたを自由に行動させる気はない。この場でその身を確保させてもらう」
「……それではこうするしかありません」
上位存在が造った人形が両の掌を上にしてその身を揺らすと、聖騎士と怪物魔術師が鋭敏に反応した。どんな攻撃にもすぐに対応してやる、と言う二人の意気込みは、だけどすぐに困惑へと変じてしまう。
彼らを操る本体共々、全ての人形が地面に伏して頭を地に付けた。それが攻撃的な行動ではないことは誰にだって分かる。
懇願だ。人形たちが、人に土下座をして懇願しているのだ。
「どうかお願いします。未だ唯一正気と狂気の狭間に居る姉を救うために、私に力をお貸しください。その後であれば私はどのような命令にも従います!この愚かな人形が過ごしてきた長い長い時の中で、唯一私自身の意思で選んだ選択をどうか果たさせて下さい!」
それが人形だってことは彼自身が認めていることだ。彼の近くで同じように頭を下げている人形だって、言ってしまえば演出だって切り捨てることも出来る。それでもルードヴェッタ卿とリュッセリンナさんが攻撃の手を止めたのは、そこに確かな感情を見たからだろう。
反面、俺は自分を恥じ入るべきなのかもしれない。青年の姿をした人形の魂が魔術で作られていると聞いた時から、この眼が疼いて疼いて仕方ないんだから。