171.彼女はその制限を解き放
右手でアークを握り、左手で奴の頭を力いっぱい押さえつけ、容赦なくその刃を何度も首元へ突き刺した。
生き物なら大体そうだが、首は脆い部位だ。彼も例外ではない。
「止まるな! もっと威力を上げろ!」
オシアナは唇を噛み、少しだけためらったが、何が大事かは分かっている。すぐに魔法の出力を上げた。
数ある魔法よりも、やはり俺のアークが与えるダメージのほうが大きい。だから奴は即座にオシアナとの応酬を諦め、右手で俺の腕を掴み、攻撃を止めにかかった。
結果は明白だった。オシアナの魔法がすべて奴の身体で炸裂し、悪魔ですら数十メートル吹き飛ばされる。もちろん、すぐそばにいた俺もただでは済まなかった。
オシアナが手を差し伸べ、俺は遠慮なくその腕に噛みつく。魔力を多く含んだ血が体内に流れ込み、傷が癒えていく。
――だが、失った体力は戻らない。もし奴が今の一撃を食らっても何事もなかったら、その時は即座に逃げるしかない!
奴の周囲に黒い瘴気が立ち込める。俺とオシアナの連携で、ようやく最後の切り札を使わせるところまで追い詰めたらしい。強化か、逃走か……この男、一体どれだけ準備してやがる!!
地面から立ち上がった彼の周囲に、先ほどと同じ黒球が現れる。三つ、四つ、五つ……そして十二個まで増えて止まった。
「ライト卿、あなたには敬意を表する。ここまで私を追い詰めたのだからな」
奴は服の埃を払いつつ続けた。
「だが、私がこの街にどれほど滞在していたか、考えたことはあるか? 毎日のように殺しが繰り返されるこの場所で、私はどれだけの“絶望”を蓄えてきたか」
「教えてやろう。この国が建国された二年目、私はすでに国王の身体を奪っていた。何十年という準備、お前に打ち破れると思うか?」
「こんな感情を私は何千も持っている。だが残念ながら、上限はこの程度だ。食いすぎれば腹を壊すのと同じだろう?」
くそっ……何十年分の準備、それに賞味期限もないだと? 俺はてっきり、せいぜい俺が来たときの数回分だと思っていた。やはり甘かったか。もう撤退するしか――
「撤退だ、今すぐ――」言い終わる前に、黒い柱が俺の頭部を貫き、そのまま下へ伸びていく。まだ意識があるうちに、俺はアークで肩から上を切断した。
再生すると同時に、意識を失いそうな感覚が新しく生えた脳を何度も揺さぶる……血が足りない。
吸血鬼は脳や心臓を破壊されても死にはしない。十分な血があれば再生できる。だが、この部位は他の場所よりもはるかに多くの血を必要とし、俺の蓄えはもう今回で尽きる。
つまり次に致命傷を受けたら、本当に終わりだ。
「ライト卿、私の攻撃がどこから来たのか気になるだろう?」
いつの間にか完全に回復した悪魔が、俺を見下ろして立っていた。
「認めよう、さっきの策には見事に嵌った。だが一つ、大きな勘違いをしている」
「私はお前を侮ったことも、慢心したこともない。あの攻撃は、最初にお前の頭へ物品を転送した時、わざと残しておいた魔力を再び起動しただけだ」
「お前は私を信用させるため、仲間にあの攻撃を止めさせなかった。それは確かに効果的だった。しかし策を弄するのはお前だけではない。何度も窮地を覆すお前を見てきたからこそ、私は保険をかけたのだ」
……こいつ、こんなにも自分より弱い相手にもこれだけ慎重だとは。だからこそ、これほど長く潜伏できたのか。
だが俺にも狙いがあった。さっきの一撃で全力を吐き出させたことで、奴の気配はもはや隠せていない。敏感な連中なら、もう感知しているはずだ。
俺は助けが来るとは期待していない。奴に対抗できる力はないし、来れば死ぬだけだ。俺が狙っているのはただ一人――「王」だ。
人類の守護神、異種族に対抗する最強の戦士、人類最高の技術を操り、人類の領域なら自由に転移できる存在。奴の正体を暴いた以上、これで気づけないようなら解散してしまえ!
勝てるとは思わないが、足止めくらいはできる。その間に俺たちは逃げられる。オシアナの存在を知られるのは避けたかったが、もう仕方がない。
……かなり時間が経った。まだ来ない? 人類領域で転移できるのは嘘だったのか? いや、あいつらと戦ったこともある。それは確かに本当だ。
まさか「王」に何かあったのか……? そんな、冗談じゃない!
次の瞬間、何かに殴り飛ばされ、俺はそのまま意識を失った――
オシアナは俺に何重もの防御魔法をかけ、必死に奴の干渉を防いでくれていた。俺が昏倒だけで済んだのはそのおかげだろう。
………………
「ここまで来て、ようやく本気を出す気になったのね」
「ライト……私たち、約束したでしょう。必ず……あなたを連れて帰るって。どんな代償を払っても……」
黒い刻印が蛇のようにオシアナの身体を這い、瞳は元の黒から碧へと変わっていく。
「呪われし者、か……これは意外だ」悪魔はその変化を見ても止めず、顎に手を当て考え込む。
「そういえば、お前は我らと同じ陣営だったな。見逃してやる、その代わり私に手を出すな、どうだ?」
「冗談じゃない」
オシアナの姿が霞み、空気のように薄れていく。彼女の本当の姿は人間ではない――以前から分かっていたことだ。
それはただ群衆に紛れるためだけでなく、周囲を守るための化身魔法。
そして今、彼女はその制限を解き放つ――




