178.終わりにしようか
悪い……本当に、悪い予感しかしない。
最初の想定では、“大統領”が不在でもおかしくはないと思っていた。
もし自分が囮にされたのなら、彼のように姿を消すことも当然の選択だろう。
――だが、ローズの件はそうはいかない。
まず第一に、ここは吸血鬼の領土ではない。
彼らの本拠地で同じことが起きたなら理解できる。
しかし、ここは人間の世界。
いくら吸血鬼皇といえど、単独で行動するほど愚かではないはずだ。
次に、彼らが“脱離”できたということ自体がおかしい。
ここは**総教会**の本拠地。
ローズ自身でさえ、魔術を使って赤子の姿になり、十五年もの間疑いを避けてきた。
だが、あの吸血鬼皇たちはそんな手段を取っていない。
ローズの庇護を失った彼らが、どうやって身を隠していられるというのか。
そして最後に――彼らはどこで“血”を手に入れる?
「彼、あなたに“人間は傷つけない”と約束したんだろう? 本当に守れると思うのか?」
「うーん……そうね。」
ローズは少し考え込み、曖昧に答えた。
「もし人間を襲うようなことがあれば、私のところに必ず報せが来るわ。その時は、私が自分で手を下す。」
そう言いながらも、彼女の顔にはわずかな不安の色が浮かんでいた。
「でも……彼らがどうやって血を得ているのか、私にも見当がつかないの。まさか領地に戻るわけにもいかないし。」
くそっ……状況がどんどん危うくなっている。
前々から思っていた――
これだけの事件が、まるで“偶然”に導かれるように起きているのは、いくらなんでも不自然すぎる。
神でさえ、ここまで現実を自在に操ることはできないだろう。
だから、俺は一つの可能性を考えていた。
――すべての事件の背後には、“神意を代行する者”がいて、物語を進めているのではないか、と。
大統領。
彼の存在は実に微妙だ。
俺の“下位互換”とも言える立場。だが、彼がいなければ、あの手紙はカバ王国に届かなかった。
援軍も、決して来なかっただろう。
吸血鬼皇。
俺を吸血鬼に変えた張本人たち。
表向きは黒幕のように見えても、実際はこの“物語を動かす歯車”の一部にすぎない。
彼らの共通点――
物語の進行に必要不可欠なのに、登場期間は短く、容易に忘れ去られてしまう存在。
「彼らを探す方法、ある? 見つけたらすぐに知らせてくれ。」
「探すのは構わないけど……ライト様、理由を聞いてもいい?」
ローズは俺の表情を見て、事態の重大さを察したようだった。
俺は黙って首を振り、空を指さした。
――その瞬間、彼女は理解した。
唇を噤み、ただ静かにうなずいた。
話を終えると、俺とオシアナは再び転移門を開いた。
次の目的地は――王宮。
だが、思いもよらぬことに、新しい国王はすでに決まっていた。
「“智妖”……お前、本当に俺の想像を超えてくるな。」
椅子に腰掛けてぼんやりしていた男は、突然背後に転移門が開いたのに気づき、驚いて転げ落ちた。
「ライ、ライト!? お前なぁ、真夜中に脅かすんじゃねぇよ!」
“智略妖の如し”――この表現はまさに彼にぴったりだ。
知らぬ間に、どれほどの策を張り巡らせていたのだろう。
国王の座に就くために。
結局、俺の帰還すらも彼の計画の一部だったのだろう。
老王が死んだ翌日に、新王として即位する――その流れが自然すぎる。
「王位が欲しいのか? 望むならくれてやるが。」
「……反応が早いな。でも、興味はねぇよ。」
彼はすでに“前国王が悪魔だった”ことを知っているようだ。
だから、オシアナを連れた俺を見ても、何も尋ねず、両手を上げて降参のポーズを取った。
「で、あの国王の死体は? お前が処理したのか?」
「は? いや、お前が殺したんだろ? それに、お前の仲間が遺体を運んだじゃないか。」
つまり――彼は“国王の死体が元に戻った”ことを知らない。
チャールズたち以外、誰も見ていないのだ。
「もういい。お前の出番はここまでだ。」
俺は再び転移門を開き、足を踏み入れようとして――ふと振り返った。
「俺は長くはここにいない。だが、お前も見ただろ。俺がその気になれば、いつでも戻って来られる。」
「わかってる、わかってるよ。お前の縄張りは、俺がしっかり守っとくさ。」
まったく……頭の切れる奴だ。
言葉にしなくても、すべてを理解する。
まあいい。彼が国王になるのなら、それも悪くない結末だ。
――ただ、それでも胸の奥に広がる不安の影は、喜びを完全に塗りつぶしていた。
俺たちはチャールズの家に戻った。
出てすぐ、オシアナが強く俺を抱きしめた。
「どうしたの? 何か気づいたのね?」
「……意識の中で話そう。」
オシアナはすぐに【魂のリンク】を発動し、思考を共有する。
「……俺たちは油断していた。
おそらく、背後の神がすでにこの道筋に干渉を始めている。」
俺の考えを聞いたオシアナは、すぐに意味を理解した。
毎回、誰かが舞台を“整え”、その役目を終えると静かに姿を消す。
――偶然にしては、あまりにできすぎている。
最初のころは、誰にも注目されていないと思っていた。
この旅路が“成神の道”だと、外からは判別できないはずだから。
他にも同じ道を歩く者が多いのだから。
だが、俺は忘れていた。
あの時――オシアナが陸に上がった時、彼女は拳を握りしめて言ったのだ。
「私は強大な存在を倒す!」と。
それこそが、すべての始まりだった。
カッパを倒した瞬間――それは“神々の領域”への挑戦を意味していた。
人間には到底できない行為。
それが可能なのは、異種族……つまり、“成神の路”に挑む者たちだけ。
だから俺たちは、最初から神々に“目をつけられていた”のだ。
話を聞き終えたオシアナは、長い沈黙に沈んだ。
本当に、永遠のような沈黙。
そして――彼女は両腕で俺を抱きしめ、これまでで一番強く、温かく。
耳元で、そっと囁いた。
「……じゃあさ――ここで、終わりにしようか?」




