174.案外人気者じゃないか
「な、なぜ目を覚ましたの!?」
オシアナは自分を抱きしめている人物を見て、途端にうろたえた。こんな姿を彼に見られるわけにはいかなかった。
だが思いもよらず、彼は手を伸ばし彼女の頭を撫でた。その瞬間、強烈な眠気が押し寄せ、オシアナはそのまま意識を失って倒れ込んだ。
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悪魔は、眠りについたオシアナを優しく抱き上げ、近くの清らかな草地にそっと寝かせる姿を見つめていた。
「お前はライトじゃない……誰だ?」
相手の気配は、自分の知る人物をはるかに凌駕していた。悪魔である自分にはすぐに理解できる。彼は迎撃の構えをとった。
だが男は答えることなく、地面に落ちていた《アーク》に手を伸ばした。すると不思議なことに、アークはまるで生命を持つかのように彼の手に飛び込み、帰還を喜ぶように剣鳴を響かせた。
さらに彼は、使うことができなかった《七王の剣》をどこからともなく取り出し、自らの手をその刃に押し当てた。すると透明だったはずの剣が漆黒に染まり、息苦しいほどの力を解き放った。
──なぜ今まで使えなかったのか。気を失う直前に、その理由を悟っていたのかもしれない。
それは、自分には【色】がなかったから。
ジエはアンナを守るために《赤の剣》と共鳴し、優しさを失う代償を払ってあらゆるものを破壊する力を得た。
アルスは愛する者の帰還を待ち望み、叶わぬまま《紫の剣》と共鳴し、未来を予言する力を得た。
だが自分は違った。何をするにも「できる範囲」で、できればやる、できなければ逃げる。大切なものもなく、欲するものもなかった。
覚悟がない者に、剣が応えるはずがない。
──だが今。
剣から溢れ出す無尽の黒霧が、彼の進む道を示していた。その名は──
【反逆】
「どうやら……自分のすべきことを見つけたようだな。」
王は何を思ったのか、しばし目を伏せて考え込み、そして顔を上げて言った。
「ならば……卑怯と罵られても仕方あるまい。」
恐怖。確かに少し怖かった。本来なら使いたくない手だった。なぜならライトは尊敬に値する人物だからだ。悪魔である自分でさえ、そんな相手に卑劣な手を使いたくはなかった。
だが、いま彼に起きている変化は自分でも見抜けない。保険として最後の一手を使うしかない。
立ち上がったばかりのライトの体に、左肩から腹部へ斜めに走る傷が突如刻まれ、大量の血が吹き出した。その一撃の恐ろしさは一目でわかった。
【傷口再現】
自分にはこれほどの攻撃力はない。だがこの術を使えば、対象がかつて受けた傷を再び現出させることができる。つまり、過去に受けた傷が深ければ深いほど効果も増す。
そしてライトには、深く大きな傷が今も残っていた。本来なら癒えぬほどの傷を、ただ誤魔化して隠していただけだった。
一体誰が与えたものか。並の相手でないのは明らかだ。あれほどの傷を負ってなお生きているライトの肉体は、常人をはるかに超えている。
──これで終わりだ。
そう思った悪魔だったが、ライトは依然として立っていた。血を流しながらも、傷を気にする素振りすら見せない。
次の瞬間、彼は動いた。
速くはない。ただゆっくりと剣を手に歩み寄ってくる。その圧迫感は、悪魔に初めての感情を呼び起こした。
狙われた時の……恐怖!
──彼はライトではない!
そう確信した悪魔は一瞬の迷いもなく、全ての元素をぶつけながら次の大規模魔法の詠唱に入った。
しかし、元素が彼の体に触れた瞬間、跡形もなく消え失せた。まるで存在しなかったかのように。
「そ、そんな馬鹿な!?」
悪魔は驚愕した。それは純度100%まで精錬した元素──この世界の根源のひとつ。その力が無効化されるなどありえない。彼は防御すらしていなかったのに。
ただ、静かに歩み続けている。
「お前は一体何者だ……なぜ答えない!」
彼は表情を変えず、言葉に応じることなく近づいてくる。
その姿に恐れをなした悪魔は即座に逃げ出した。戦う意思は微塵もなく、ただ──逃げた。だが、それに意味はあるのか。
次の瞬間、見慣れた顔が目の前に現れ、アークの刃が彼の心臓を貫いた。
「お前……一体、何者だ……」
死が迫る中、悪魔は力なく問いかけた。胸には不甘な思いが渦巻く。絶望を喰らって力を得てきた自分が、今やその絶望に呑まれようとしていた。
だが彼は最後まで一言も発しなかった。ただ無言で、悪魔が消えゆく様を見つめていた。
そして、悪魔は見た。
彼の背に、生え広がる羽を。
「天使……いや……違う……こ、この力……堕天使か!」
その正体に気づいた瞬間、悪魔は絶叫した。
「なぜ……なぜお前がここにいる!!なぜだあああ!!」
何を思いながら死んだのか、誰も知らない。
敵が塵となり消えた後、そこに残ったのは──国王の本物の亡骸だった。オシアナに破壊されたはずの……修復された死体。
その時、ライトの体から純白の光が溢れ、人の姿を形作った。
「お前……目覚めたのか?」
問いかけに、彼は少しだけ反応した。数秒呆然とした後、眠るオシアナのもとへ歩み、力尽きて倒れ、再び意識を失った。
「まだ……か。」
ロワは存在しない頭を掻いた。今の彼は光そのものに過ぎないのだから。
「だが……この様子なら、もうすぐだろうな。」
「……誰か来る。」
足音に気づいたロワは即座にライトの体へと戻り、静かに様子を窺った。そこへ駆けつけたのはチャールズとジエ、そして幼い少女だった。彼らは慌ただしくライトとオシアナを担架に乗せ、急ぎその場を離れていった。
「……こうして見ると、お前、案外人気者じゃないか。」
ロワは小さく笑った。




