175.そろそろ動くぞ
目を開けた瞬間、見慣れた天井が目に入り、思わず小さく悪態をついた。
またかよ……。
妖族と戦ったあともボロボロになってベッドで目を覚まし、吸血鬼の時もそうだった。
今度は自分の拠点に戻ってきたのに、結局この呪いから逃れられないのか。
はぁ……まあいい。結果的に生き延びたんだし。
ただ、あの悪魔が今どうなってるのかは気になるな。気を失ってからはまったく覚えていない。
そんなことを考えていると、手に柔らかい感触が伝わってきた。
もう何度も経験している。これは、何か分かっている。
「んん〜〜〜〜〜、俺のかわいいオシアナ、ぎゅーって……いってぇぇっ!!」
服を引き裂いて見ると、厚い包帯で全身をミイラのように巻かれていた。
それでも血がじわじわと滲み出しているのが見える。
クソッ、この傷はもう治りかけてたはずなのに、なんでまた開いたんだ!?
この傷がいつできたのかすら覚えていない。
この国で一番の名医に診てもらっても、返ってきたのはこの言葉だった。
「普通の傷なら治せますが、そこには何か危険な力が宿っているようで……私の力ではどうにもできません。」
医者がそう言うなら、仕方ない。
幸い自然回復はしてきてるし、隠しておけば問題ないだろう。
──で、今度は誰が俺に一撃入れやがったんだ!?
「面倒だな……これじゃまたしばらくまともに動けねぇ。吸血鬼になっても意味ねぇのかよ。」
包帯を外して傷口を確認する。
顔が思わず歪んだ。影響は小さくない。
これじゃ“神への道”もどう進めばいいかわからない。
ただでさえ弱いのに……。
オシアナが可愛い寝息を漏らし、目をこすりながら起き上がった。
まさか彼女が起きるとは思っていなかった俺は、隠す暇もなく傷を見られてしまった。
「そんな……どうして……これは全部──」
「何でもないよ。この傷はずっと前からあるし、君が守れなかったせいじゃない。」
オシアナが言いかけた瞬間、俺は慌てて否定した。
彼女を傷つけたくなかったから。
「平気平気。むしろ助けてくれてありがとう。で、あの国王はどうなった?」
「……私が助けたわけじゃないの。あのとき、私も気を失ってたから。」
そうか。じゃあ他に誰かが? まさか“王”本人が来た?
いや、オシアナをあの状態で昏倒させるなんて、“王”にそんな力があるとは思えない。
……ロワに聞くか。
「万能なるロワ博士、俺の頭の中で24時間稼働中の高性能カメラ、聞こえてるか?」
「ふふっ。」
どうやら聞こえているらしい。
「俺が昏睡してる間、何があった?」
「それを話そうと思ってたんだけどね。さっき君が彼女に抱きついてたから、邪魔しないでおこうかなって。」
「話せ。」
「まず、自分の“気”を見てみな。」
俺は目を閉じ、体内の“気”を巡らせる。
見えたその色に、息を呑んだ。
──純黒。
そういえば、以前から《アーク》には副作用があるって言ってた。
妖族のときオシアナを救うために初めて使ったとき、真っ白だった“気”に黒い染みが現れた。
あのときは「今後あまり使うのはやめよう」と思ったが、そんな余裕はなかった。
結局、使い続けてここまで来てしまった。
でも……前は三分の一が黒くなっただけだったのに、今は全部真っ黒だ。
まさか死ぬのか?
「もし死ぬなら、とっくに死んでるっての。今さらだよ。」
ロワが大きなあくびをして気の抜けた声で言った。
「神話の話なんて嘘ばっかりさ。君だって道中でいろんなバージョン聞いたでしょ?」
そうだ。
吸血鬼は“暗黒神と光明神は和解した”と言い、
教会は“光明神が暗黒神を討った”と言う。
神々の戦争だとか、実際に“暗黒神”に会っただとか……
もう何が本当で何が嘘か、わからなくなっている。
「状況は単純だよ。前にも言った通り、君は勝てる。けど、代償は大きい。」
「それが今回の代償さ。君は目を覚ました──“以前の君”がね。そしてそいつが、奴を粉々に引き裂いた。それが結末。」
なるほどな……。
どうりであの悪魔を倒せたわけだ。
あれは俺の“昔の自分”が出てきたってことか。
そんなに強かったのか、俺。
きっと危険を察知して、身体が勝手に防御反応を起こしたんだろう。
「俺に何か影響は?」
それが一番怖かった。
一度覚醒したせいで、人格や記憶が変わる──
あるいは分裂してしまうこと。
「あるよ、もちろん。」
俺の質問に、ロワはなぜか大笑いした。
「さっきの君がそうじゃないか。前の君なら、眠ってるオシアナの頬を撫でるくらいだったのに……目を覚ましていきなり抱きつくなんて、前代未聞だよ!」
なっ……!
確かに言われてみればそうだ。
俺が「抱きしめてやる」なんて言葉を使うなんて……ありえない!
昔の俺、そんなキャラだったのか!?
ロワが冗談を言ってるんだと思いたい。
でもなぜだろう……急に、心が折れそうになった。
「ライト、どうしたの?」
オシアナが不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
「いや……ちょっと抱きしめたくなっただけ。」
「……いいよ。」
オシアナは驚いたように目を瞬かせた。
こんなことを言うライトは珍しい。
でも、彼が望むなら──喜んで。
俺は彼女を抱きしめた。
冷たく澄んだ身体が、なぜかとても温かく感じた。
……悪くない。結果的にオシアナも満足そうだし、俺も悪い気はしなかった。
「うわっ……ボス、起きてたんですか!? いや、俺てっきり──あ、いや、なんでもないっす! 続けてどうぞ! アハハ!」
いつの間にかドアが開いていた。
チャールズが顔を出し、気まずそうに笑いながら去ろうとした。
おそらく、俺たちがまだ眠ってると思って覗いたんだろう。
だが、もう見られた。
「……もういい、準備しろ。十分休んだ。そろそろ動くぞ。」




