父から子へ継承されるべきもの 『正義の心』
それからあれよあれよと、父の葬儀が執り行われた・・・らしい。
その間は記憶が曖昧だ。
何かを指示された気がするが、自分が座っているか立っているかくらいしか記憶がない。
そういえば医者を呼んできてからどのくらい時間が経ったんだろうか?
何かを忘れている気がするが、もうどうでもいい。
この世界に生まれて、思い返せば父の記憶ばかり。
母が殺されて、残ったオレを立派に育てることだけが彼の生きがいだった。
でもオレは・・・俺は父を見ようとも家族になろうともしなかった。
オレは前世の記憶がある。
だから父とは呼ぶものの、他人としか思えず積極的に付き合いもせずに距離を置いて接していた。
上辺だけ取り繕って生活が出来ればいい。
自分が成人して家を出れば本当に縁が切れる。
その程度と思って暮らしていた。
だけど、オレのこの2度目の人生でいつもそばにいたのは父だった。
いつもオレを気にかけて大切にしてくれる人だった。
本当の息子じゃないのに、本当の息子として扱ってくれた。
オレは・・・父のことが好きだったんだ。
それを亡くしてから気付くなんて、とんだ親不孝者だ。
もうどうでもいい・・・。
何か忘れてる気がするが、何に対してもやる気が起きない。
「お兄ちゃん・・・お腹空いたよ・・・。」
女の子の声がして顔を上げると、獣人娘のミルシャがいた。
「食べ物なら冷蔵庫に何か入ってるよ・・・勝手に食べてくれ。」
忘れていたのはこの子達のことだったのを、顔を見て思いだした。
オレの家に住んでいるんだったな。
少しかわいそうに思うが、料理をする気力はない。
「もうないよぉ、全部食べちゃった・・・。」
「そうか・・・」
確かに男2人暮らしだったから他の家庭に比べて備蓄は少ないが、そんなすぐに無くなるほどではない。
どうせ嘘だろうが、それを確認するのも面倒だ。
いや、食料の場所を碌に知らないだけかもな。
まだこの家に来て日が浅いから、家の間取りを知らないだけか・・・。
「食料庫があるから探せ・・・。」
「そこにある物も、もう全部食べちゃったんだよっ!」
・・・そんなはずがないだろう。
面倒だと思ったが、食事を出さないままでいたら隣で五月蠅くされてもっと面倒になるな。
それが嫌だったから冷蔵庫へと向かった。
ない。冷蔵庫を開けるとミルシャが言ったとおり冷蔵庫の中には何もない。
食料庫も見る。ない、中に何も残っていない。
こちらも物の見事になくなっている。
「一体どれだけ食べたんだよ・・・。」
呆れて何も言えない。この小さな体にどれだけ栄養が必要なのだろうか?
しかし、
「お葬式からもう半月だよ?その間お兄ちゃんこそ何も食べてなかったけど、大丈夫なの?」
「え?あ?ん?」
ミルシャの言葉で、思考が止まった。
いや、止まっていた事を実感した。
半月も?オレは座ったまま、ここで父のことを考えていたのか・・・。
「何度も呼んだけど、返事が無かったから心配したんだよ。」
「オレに・・・何か話しかけてたのか・・・?」
覚えていない・・・。
そもそも、なんで食事してないオレの方が余力があるんだ?
腹なんて微塵も減ってない。
「昨日の夜ご飯から食べる物がなくて、もうお腹が減って死にそうだよ・・・。」
「ああ・・・何か用意するよ。ちょっと外に行って何か買ってくる。」
オレは財布と買い物籠を持って出かける準備をする。
「待って、今のお兄ちゃんじゃあちょっと心配だよ。」
しかし、ミルシャに止められた。
「買い物くらい・・・別に、今のままでも行けるだろ。」
自分が普通じゃない状態なのは自覚している。
でも、どうでもいい。
何とかなるだろ・・・。
「家族がいなくなったのに泣けないのは辛い事だよ。顔は泣き出しそうなのに心で泣けてないよ。」
「男だから涙が出ないだけだ・・・そのうち大丈夫になる。」
「ダメだよ、ちょっとこっちに座って、ね。」
買い物籠を奪われ、ソファーに座らされた。
腹が減っていると言うから急いで飯を作ってやろうと言うのに、何なんだ?
そう思っていると、隣にミルシャが来て頭をなでてきた。
「お兄ちゃんはえらい、がんばってるよ。
でも、力を抜いて泣いてもいいんだよ。がまんしなくていいんだよ。」
「我慢なんてしてないさ。口やかましい人がいなくなって、これからなんでも自由にのんびり出来るんだ。」
「大丈夫だよ。肩肘張って頑張らなくてもいいよ?
ここにはワタシ達しかいないから・・・ねえ、マナちゃんも一緒にやって?
お願い。」
気付くとアマナもいた。
オレを挟み込むように、ミルシャの反対側に陣取ってオレの頭をなでてくる。
「私達も家族が死んで一杯泣きました。私達は2人だったから大丈夫でした。
悪い人につかまって助けてくれたのはエゼルさんです。
だから、今度は私達が力になる番です。」
くすぐったい。
もう頭をなでられて喜ぶ年齢じゃない。
彼女達からしたら少し年上の男の子に見えるだろうが、二度目の人生だから下手をしたら彼女達の親と同年代くらいはある。
だから、こんなことをされても・・・。
「ぐぅ~・・・ぐぅぐうぅぅー。」
片方から腹の虫が鳴った。
ほら見たことか、腹が減っているのだから我慢しないでいいのに。
「ぐーぎゅるるるるるるるうぅぅぅ。」
もう片方からも聞こえた。
猛獣の唸り声みたいだ。
「腹が減っているんだから、変な気遣いはしなくていい・・・。
今から買い物に行ってとびきりうまいもん食わしてやるから・・・。」
そう言うと、両方から腹の鳴き声と唾をのむ音が聞こえた。
「また腹が鳴った・・・くくく。」
「だめっ、聞いちゃヤダ。」
「聞かないでくださいっ!」
二人同時に耳をふさいできた。
必死過ぎる2人の様子に笑いを堪えられなくなった。
「笑わないで・・・言うことを聞かない悪い子は・・・こうだっ!」
「ひぃっ!?」
ミルシャが耳を噛んできた。
・・・痛くはない、甘噛みだ。
軽く歯で噛んで、舌で丹念に舐めてくる。
かと思うと、唇で挟んで軽く吸ったりする。
「くっ・・・。」
なんだこれは・・・?!
耳の先端から耳たぶまでゆっくりと丹念にミルシャの口で愛撫されて、初めての感覚に戸惑ってしまう。
背筋がぞくっとして、脳から体がとろけるような汁が出ている気がする。
この感覚に負けてはいけない。
「そちらにばかり気を取られていけませんよ。」
ミルシャの方に気を張っていると、今度は反対側から耳の近くで、アマナがウィスパーボイスで話しかけてきた。
「乙女の事を笑うなんて悪い子は・・・こうです。」
すると、息を吹きかけてきた。
優しく温かな風が耳を刺激する。
くすぐったさとむず痒さで首を振りたくなるが、両側からがっちりロックされている。
さらには、指で耳の穴あたりをなぞってくる。
2人の行動に、心の中で葛藤が生まれる。
今オレの脳内では理性と煩悩が戦っている。
理性が厳しく問いただしてくる。
このまま快楽に堕ちてしまっていいのか?
父が今まで全身全霊で育ててくれたのに、また女の尻を追い掛け回すのか?
ここが分水嶺だ。
父のためにもここは耐えるんだ・・・。
「お兄ちゃんはえらい、えらいよ。頑張ってるし立派だよ。」
「お兄さんがいたから私達がここで暮らせているんです。
もっと胸を張ってください。」
2人がオレの頭をやさしくなでる。
オレは、オレは・・・こんなことには屈しない!
彼女達のやさしさ、気遣いは受け取ろう。
だが、オレは英雄マルロスの息子。
オレは父の事を絶対に忘れない。
父の優しさ厳しさを忘れない。
オレは英雄の息子として恥ずかしい姿を残すわけにはいかない。
脳内の戦いは理性の勝ちだ!それはオレの勝利だ!
これ以上英雄の息子として父に恥ずかしい真似は出来な───
チュッ
頬に柔らかい感触が当たった。
「お兄ちゃん、ありがとうね。」
ミルシャがほっぺたにキスをしたようだった。
父さん・・・今まで育ててくれてありがとう。
オレは2人を守るために生きるよ。
父さんのことは忘れてしまうけど、父さんはオレの誇りだから。
それは絶対に変わらないから。
今日、オレはあなたから卒業して女の子と幸せに暮らしていきます!
途端に涙が流れて来た。
オレの理性が水分となって体から出ていった、煩悩が勝った証だ。
死んだ人間を思い下を向いてしょぼくれているくらいなら、自分の気持ちに正直に生きて笑った方がいい。
きっと父さんもそう思ってくれているはずだ。
ごめんな、父さん。
これ以上父さんのことを考えて、喪に服すのはこれで終わりにするよ。
ありがとう、さようなら父さん。
「いいんだよ、いっぱい泣いて。」
ただ何で横にいるのが美人なお姉さんじゃないんだ!?
悔しくてさらに涙が出て来てしまうよ・・・。
そう、これはそういう涙なんだ・・・。
オレはもう悲しくなんかないんだ・・・。